2月に見た映画を振り返る
今月は節約に励むということで映画館での映画鑑賞は殆ど行かなかった。トータルで計算したら2劇場で4作品を見ただけで終わってしまった。
三連休は怪談を聞きに行ったり、ダムでの撮影に専念したから、23日から上映の話題作は観に行けず家でNOTEで発表するための原稿作りに奔走しながら過ごしたので、メーテレで放送中のテレビ番組"おまえら行くな"を見るためにAmazonプライムをもう一度会員登録したのだが、はっきり言って"おまえら行くな"の3話を見ただけで終わった。
映画はまだ見ておらず、未発表の怪談を作ったりやら映画のレビュー等でずーっと文章構成に時間がかかり一日があっという間に終わってしまうだろう。
余談はさておき、2月に見た映画を振り返ろう。
昨年話題になったM3GAN(ミーガン)のジェイソン・ブラムが制作の新作がファイブ・ナイツ・アット・フレディーズというアニメ映画にも見えてしまうが内容は立派なホラー映画である。
ネタバレになってしまうが、内容は以下の通り。
※多分ネタバレを多少しておかないと映画の内容を理解するのは難しいと思われる
主人公のマイクは妹のアビーの親代わりをしている一方で、過去に弟を目の前で誘拐された事を機に精神的に情緒不安定になったマイクはなかなか定職に就く事ができず転職ばかりを繰り返していくうちに職業安定所で紹介された廃墟のピザレストランの夜勤の警備員の職務を最初は断りながらも、アビーのことを考えて、夜警の仕事を引き受ける。
不慣れな時間帯での勤務ということもあり、マイクはついつい勤務中であるにも関わらず転寝をしてしまうのだが、その際に見た夢がマイク自身も思い出そうとしたが中々記憶の底から思い出せることが出来なかった松林で家族とキャンプをしていた際に弟が謎の車に連れて行かれたと同時に、その様子をマイクと共に見ていた少年達5人が出てくる。
最初はマイクも今まで思い出そうとして中々辿り着けなかった光景を目の当たりにして、現れた少年達に弟は何処へ行ったのか?と訊ねるも答えてくれることはなく、目が覚め転寝をしていたことに気付くと、廃墟レストランに来てから初めて弟が何処に連れて行かれたか手がかりが掴めるかもしれないと確信したマイクは次の日も明くる日も転寝して夢の中に出てきた少年達とやり取りを試みようとする。
やがて、叔母が登場するとマイクの代わりにアビーを引き取り代わりに育てると云われるのだが、アビーはどうしても兄マイクの傍から離れたくないという意思を示しながらも、今のマイクの生活では育てていけないのは明々白々であり、よりマイクを陥れるために考えたのが、マイクが働く廃墟のピザレストランで叔母が雇った者達により、ピザレストランが不法侵入された末に荒らされてしまう。
叔母が雇ったメンバーの中にまさかのアビーのベビーシッターを快く引き受けていた筈のマックスが居るのだからビックリだが、そんなことは許さないとばかりに自動ではないはずのマスコットが勝手に動き出し、荒らした者たちを撃退する。
一方、マックスにベビーシッターを頼みたいマイクはマックスと連絡がつかなくなったことを気掛かりに思いながらもアビーを預ける場所がないために致し方無くアビーも連れて夜勤の仕事に向かうのだがそこでアビーが夜な夜な動き出すマスコットに対し心惹かれるようになると、次の日の晩もマスコットに会いたいとマイクにお願いするようになる。
こうしてアビーとマスコットとのやり取りが行われるようになってからの、マイクが弟探しと題した夢の中では次第に弟が何処に連れて行かれたのかの手がかりを掴めそうで掴めない一方で、現れる5人の少年達が実はレストランのマスコットのキャラクターでは?と気付き始める。
其処に婦警のヴァネッサが出てくるのだが、ヴァネッサの父親が元々はピザレストランのオーナーだったこと、何故潰れてしまったのかには云えない事情があるということを伝える。
ヴァネッサ曰くは、マスコットには行方不明になった少年達の魂が宿っているというのだが、では何でそこまで分かっているのならばマスコットに何が隠されているのかを調べないのかというのがツッコミどころだが、今までのブラムハウス作品の傾向を考えると5人の少年達がどうして行方不明になったのかのビギニング=はじまりがあってもおかしくない。
元々、アメリカで流行ったゲームが映画化したという背景も考えたら、少年達の謎とピザレストランが抱える闇に触れることが出来るのかもしれない。
最終的には今まで登場してこなかった5体目のマスコットに実はヴァネッサの父親が潜んでいて、此処でマスコットが自動に動いていたと思い込んでいたら実は影で父親が操作していたことが判明するのだがエンドはアビーとマイクの命だけは助けたいという気持ちに駆られたマスコットに襲われ父親はマスコットの着ぐるみの中で絶命してしまう。
続編に期待したいところだ。
前日に監督のペーテル・レバネと主演のトム・プライアーとオレグ・ザゴロドニーが京都に来ていたとは知らずサイン入りのポスターを見て愕然。
一日早かったら会えたのに。゚(゚´Д`゚)゚。
キエフ在住のオレグは映画宣伝のために戦時中のウクライナから国外へ出ることすら難しい事情があるにも関わらず奇跡の来日を果たしたってのもあるから、見れた人が羨まし過ぎる〜( ;∀;)
映画の公式ホームページに目を通さないといけないことがあるんだなあということを改めて学習した。
エストニア初のLGBTQ映画ということもあり、内容はどんなものだろうかと気になりながら鑑賞するのだが、やはり内容は実話ベースだった。
旧ソ連領におけるエストニアで実際にあった同性愛について描かれているが、当時同性愛は社会的に違反行為だった。因みにエストニアでは映画の上映を機に昨年同性愛を認める法律が成立された。
主人公のセルゲイと写真が趣味であるということに赴任したばかりの上官のロマンに惹かれるようになると、やがて二人の関係は愛情へと変わっていく。次第に二人の関係は匿名の密告によりバレてしまうのだが、ロマンは罪であることを認知しながらもセルゲイとの距離を離れたくない一心で、セルゲイの同僚で自分に対して惹かれている事を知っていたであろうルイーザに、セルゲイが役者の道を目指すために除隊をしたのを機にロマンとルイーザが急接近し最終的には"おめでた"婚をする。
ルイーザからロマンと結婚することを知り、更には式に呼ばれ参加した際にロマンの口からルイーザがおめでたであることを知らされると、今までのロマンとの関係が走馬灯のように蘇るとおめでとうよりももっと一緒にいたかったという悔しさが滲んでくるとその気持ちはロマンも同じだった。
ロマンはルイーザがいるにも関わらずセルゲイとの関係を断ち切ることは出来なかった。
二人は式場での再会を機に再び親密な関係になっていく一方でルイーザのことも知るセルゲイにとっては複雑な立場に置かされながらも、ロマンへの愛情が決して消えることはなく秘密の関係が続く。
しかし、こうした関係は長く続かない。
ロマンがアフガニスタンへ赴く際に死を覚悟したのかルイーザにも、そしてセルゲイにも手紙を送るのだが手紙を通してはじめて自分の気持ちをカミングアウトすると、ロマンは生きて帰ることはなく戦死してしまう。セルゲイが手紙を見て基地に連絡するも、ロマンは帰らぬ人となっていた。
改めてロマンが住む家に向かうと茫然としているルイーザから問い詰められてしまう。セルゲイは言い返すことも出来ずただただルイーザの訴えを肌身で受け止めたところで、ルイーザも反論しないと分かったのかグッと我慢していた涙をセルゲイの胸に抱かれ泣き始めるのだった。
それから、二人は二度と会うことがなかったというのがエンドロールで流れるのだが、ルイーザの立場の複雑さも痛々しいが、やはり同性愛が認められなかったからこその抜け道がルイーザと結婚することならば、結局社会が許容するような状態であれば進みたい道へ向かうことが出来たはずだからだ。
色々と考えさせられる作品だった。
アリ・アスター監督最新作のボーはおそれているも勿論鑑賞してきた(о´∀`о)
内容はまさしく…。
カントク、気がへんになりそうです。
(;゚∀゚)=3ハァハァ
色んな考察が出来るので、ボーはおそれているをどう解釈したら良いのだろうかと思いながら映画を鑑賞した際にエンドロールで見た光景をみてひょっとしたらアリ・アスター監督が描きたかったのは現代の世界ではなく、彼の世の世界では?と気付いた。
最初のシーン、精神科に通院しているホアキン・フェニックス演じるボーは薬を貰い家に帰ろうとしているときからそもそもおかしい。
インスタ映え目的?ダイビングして旅立たれた方の亡骸が通報されることもなく道に置き去り、ボーは見た目からしてかなりヤンチャな方々に狙われてしまい、挙げ句の果てにはアパートの玄関先に置いていたキャリーケースを盗まれてしまい、母の家への帰省を頓挫しなければいけなくなった上に、薬を飲むために水無しで服用してはいけないものを水無しで飲んでしまったためにボーは慌ててスーパーへ向かい未購入の水を飲み買おうとするが小銭が足りず通報するぞと云われ慌ててボーはスーパーの外へと出てマンションへと戻るのだが、おかしいのはこれだけではない。
ボーが、アパートに帰れなくなった際にヤンチャな方々により勝手に不法侵入された末にやっと戻ってこれたと思ったら、ヤンチャな方が玄関先で昇天されている、更にお風呂に入ろうとした際に天井にスパイダーマンばりのおじさんが這いつくばって助けてくれと云いだすと、おじさんは力尽きボーが入る風呂へ落ちるのだが、そこでボーとおじさんが揉み合いの末にボーは全裸で逃げ出した末路がトラックに撥ねられてしまう。
これだけ書いてしまうと、何がなんやらさっぱり分からなくなるので、此処から先は私が考えたボーはおそれているの内容について考察したい。
前述したが、劇中で描かれているのはボーが彼の世の世界に行ってからの旅路ではないかと勘づいた理由について説明したい。
ラストのボーがボートに乗りながら四方をブースで囲まれるとそこは裁判所のようで、証言席に立つ母親がボーに対して愛情をこれでもかとばかりに尽くしておきながら親不孝な子供に育ったから罰をという内容だったと思うが、実は母親が訴えていた内容こそが生前のボーであり、ボーは母親が社長でお金に困らなかったために自律することはせずずーっと親の脛をかじってばかりの生活では?
クレジットカードが使えないというのは母親名義だったからというのもあるだろうが、実は使おうとしていたボーも死んでいたから使えなかったという見方もできる。ボーは母親無しでは生活出来ないと悲観した末に何かしらの方法で亡くなったのだとしたら、劇中に描かれていた世界というのはボーに対して善良な行いが出来るかどうかを旅を通し試された末にボーにはそのような姿勢が微塵にも感じられないために裁判の結果、地獄に堕ちたのではないか。
つまり、ボーがおそれているのは怪死した母親の元へ帰るのをおそれているのではなく、死んだことに対し待ち受ける試練に対しおそれているという見方も出来るわけで、だからこその最初のシーンのハチャメチャ感も、何事も都合良く行き過ぎでは?というストーリー展開も、ボーの人間性を試す上においての課題を与える立場だったと考えると納得。
いずれにせよ、普通に見て理解が出来る映画ではないために説明するのが凄く長文になってしまった。
きっと見て頂けたら同じ気持ちになるはずだ。
2月最後に見た映画は韓国映画の梟。
これは実際にあった史実を下に架空の盲目の医師が巻き込まれていくサスペンスだが、これは見ていて非常に面白かったヽ(=´▽`=)ノ
主人公ギョンスは、盲目でありながらも鍼医として天才的なスキルを発揮すると念願の王宮入りを果たす。晴れて王に仕える身となってから内科院に勤める鍼医として忙しい日々を送るのだが、次第に盲目ではなく、明かりのある時だけが盲目になり、暗闇になると視力が回復するという病であることが次第にバレてしまうと、王の息子であり世継ぎ候補であった世子が謎の死を遂げてしまうのだが、この死には不可解な点があった。
最初に感染病ならば、どうして出血の痕跡があるのかを先ず怪しんでからの毒針により世子は毒殺されたのではないかと踏んだギョンスは、息絶えたと知った瞬間にひょっとしてと思いもう一度世子が眠る部屋に入ると、頭に毒針が刺さっていることに気付くと、サッと毒針を抜き退散しようとした際に足を棚に引っ掛け足を負傷してしまう。
最終的に犯人の正体が分かり、ただただ結末が恐ろしいなあと感じて終わるかと思いきや、そこは上下関係に厳しい韓国の社会そのものを風刺している内容であり、結局は権力を持つ人間に対しては反旗を翻す事もできず、ただただ時間の経過と共に島での生活を過ごしていた時に危篤の情報が舞い込むと待ちに待っていたとばかりに最後は治療に当たるが決して毒をもって毒を制すことはせず真っ当に治療に当たるも最後は亡くなってしまう。
死因が感染病だったというのも皮肉ながら、権力を持つ人間の権力に対する執着心の恐ろしさは言うまでもないだろう。
一部が実話でストーリーの大半がフィクションではあるが、非常によく構成されていて、韓国歴史をあまり知らない私でさえも見ていてめっちゃ面白いと思った。映画を見終えた後に何回も有料のパンフレットを見ては、映画で触れられていた世子の怪死事件についても学ぶことが出来てとても良かった。
最後にパンフレットの紹介。
2月は撮影に行ったりして映画館に行く機会が少なくなってしまったが、どの作品も甲乙つけがたい内容でとても良かった(*゚∀゚)
3月になれば、個人的には雨穴氏の変な家も気になるが何と言ってもゴーストバスターズ/フローズン・サマーだけは絶対見て4月のオーメン・ザ・ファーストを見ようという気持ちに変わりはない…!
という感じで映画レビューは書けるときに纏めて書くスタンスになるので宜しく。