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〝頑張ったで賞〟を自分にあげるために書き続けるnote
内側からの問いかけ
noteに投稿する度、今回もまた投稿出来た、とちょっとホッとする。
いつまで続くだろうか?と恐る恐る始めたnote。
無理に続けようとはせず、出来るだけ自然に。自然に。
それでも何となく続いている。
書きたい気持ちが自然と湧く。
なんで書き続けようとしてるのか?
なにがモチベーションになってる?
自然と自分の内側から問いかけられる。
以前も同じような問いかけがあったかもしれない。
問いかけをしっかり受け止めたあと、
ふと頭に浮かんだ一言。
「自分へのご褒美」
ん??
ご褒美??
いやいや、私は書くのが苦手なのに、苦手なことをするのがご褒美とは?
どういうこと??
〝過去と今とのつながり〟探し
深堀りしてみる。
書きながら自分自身と向き合っているとき。
自分の奥底にある〝過去と今とのつながり〟が浮かびあがってくることが多い。
ただ、そのつながりとなる過去を無理やり引っ張り出そうとはしない。
自然に任せながらも、機会があるとき、正確には、そのときの自分が自分に許可したとき、思い出してみる。
今に繋がった過去を少しずつ丁寧に手繰り寄せてみる。
そうして手にした過去に目をうつして、しっかりと振り返れば振り返るほど、自分頑張ってきたなぁ、よくやってきたなぁと思う。褒めたくなる瞬間がある。
頑張ってきた、と確信出来る瞬間。
その瞬間手にしたものこそが自分へのご褒美だ。
どうやら私は、
これまで自分が頑張ってきた証がほしい、とどこかで思っているらしい。
そしてその証となるものを見出すには、ただ立ち尽くして待っているだけでは足りなくて、自分で向き合って書き出していく作業がどうしても必要なのだ。
奥底に眠る〝過去と今とのつながり〟に出会うために。
かつての自分の頑張りを再発見するために。
頑張りの証を手に入れるために。
これが書き続けることがモチベーションになっていた。
ご褒美として欲しい〝頑張ったで賞〟
今まで頑張ってきた証がほしい。
そのために書き続けている。
それだけが理由ではないにしても、大きなモチベーションになっている。
そして私が自分が頑張ってきた証としてほしい具体的なご褒美。
きっとそれは…
〝頑張ったで賞〟(笑)。
ふと浮かんだ。
〝頑張ったで賞〟なんて、いつ以来言葉にしただろうか?
死語?と思われるほど昔使った言葉が、ふいに頭に浮かぶことに驚く。
私は小学生の頃、この〝頑張ったで賞〟をもらう機会があった(他に、いろんな〝◯◯で賞〟があったけれど忘れてしまった…)。
今でももらう子どもたちはいると思う。
先生から。身近な大人から。
クラスメイトから。
ごく身近な人が認めてくれる賞。
それが、頑張ったで賞。
ふと思った。
こんな身近な賞なのに、最も身近な存在である自分自身に、頑張ったで賞をあげたことはなかった。
日頃のいつもの自分を見て知っている人からもらうからこそ、どんな他のものよりも嬉しくて価値あるものが世の中にはある。
ということは、自分で自分のことをよく理解する機会があって、頑張ったで賞をあげたなるのは自然かも。
そんな風に思った。
ふと湧いてくる問いかけと、それに対する一言を大切に扱い始めると、その一言の中にたくさんの思いが詰まっていることが後からわかることがある。
最近私はこの直感的な、内から湧く言葉や表現を結構大切にしている。
次は自分に何を問いかけて来るだろう?
noteを続けるモチベーションはまだ保てそうだ。