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人とテクノロジーの両方を理解するとはどういうことか

先日から、D.A.ノーマンの『誰のためのデザイン?』という本を読んでいる。

この本の中では「テクノロジーが人間にとって使いやすいものであるようデザインされるべきだ」ということが書かれている。
そのためには「人とテクノロジーの両方を理解する」必要があると筆者は説明している。

今回は「人とテクノロジーの両方を理解すること」について自分なりに考えてみた。

人を理解する

まず「人を理解する」とはどういうことだろうか考えてみた。
僕は人を理解するには理論と実践の2つの方法があると思っている。

理論の方は、学問からのアプローチである。
心理学や行動経済学といった学問では「人間とは何か?」という問いに対してこれまで研究を行なわれてきた。
その試みの中で、既に大多数の共通項目や普遍的な性質は明らかになっている。
これらの学問を学ぶことで理論的に人というものを理解することはできる。

けれど、それだけではやはり人を理解することは難しいように感じている。「実践活動」が必要に思う。
僕が言う実践活動は、理論を学ぶだけでなくて、実際に人と会って会話をしたり、人に対して何か働きかけることだ。

どういうことかと言うと、例えば僕は、大学に入る前には(もしかしたら今もかも)あまり人と積極的に関わるタイプでもなかったように思う。

けれど、大学に入ってからいろいろな人と関わる機会をもらった。
決して「人を理解しよう」という目的の中で関わったのではないのだけれど、価値観を持つ人、違う年代の人との交流の中で「人」というものを感覚的に理解できることが増えたように思う。これは理論や論理では語れない部分で「感覚的な」部分である。

さらにはマーケティングといった人の購買行動などのビジネスの実践活動においても人の理解はできるだろうし、何かものを売ろうと思ったら人の課題や価値観、といった今まさに生きている人たちの性質の理解は必要なことだろうと思う。
その手法もこの良いデザインのためには使えるかもしれない。

テクノロジーを理解するということ

ここまで、人を理解するということについてはだんだんと見えてきた。
もう少し厄介なのが、次の「テクノロジーを理解する」ということである。

もちろん、この本でノーマンが使う「テクノロジー」という言葉にはたくさんの意味が込められていると思うのだけれど、僕の専門はあくまでも情報工学なので、ここではテクノロジー=ITとして話を進める。

僕は学部4年で電子情報工学を勉強してきたわけなのだけれど「それでテクノロジーの理解はできたのだろうか」と疑問に思うことがある。
コンピュータの扱い方、データの扱い方、通信方法など、コンピュータの基礎的な仕組みは教わった。
けれど、それで今の世の中で使われているテクノロジーに対して理解ができているかといわれると難しい。
基礎的なことは同じでも、研究室に配属されてからは専門もそれぞれ細分化されてしまい、AIやIoTについて専門家と同等レベルで語ることができるかと言われると自信はない。

じゃあ、どうすれば「テクノロジーを理解した」状態になるのだろう?
「テクノロジーを理解する」なんていうと、言葉が曖昧でわかりにくい。
でも人と同じように理論と実践で考えたらどうだろうか?

理論に関しては、数学から始まって、「コンピュータサイエンス」あるいは「情報工学」といわれる、それこそ僕が学部で学んできた理論だ。
ただ、その理論が「理解されている」かどうかはそれを「使う」ことができるかどうかなのではないかと思う。
理論が頭の中にあるのであれば、それをコードや回路なりで具現化できることだ。

つまり、テクノロジーを使えるようになって初めてテクノロジーを理解したと言えるのではないだろうか。

学際的な分野に飛び込む難しさと楽しさ

僕の専門はヒューマンコンピュータインタラクションといって、まさしくこの人のためになるコンピュータとの関わり、インタラクションをデザインしていく研究分野である。

人とテクノロジーの双方の知識が必要となることから、融合分野とか、学際分野なんて言われる。
今回改めて自分がやっていることについて考えてみたのだけれど、とてもたくさんのやることがあって、学際分野の難しさを感じた。

けれど、それと同時にそれを楽しくもあると感じた。
人とテクノロジー双方の知識があるからこそ、自分がやったことの成果を人にまで還元することができるし、その2つの知識を掛け合わせた人でないと見えないものがあると思う。

これからもここで述べたような活動を通して、自分の専門性をもっと高めていく。


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