文章書くだけなら誰でも出来る
・・・誰でもは言い過ぎか。世の中には「識字障害」を持つ人もいる。そういう人たちにとっては文章を書く事は出来ないかもしれない。ここでタイトルに書いた内容を訂正し、お詫び申し上げます。
ただ、文字を覚えてる人、文章を理解出来る人ならと条件付けをしたら、上記タイトルの内容は間違いない事かと思います。
そして、もっと言えば「毎日文章を書くことだって」誰でも出来るはずなんです。出来ないとしたら単純に、気分の問題じゃないでしょうかね。
俺みたいな学のないド底辺人間でも書けるんです。俺みたいな根気が無く物事が継続出来ないような人間でも気分が乗れば毎日、何かしらの文章は書けるんです。
そう考えたら、日々真っ当に生活を送り、それなりの社会的立場を得て、周囲の人との交流が絶えずある貴方だったら(今ここで読者に話を振りましたよ)、文章は書けない訳がないでしょう。
今回敢えて(特にnoteのユーザなら)反感を持ちかねないタイトルを付けてみました。「釣りタイトル」と呼んでもいいでしょう。別に貶すつもりはない。むしろ逆ですよ。せっかく書けるのに、書きたいのに、書かないのは勿体無い。
個人的な体験の話をします。俺はかつて趣味で作曲をしていました。ただ、俺には「毎日新しい曲を書く」のは無理でした。だから音楽でメシを食うのを諦めた。
曲に関して言うと、ただの断片やラフスケッチは表に出していいものじゃありません。ちゃんと「完成させないと」表に出すことは出来ない。視聴者の時間を無駄にしてしまうし、自分の作品自体に失礼だから。
もちろん文章だって(文章こそ)突き詰めようと思えばいくらでも突き詰められるし、「完成度」の線引きは難しいでしょう。
ただ、文章に関しては、俺はそこまで完成度を高めない段階でも表に出して大丈夫だと思うんですよ。そこは上記の通り、気分の問題。数打つことを優先させれば誰だって毎日文章の投稿は出来るんですよ。売り物は別。
ここまで来て初めてこの記事のテーマに触れるけど(随分引っ張ったねえ)、自分の決めた完成度に達する文章が書けないから投稿しない、っていう人に対して、いや、ハードル下げて投稿しちゃっていいんじゃない? って、俺は思うのね。
どうしても許容出来ないなら仕方ないし無理強いはしないけど、いつまでも完成度を高め続けて寡作になるよりは、その手前で出しちゃった方がいいと思う。
「やっぱ満足行かない」と思ったら、次に書く文章で改善してけばいいのよ。トライアンドエラーでしょ。それが許される場なら数打つべきです。ハードルを上げるのは次の段階に進んでからの話だと思う。
以上、適当な釣りタイトルで誘導して説教臭い上から目線の提言を読ませる文章でした。ここまで読んでいただいた上で、なお不快な思いをされた方には、心よりお詫び申し上げます。貴方の貴重な時間を奪ってしまい申し訳ございませんでした。
・・・こんだけ謝っときゃ大丈夫かな?w
あっ・・、あと最後に一つ。書けるけど、別に書かなきゃいけないじゃないからね。書かなくてもいい。書きたきゃ書けばいいだけ、ですからね。念のため。
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(無断引用失礼します)
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