映画蟻の王 雑感
ぶっちゃけた話、心霊スポットより映画ばかりを見てきた(笑)
YouTubeの映画の予告を見て展開がどうなるのかが気になる作品ばかりで、これも観てみたい、あれも観てみたいとなると、散財する一方である。
そこで、今まで怪談をテーマにするための心霊検証やダムカード収集のためのダム訪問記録等を投稿していたが、わたし自身の文章力や小説の今後の展開の参考にするためにも、観てきた映画の雑感としてわたしのNOTEを読んで頂いている皆様にわたしがみた感想について批評をして貰いたいと思う。
今回はシネ・リーブル梅田様で鑑賞してきた映画蟻の王について話したい。
(あらすじ)
1960年代のイタリアで実際に起きた"ブライバンディ事件"を元にしたヒューマンドラマである。
劇作家で蟻の生態を研究する学者としても知られるアルド・ブライバンディ氏が教え子のエットレと恋仲になりローマで同棲をするようになるのだが、時は同性愛が今と違い許容されなかった時代であったために、ブライバンディとエットレはエットレの両親により引き離され、エットレは同性愛の治療として電気ショックを受けるための矯正施設へと送られてしまう。そんな中で、ブライバンディは教え子に恋愛目的で近付き手を染めたという観点から"教唆罪"として立件され逮捕されてしまう。
映画を見ていて思ったことだが、まだ同性愛に対して社会的にも許容されなかった時代であり、ましてや先生と生徒という関係である以上は、果たしてそこに近付き過ぎて罪に問われてしまうようでは、同じ価値観を持ち同じ考え方で理解してくれる先生と生徒がいたとしよう。同性ではなく異性ならば、もう少し大人になってからの辛抱だよとでも説明するのだろうか。同性だから異端だと思われ最終的には逮捕され刑務所に送られてしまうのはおかしな話だし、ブライバンディと愛する仲になったエットレも同性愛を改め直すための電気ショックを受け頭が真っ白になってしまうワンシーンを見たときは、これは果たして治療というべきなのか、横暴ともいうべきもので、異性愛が全てではないというのは勿論のことだが同性愛者の苦悩を改めて知った。
あまりにも静かな展開だったため気がついたら寝てしまいそうな内容だったため(おい)目が覚め寝ていたことに気付くとシーンが変わっていたので、わたし個人的に思った事を話すとしたら、人間って子孫を残すために野性的な本能でオスとメスが交尾し繁殖する野生動物とは違い、ひとりひとりに違う価値観や考え方や環境もある。一概に異性愛者が全てじゃない、同性にも魅力を感じ恋仲になることも複雑な感情を持つ人間だから野生動物と同じような考え方でいれば少なくとも時代のニーズに合わない。
教唆罪たる罪を知り、同性愛者が糾弾される内容だったから、観終えた後に色々考えた。
"学校ならば尚更価値観や考え方が似ていて親しくなった先生や生徒に対して同じ事が言えるのでは?"
例えば、女性のわたしが同じ女性を見て可愛いな、キレイだな、といった感情や憧れが恋に変わったときにそれは同性愛と見なされるが、映画蟻の王もそう。恋をすることに罪はないというのは勿論だが、やはり異性愛だけが全てじゃないと思った。
異性を愛すのが全てなのかと。
育ってきた環境等で人は学び、成長していく。
同性愛に対する理解が少しずつだが認知されていく中、改めて今同性愛をテーマにした映画を見て色々考えさせられる素敵な作品だった。レンタルが開始されたらもう一度改めて見たい作品だ。
映画蟻の王の内容とは関係ないが、鑑賞中に驚く事があった。
携帯のマナーモードが設定されておらずお客さんの携帯が鳴り出したことではない(苦笑)
寝てしまいそうになったとき、わたしが座る右隣の席には誰もいない、勿論右側の後部座席には誰もいない状態だが、ふとわたしの眼の前に火傷をされたのか真っ赤に焼け爛れた女性の腕が大きく手の平をパーに広げると、後ろには誰もいないはずなのにおかしいと思い振り返ると、髪は火事場から逃げてきたような髪は焼かれチリチリに近い状態で衣服はボロボロに近い状態の女性が何かを訴えるようにめいっぱい口を大きくあけた瞬間にいなくなっていた。
どう見ても、あの女性はこの世の方ではない。
酷い全身火傷を負った末に力尽き亡くなられたのだとしたら、大阪は戦時中に空襲で焼け野原になっているから恐らく女性は空襲で犠牲になられたと考えても良いかもしれない。
シネ・リーブル梅田様には悪いかもしれないが、はじめて来てシアター内を見たときに、この映画館は御霊が出るなと確信した。シアター内の造りが古いというのもあるが、閉鎖的で上映中の暗闇になればなるほどあちらにもいる、こちらにもいるというのが頻繁にあり、また心霊スポットと同様の負の気(マイナスのオーラ)があったことからも、環境的に溜まりやすい環境があるのかもしれない。ただこれだけ言えるのは未成仏霊かつ自らの死を理解出来ていない御霊がいるのはやはり宜しくないわけで、悪さはしないのですが"死"を理解していないためにあちこち色んなところに現れた御霊が憑いてしまうのが厄介。迷わずお祓いに行った方が良い。
似たようなパターンがある。場所は明確にしないが大阪のとある大火災が起きた某家電量販店のビルは一番多くの犠牲者を出したフロアのトイレでホステスらしき女性の御霊を目撃したが、彼女は今もなお水を求めトイレへ駆け込んだ末に亡くなったのならば、やはりこういう場所は心霊というにはあまりにも不謹慎でわたしは心霊とは言いたくない、ここは事故現場で無念の死を遂げた方々が多くいるような場所だから、遊びが目的であっても現れた御霊からすれば"死"を理解っていないがために、助けが来てくれたと御霊が解釈して憑いてしまう。だから、行った後に心霊写真が撮れやすいのはそのためだ。
御霊を払う能力がない人は余計なものをお持ち帰りする形になるので、悲惨な事故があった場所への訪問は出来る限り避けたほうが良い。
大阪は悲しい歴史があると同時に、人々の拭いきれぬ無念も遺されているわけで、決して心霊検証云々とは切り離し改めて亡くなられた方々に対して哀悼の意を捧げるべきだと思い話した。無論、シネ・リーブル梅田様で心霊スポットの要因に繋がる事件や事故も起きておらず、ただ場所が悪いというだけなので普通の映画館として利用をして頂きたい。