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安いものじゃなく、ちょっといいものを選ぶ
安物しか使ってこなかった母が、ちょっといいスポンジを買ってきました。
母の価値観もだんだん変わってきたようです。
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我が家には長年、安いが正義という価値観がありました。
家計を支えている父が”安さ”だけを基準にしており、元々専業主婦だった母はその基準に従うのが当たり前になっていたのだと思います。
私もその両親のもとで育ったので、割と最近まで
「安いものが良くて、高いものは悪い」
と思っていました。
ここでの良い・悪いというのは品質などではなく、買う際の判断基準というイメージです。
例えばヨーグルトを買うとき。
二種類のヨーグルトが売り場に並んでいたら、安い方を買うのが良い選択だよね、という感じです。
限りあるお金を使いすぎないために、時には安い方を選んだ方がいいときもあると思います。
ですが、物事を判断する基準はひとつじゃないということに、最近ようやく気づきました。
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冒頭の話に戻ります。
例に漏れず、長年使ってきたお皿洗い用のスポンジも安さだけで選ばれたものでした。
まさに安かろう悪かろうという感じで、すぐに泡立ちが悪くなり、ぺたんこになってしまいます。
安(やす)かろう悪(わる)かろう
値段が安ければそれだけ質が落ちるであろう。安い物によい物はない。
以前は
(1)お皿洗い用
↓
(2)魚焼きグリル用
↓
(3)排水溝の掃除用
と使い分けており、(2)がなくなったら(1)を(2)にして、(1)は新品に変えるという流れがありました。
そのため(1)の期間が限られていたのですが、魚焼きグリルが壊れてからは、(1)の期間がしばらく続くようになりました。
そうすると気になるのが、スポンジの持ちの悪さ。
汚れ的にはまだ使えるのに、性能がすぐに落ちてしまうんです。
そのためか、母が初めてちょっといいスポンジを買ってきたんです(といっても数十円しか変わらないと思いますが)。
泡立ちがよく、今までより丈夫そうなものを。
私はそれがとても嬉しくて。
母が安さ以外の基準を取り入れ、自分にとって使い勝手がいいものを試そうと思ったことに、大きな変化を感じました。
安いものを買うというのは、その瞬間の出費は抑えられるかもしれませんが、結局消耗が早かったり、使い方も雑になってしまったり。
そしてなにより、使っているときの気持ちが違うと思うんです。
全然泡立たないスポンジを使って「はぁ、また洗剤を足さなきゃ…」と思いながら洗い物をするのと、泡立つスポンジを使って「お〜めっちゃいい感じ!」と思いながらするのでは、大きな差があると思います。
少しでも気分よく取り組むことに、金額以上の意味があるなぁと。
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母も私も今まで盲目的に父の価値観に従ってきましたが、だんだんと「いや、自分は違うやり方をするぞ」と思えるようになってきました。
母の変化を見て、私も複数の基準で物事を見て、自分にとって意味のある選択をしていきたいと改めて思いました。
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