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大橋裕之『シティライツ』と、そのトークイベント
上のまぶたを描く曲線と下のまぶたのそれとが、目尻と目頭でそれぞれぶつかったところで止まらずに、なぜかそのまま突き抜けている。初めは奇妙に感じたこの目の形にもいつの間にか慣れてしまった。
へんてこな目を持つキャラクターたちは、しかも、「雑」ともいわれかねないようなタッチで描かれる。それなのに、表情は豊かに感じられるから不思議だ。
阿佐ヶ谷の喫茶店兼バーである「よるのひるね」にて、大橋裕之によるトークイベント「喫茶オオハシ」が開催された。今回で第9回目を迎えるらしい。ぼくは2回目の参加だった。
決して広くはない店内には、多様な本が所狭しと並ぶ。高さも素材もばらばらの椅子が隙間なく配置され、20名ほどの観客はめいめいに腰掛けていた。いささか窮屈そうだ。当然お尻は痛い。だが、この街においては、それもまた一興と思うにかたくない。
今回のイベントは、「『シティライツ』を語る会」と題されていた。『シティライツ』は大橋裕之による漫画短編集である。2時間弱の間、作者本人による作品解説や制作および発売当時のエピソードが語られ、いくつかの秘蔵映像も流された。
前回もそう感じた。なんだか不思議な時間だ。なんだか不思議な空間だ。会場に流れる空気においてもそのトークの内容においても、いわゆる「ゆるさ」の中に隠れきらないライブ(サバイブ)感のようなものを強く感じていた。
——大仰に書いてみたが、そもそもトークイベントのようなものにぼくが慣れていないだけかもしれないな。そう思って、また作品と一対一で向き合う姿勢に入った。
『シティライツ』に収められた短篇は、ときにSFであり、ときにファンタジーだったりもする。だが、その読み心地は一般的なそれ——といえるものがあるとして——とは大きく異なる。
ぼくはこの漫画を読むたびに、ある種のエッセイにも似た喜びのようなものを感じる。突飛な展開を通じて描かれるのは、一人ひとりの日常における小さなできごとや心の動きである。焦点はあくまで個人的な感情に当てられる。
きっと読者は、しばしば自分の人生に思いを馳せることだろう。浮かぶ景色は、あるときは大切な思い出だったりもする。あるときは、忘れていたような、あるいは忘れたかったような瞬間だったりもする。そのとき芽生えたすべての感情を、そして、ひっくるめて強く肯定したい気持ちで紙面に戻ることだろう。
シティライツ——
その街の灯りは、社会の日陰を照らす。落伍者や観察者の内面を照らす。ときには照らさないままで、そこに光があったことを思い出させてくれる。寂しくて、優しくて、悲しくて、嬉しくて、情けなくて、暖かくて、ひたむきで、ものぐさで、今にも消えそうなほど弱々しくて、どこまでも強く輝いてる、そして明確にそれは、「希望」の光だ。