「街のあかり」は孤独をも照らす。
【あらすじ】
ヘルシンキの百貨店で夜間警備員を務める
コイスティネンは、友達も恋人もいない。
そんな彼はある日、カフェで声をかけてきた
ミルヤに恋をする。
しかしミルヤは、百貨店強盗をもくろむ
リンドストロンによって
指示されていただけなのであった。
利用されたコイスティネンは
それに気付いてもなお彼女を裏切らない。
だが、そんな自分を思い続ける存在が
いることには気が付かないままで…。
「浮き雲」「過去のない男」に続く
アキ・カウリスマキ監督による
「敗者三部作」の第三作目。
上記二作の主人公は、不幸が勝手に向こうから
やってきてしまった感があったけれど
本作の主人公は自らその道を選んでいる感。
惚れた女のために…とじっと耐えるその姿、
ほっとけないよなあ〜〜〜!
わかるよ、アイラ(コイスティネンを思い続ける
なじみのソーセージ売り)のその気持ち。
でもミルヤに惹かれるコイスティネンの
その気持ちもわかるよ…。
鬱屈とした生活に差し込んだ光だったのよね…。
【以下内容に触れています】
これが一番辛い物語だったな…。
「浮き雲」も「過去のない男」も
仕事や記憶を失いながらも、
愛する人が常にそばにいてその大切さに
きちんと気付いていたから、
どんな不幸があっても平気だよね。と
思えたのだけど、
本作は、自分のことを思ってくれている
相手(アイラ)にはなかなか気が付かず、
自分が惚れた相手(ミルヤ)には裏切られ、
孤独が物語を支配していた。
生きていく中で孤独が一番辛いんだ。
物語冒頭、見回り中の主人公は
放置されたままの犬のために
飼い主である屈強な男に声をかける。
(そしてもちろんボロボロにやられる)
ここでもう虜ですよ。
友達もいない。恋人もいない。
でも勇気はある。
それだけでいいじゃないか。
カウリスマキ監督の登場人物は
いつもたくましく生きている。
ミルヤの犯行だとわかっていながらも罪を被り
刑務所の中で過ごすコイスティネン。
そのあまりにも一途な忠実さ。
もはや愚かにさえ感じる。
自分を幸せから遠ざけてしまわないで。
出所後、アイラと再会したコイスティネン。
アイラ「これからどうするの?」
コイスティネン「もうだめだ。全て終わった」
アイラ「……」
コイスティネン「というのは冗談。
準備して車の整備工場をひらく。
隣の奴に良い案がある」
アイラ「希望を失ってないのね」
コイスティネン「当たり前さ」
たくましい。
カウリスマキ監督の『生きる』
ということに対しての視線が好きだ。
そういえば、冗談を言う時でさえ真顔な主人公が
唯一爆笑していたのが
刑務所の中での雑談シーンだったのが印象的。
冒頭で犬を助けようとしたときに
そばにいた少年が、コイスティネンが
ピンチとなったラストシーンで
アイラを呼びにいってくれるのも良かったなあ。
大逆転劇が起きるわけじゃないが、
決して孤独なんかじゃない。
【街のあかり/
アキ・カウリスマキ】
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