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「もしかしたら核兵器を廃絶出来るかも知れない方法」
これは一つのアイデアである。
これは核兵器を廃絶出来る方法というよりも、核兵器を使わせない方法と言うべきものかも知れない。
もう他の誰かがとっくに同じようなアイデアを出し、しかしながらそれが何某かの形になることがない為、僕の目に触れていないだけなのかもしれない。
しかし僕は僕の頭で考えた、それを可能にするかも知れない一つの方法をここに書き留めたいと思う。
※ ※ ※
現在国連では核兵器禁止条約が設けられ、その署名国は92か国に及んでいる。
しかしながらその内容は、核の兵器利用の禁止を骨子とした拘束力のないものである。
又、その一方で、現在の核兵器保有国は9か国であり、それ以外の184か国は核を持っておらず、何とか持てる国からの核の脅威を無くしたいと考えている。
そこで国連もしくはそれ以外の国際的機関や世界的な機構(新たに設立するものも含む)において、核を持たない全ての国々で、もし核兵器を使用する国があった場合、その国をある期間(例えば5年間、10年間)完全に孤立させ、いかなる関係も絶つことを決めてしまうのである。
経済的、人的、物的、文化交流等、あらゆる交流を絶ち、その期間、核兵器使用国を世界から排除することを、ルールとしてあらかじめ決めてしまうのである。
核兵器を持たざる国は184か国、それに比べて核保有国はわずか9カ国であり、この数の有利性を戦略的に利用するのだ。
184カ国は世界の国々の99%にあたり、これらが団結すれば、持つ国をかなりしっかりと抑止出来るのはずである。
もちろん、それが核兵器禁止条約を批准したのと同数の92か国程度でも効果はあるだろう。
約100カ国で、その核兵器使用国の通貨の使用禁止や物やサービスの等あらゆるものの売買を禁止することで、例えそれがアメリカや中国などの超大国であっても、5年間、10年間の孤立には容易に耐えられないだろうし、耐えられたとしても、その間は国際社会から隔絶されてしまうため、対立する陣営に勢力地図が塗り替えられてしまうだろう。
その間経済、科学や技術は遅れ、その後の世界的プレゼンスが大きく下降することは確実だろう。
またこの制裁を力のあるものにする為、核兵器使用国と内密に関係を持ったと確認された国も、これに準じてある期間(1、3年間等)、孤立制裁を行うことを決めておくことも必要になる。
それに加えて、核の被害国からの軍事的攻撃にはペナルティーが科せられていないため、武力による反撃が加えられる可能性も高く、核兵器を使うことは、国家として極めてリスクが高く、壊滅的打撃が予想されるのである。
このように、事が起こる前に壊滅的ペナルティをルール化しておくことによって、核保有国に核兵器を使用するという選択肢を失わせ、つまり核兵器を無力化、無意味化し、ひいては使えない核兵器を保持している必然性を疑わせ、核兵器廃絶への道へと向かわせるのである。
これが僕が考えた核兵器をもしかしたら廃絶する方法である。
もちろん一足飛びに理想的状況に至る方法ではないが、現在の理想と現実の間にある大きなギャップの橋渡しが出来る方法だと思っている。
特に世界で唯一の被爆国である日本が、核の傘に頼らずに核兵器から世界を守る方法を提示するのは、とても意味のある行為だと思う。
唯一の被爆国が、核を使えない世界作りでリーダーシップを取ることは、何より自然な成り行きであり、必然であり、世界中から理解される価値ある行動だと思うのである。
※ ※ ※
今まで行われて来た核兵器から人類を守る方法は、大きく分けると二つある。
一つは核兵器の廃絶を訴える方法である。
その非人道性を掲げ、あってはならないものであると主張し、より多くの同意を求め、核兵器のない世界を達成する試みである。
そしてもう一つは、核兵器を持つ、あるいはその傘の中に入ることによって、対立する相手の核兵器の使用を抑止しようする方法である。
これら二つの方法はそれぞれが功をなし、又同時に問題を抱えている。
まず核兵器は廃絶されるべきであるという考えを広げる方法は、核保有国同士、又それぞれの陣営同士が対立する世界においては、一方的な核兵器の放棄はすなわち軍事的敗北を意味してしまうために、核兵器保有国がそれを受け入れる可能性はほとんどないだろうと思われる。
また、全ての核保有国がそれを受け入れ、世界から核兵器を無くすことが出来たとしても、その核兵器のレシピは各国に残っており、材料も地球上から無くすことができない以上、軍事的優位を求めて再度核兵器製造、配備競争が間もなく始まるはずである。
つまり人類は知ってしまったことを知らなかったことに戻せないし、世界中の国々による対立が永遠に消え去らない限り、核兵器の脅威から言葉と認識だけで人類を守るのは不可能だと思わざるを得ないのである。
又もう一つの方法である核兵器で核兵器の脅威から人類を守るというアプローチは、核兵器を持つ国とその核の傘に属する国以外の国においては、自国を核の脅威にさらすことになり、何ら自国を守る術がないことを意味する。
今、まさに起こっているロシアによるウクライナへの核での恫喝が端的にそれを物語っている。
また核兵器で核兵器の脅威から自国を守ることが当然であるとみなされれば、今後増々核兵器は世界中の国々に所有、拡散されることになり、そのうちにどこかの国で何らかの対立における故意・過失で核兵器が使用され、
それをきっかけに核戦争が引き起こされる可能性は高いと思われる。
それにより引き起こされる第三次世界大戦が核攻撃による応酬となれば、
それはまさに人類存亡の危機となるだろう。
そして残念なことに、この二つのアプローチは具体的な方法としては、お互いを否定しなければならないものであり、その主張の対立をいたるところで目にするのである。
しかしそれでも忘れてならないのは、この二つの方法は人類を核兵器の犠牲者にしないという共通の目的において、完全に一致しているということである。
その共通の目的達成を補う一助として、世界全体に核兵器を使えない状況をあらかじめ作る、核兵器を持たない国々による核兵器使用国への強力な制裁の設定は、その二つの方法と矛盾せず、又その共通の目的達成への効果を高めることが出来る方法だと考えている。
全てにおいて言えることだが、皆が本当に望めばそれはできるし、望まなければできないだろう。
しかし、ただ闇雲に理想を唱えていても、それが魔法の呪文でもない限り、それだけで実現はしない。
また現実なんだから仕方がないと現状ばかりに拘泥していては、いつまでも物事は改善せず、より良い未来が訪れることはない。
理想を求めることはとても大切なことだ。
そして現実を直視することも然り。
その両方を見据えて、そのギャップをどう埋めていくか、そこに知恵の全てを注ぐことが大事になると思う。
未来はやってくるものではない。
未来は誰かの頭の中で作られ、実行されるものなのだ。