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片付けは再び巡ってきた選択の瞬間

プチストレスを感じやすくなってからというもの、同時に片付けスイッチも入りやすくなっている。

片付けスイッチが入ることで、かつてそのモノを手にする時に選択した瞬間の自分、そのときの気持ち、感情と再会することが増えた。
瞬間の自分と再会する。瞬間を切り取った写真を見るような感覚だ。これが続いたとき、自分の中で何かが発火した。
書き留めないと!
そうして書き留めたことを基にして、noteでアウトプットしようとしている。

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片付けは自分にとって再び巡ってきた選択の瞬間。
目の前にあるモノたちは、私がかつて選んで決めて連れて帰ってきた。書類や手紙のように、自分の意思とは関係なく、先方から渡されたようなモノもあるけど、大抵は自分の意思で持ち帰っている。それが目の前に、モノ、私の所有物、という形で残っている。

選択の瞬間は一瞬にして見えなくなるけれど、まだ目の前に残るモノひとつひとつに向き合うことで、かつてこのモノを選択したときの自分と再会するチャンスが訪れる。そして、今の自分とも向き合うことで、今度は、どう片付けるかを選択する瞬間になる。過去の自分と今の自分が交錯している。

例えば、数年使っていなかった、トートバッグ。
なぜ買っただろう?なぜ使わなくなっただろう?そう考えを巡らせたら、買ったときに選択したときの自分と再会出来た。

色がきれいであまり見たことのないデザインでワクワク。扱いやすそうだしリーズナブル…そんな思いでポチッとネットショッピングしたのだった。

結局使ったのは2回ほど。

実際手元にとってみると、デザインも素敵だしコーディネートも幅広くてかなり使えそう…だったのに、いつのまにか、他のバッグをよく持つようになっていた。

今回片付けスイッチが入ってこのバッグを目の前に置いたのは、好きなのに使っていないから。

なぜ毎日のお出かけに選ばれない?
思っていたよりも、生地が厚くて硬めだったのだ。その分しっかり出来てるしそのわりに重くはないのだけど、硬さがどうにも最終的に気になって、使おうか迷ったときに心地よさがないから却下されていた。

モノは、その存在を記憶している限り(こんなモノまだ持ってたんだ〜と忘れていることすらあるけど…)、きっと小さな決断を一瞬一瞬している。

買った瞬間ワクワク。使おうとする瞬間は、心地よくないな…。
そんな感覚をトートバッグを通して味わっていた。

しかも、心地よくないな、あの硬さは、とバッグに対していつも感じていたのに、その感覚を受け流していたから、そのまま何年もの間、かなりの回数、同じことを繰り返していた。

そう思ったら、このバッグを持ち続ける理由はなくなった。
一度はワクワクをくれた、たった数回しか使わなかったバッグ。ただ捨てるのも忍びなくて、どこかに売るということにも不慣れで、現在きょうだいがもらってくれるか、打診中。

日々が選択の瞬間であることを思い知らされる。

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私はH S Pだから、感じていたのに受け流してきたことは他にもっとあるだろう。
かなりの環境調整で自分は大丈夫と思っていたけど…流して流して…流れずに残って溜まってきていた。

でも、環境調整していたおかげで、アウトプットで気づきやすくなったおかげで、こうして敏感な感覚を単に流すのではなく、受け止めようというゆとりをもてている。
私なりに前に進めている感じがしてそれはそれでうれしい。


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