大御所という作家は、新人のデビューに課せられたハードルを今でも越えることができるのか?というお話。
前置きするとこれは分析ですので、作者へのヘイトなどはございません。
大御所と言われる作家は「だせば売れる」「アニメ化はほぼ間違いがない」などのまさにヒットメーカー。ドル箱と言われる存在です。
ですが、昨今の漫画業界のハードルと比べて様々な部分が乖離しすぎているており、正直に言うと
新人は異常な高さのハードルを越えなければならないのに対し
そのハードルを越えているのか?と言わざるを得ない大御所がいっぱいいると思います。
例えば人の作画
基本ですがどんな漫画も全身が描け、あらゆる角度の描写は当然です。
そしてなんといっても表情とリアクションです。その辺を「描けていない」と指摘される新人は山ほどいます。ほかの部分が描けていても、そこが描けなければダメと言うのが漫画の常識のようです。
しかし、
例えば高橋留美子先生の漫画をよく見ると「顔の角度はほぼ同じ」が連続し、有名なめぞん一刻のクライマックスシーンでも主人公の男性の表情はドキンという顔ではなく普段の表情とさほど変わりはありません。
しげの秀一先生の頭文字D内でキャラクターが全身を使って大ぶりな説明をするシーンはほぼありません(バストアップで会話が大半)し、全キャラの主線も荒いです。と言うか全キャラの動きがめちゃくちゃ固い。
仮にですが、全く実績がなくあの画力や表現力で新人持ち込みして即連載になるでしょうか?アクションシーンも恋愛描写もリアクションも何もかも「描けて当たり前」の時代に、通用するでしょうか?
私は無理だと思っています。奨励賞すら難しいと思います。
いや他のところ見ろよ
と言う方はいるでしょう。
それはすでに大御所と言うバフがかかっています。
新人作家なんか上手くても1ページ読まれるか読まれないかの世界で、他のところ見ますか?ストーリーの評価、描写、あらゆる部分を完全に評価しますか?
これは、ブランド品や歴史的価値があるものでも、その証を完全に隠して鑑定すると二束三文になるという例に近いものがあります。
今の漫画業界が飽和状態になっているのは一部の大御所がバフを受けまくり、その反動で新人へのハードルが年々以上に上がっていっているのではないか?と私は思っています。
長期連載が確約され、担当編集や編集部が本気で支えてくれ、アシスタントを大量に雇えるなら「作家」と言われる人種は間違いなく面白い作品を出します。そして広報もぬかりなく行えばヒットは確実です。
○○と言うブランドだから面白いではなく、
すこしだけ引いた目で読む、なんなら全部2ページまで読んで決める、持ち込み時などで作品を評価するチェックポイントを全作品に当てはめる、などでキャリアを関係なく漫画が評価されれば、新人でも中堅でも大御所でも「平等に評価」されるのでは?と思います。
SNSでの漫画も近い部分があり、みんながいいねして万いいねを連発する作家の作品は必ずしも面白いでしょうか?
ファンは確かに商業上欠かせないものですが、池の中の鯉状態にされては
いくら新しい餌を与えられても食いつかず、延々と同じ餌を食い続ける。それでは新しい餌の開発は全くされずに、古い既存の餌だけでいいじゃないか。それで発展が止まってもいいじゃないか、儲かるんだもの。
そんな状態ではないか?という気がしてなりません。