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正論 正解を第一義としない 学級経営と子育て
正論はよく、人を傷つけると言います。
確かにそうであることは、多くの人が実感することでしょう。
ほとんどの正しいことが、言いづらいと感じることも、同じ理由でしょう。
人を傷つけることと、正しいこと、正論を振りかざすこと、
そのどちらが大切かという二元論に走りがちですが、
そもそも、その構えが問題なのではないかと考えています。
小学校の学級経営、子供たちとの向かい方、
家庭での子育てにおいて、
正論や正解を第一義とすることは、常に大切にすべきことでないと思います。
分かっていることとできることは違う
「宿題、やりなさい」
これを、今、宿題をやろうとしたときに言われた子供は、ぷんぷんとしますね。
よく大人の話題でも、笑い話のネタになるくらいです。
大人側からすれば、「本当に今、やろうとしてたのか」と疑問に思うことがほとんどです。ゲームやスマホに夢中になっていたり、漫画を読み耽っていたり。
でも、宿題をやらねばならないことくらい、子供自身は分かっているのです。
ただ、「今」、それを実行する意思力がない、できない、のです。
分かっていることとできることが違うのです。
子供が、友達付き合いの中で、ケンカしたりトラブルを起こしたりします。
親や先生と向き合い、そのことについて”お説教”をもらう場面で、
実は、子供は、出来事を振り返り、
本当はどうすればよかったのかについて、
頭では分かっていることがほとんどです。
でも、心理的に、その場面で、自分で振り返ったり、
その後、その”分かっていること"を実行したりする心の構えができないのです。
分かっていることとできることが違うのです。
分かっていることを できることにするために 聴く
では、子供自身が分かっているのにできないことを、
できることに変えてあげるには、どうすればいいのでしょう。
月並みですが、まずは”聴く”ことでしょう。
何があったのか、どう言う気持ちなのか、今どう思っているのか。
こう言ったことを大人側が聴くことです。
子供は、大人を権威や規則の象徴として見ていることが多いです。
大人が車の運転中、白バイを見つけると、
何もやっていないのにドキッとするのと似ています。
その「ドキッとする」相手を前に、まずは緊張します。
緊張は、素直さを奪います。
素直になれたとき、自分の中にある正論や正解、正義を見つけられます。
子供が、自分の心の中にある素直な考えや姿勢に向き合えるようにするため、
大人は”聴いて”あげればいいのです。
聴いて、相槌を打ち、「なるほどね」と声をかけてあげれば、
子供は「受け止めてもらえた」と感じ、
自分から反省の弁として正論や正解を話し始めます。
大人はそれを、改めて認め、励ましてあげればいいのです。
なぜ 大人は”聴けないのか”
こんなに簡単なことなのに、なぜ、多くの大人が”聴けない”のでしょうか。
それは、大人自身が、「白バイを前にした運転者」状態になっているからです。
子供が宿題になかなか手をつけないことで、
大人自身が、何かの規則に反していると感じるのです。
子供が、友達とトラブルを起こしたとき、
大人自身が、誰かに裁かれるかもしれないと感じるからです。
私は規則を守っていますという証のため。
正論や正解を、何よりも優先して子供に示したいからです。
そんな負い目、引け目を感じている大人に”詰問”される子供は、
決して素直になれません。
そしてその鋭い嗅覚によって、
この大人は味方じゃない。
この大人は自分を裁こうとしている。
ここでは、自分を守らなければならない。
と言う感情の流れが、子供なりの自己防衛につながり、
不要な反抗を呼び、最悪な場合、不要な”犯行”につながっていくのです。
小学校で、クラスの子供と担任の関係が良好でないことの原因として、
ダントツのトップことが、
この、大人の姿勢にあると言っても間違いはないと思います。
子供の状態を見る。
何が分かっていて、何ができないのかを見てあげる。
まずは聴いてあげる。
受け止めてあげる。
大抵の問題は、これで解決します。
大人がいつも安心感を持って、
安全運転で走っていれば、
子供は、年齢に応じて正論や正解を見つけ、
健やかに育っていくはずです。