「自分がどうしたいか」を問うって難しい
相変わらず私は、「自分がどうしたいか」を知るのが苦手です。
以前この記事で、「自分がわからないのは、他人カメラと俯瞰カメラを強化するあまり、自分カメラが機能していない状態だから」ということを書きました。
そして、今から自分カメラを強化するには、「自分はどうしたい?」と唱えることが大切、と。
自分自身へのメッセージの意味合いが強かったのですが、2ヵ月経った今も「自分がどうしたいのか」に意識を向けることを忘れ、どうしたいのか、なにに困っているのかわからなくなりました。
長年の思考のクセは、そう簡単に変わるものじゃないよな…と痛感しています。
これについて書こうと思ったきっかけは、ドラマ『春になったら』の第5話です。
奈緒さん演じる椎名瞳が、お父さんのこと、恋人のこと、結婚式のこと…それらについての気持ちの整理が追い付かず、涙ながらに「わからない」と言っていたのが、とても印象的でした。
私はドラマが好きでよく見るのですが、度々「いつだって自分の気持ちがわかるなんて不自然だ」と思っていました。
もちろん、作品によって重きを置くポイントが違うし、主人公が迷ってばかりではストーリーが展開していかないと思うので割り切って見ているのですが、どこか引っかかっていました。
自分でも自分の気持ちがわからないことって、誰しもあると思っていたけれど、私がわからないだけ?みんなは「自分は今こう思っている」といつも明確にわかっているもの?
そんなふうに考え、不安になることすらありました。
だから、『春になったら』で瞳が「わからない」と言っていて、とても安心したんです。
そうだよね、わからないことってあるよね、と。
父の余命に対する自分の感情に加えて、本人があまりにからっとしていることへの戸惑い。
恋人が自分との結婚のために夢を諦めたこと。諦めてほしくない気持ちと、彼がたくさん考えて出した結論を尊重したい気持ち。
これ以外にも、文字にするのが難しいような、一見些細だけれど感情を揺さぶるようなあれこれが重なり、どうすればいいかわからなくなっている、というシーンでした。
「自分がどうしたいか」だけでは動けないのが大人だと思います。
相手には相手の考えがあって、それもわかるからこそ、どうすればいいのかわからなくなる。相手の気持ちを汲み取るほど、自分の気持ちが見えなくなっていく。
奈緒さんの演技があまりにリアルで、苦しさを一緒に感じるようでした。
「難しいよね」で終わらせることもできますが、私は、相手の気持ちを一旦横に置いて、自分の気持ちを見つめることから始めたいと思います。
様々な要素が絡み合うことで自分の気持ちがわからなくなってしまうから、丁寧に選別して、自分のものだけをまずは残す。相手の気持ちは、そのあとで見つめられればいいのだろうと、今はそんなふうに思っています。
日々練習。