私のやりたいこと
ずっと私が思い描いてた想い、どうやって私を知らない人に伝えていけるのか、かれこれ五年くらい前から思案していた。
『なにがやりたいの?』
と聞かれることが途端に増えたから。
会社員できちっと決められた枠内にはまって日々を過ごす人であれば、あまり投げ掛けられない問いかもしれない。
自分の欲しいものの為ならば、手段を選ばすどんな自分にでも化けられる人達と、一緒に過ごした期間がそういった思考回路を太くさせたのは間違いない。
『言われたこと、与えられたことのみをやる』ことだけでは知りえない世界や見られない景色がある。
常に疑い、問いかけ、それをどうしたいのか、常に考えながら実際に形にして居る人にもたくさん会う機会に恵まれた。
手段や方法なんて色々有る時代、自分がやる気にさえなればなんでもできるということは重々承知している。
しかしそこ迄のプランや目標がぶれて曖昧な私には踏み出す勇気も勝算もなく、
やはり『やらない側』の人間になってしまっていた。
だけど今、全てが揃いつつある。
場所も、知って貰うためのツールも、何を提供するのかも全てが絞られている。
そこから『どう魅せるか』、『どう受け入れて貰えるのか』等はこれから様々な方の力添えや勉強の上で試行錯誤になると思う。
ただ私のずっと抱く想いの根底には
『自分の事を否定しないで好きになろう』という思いがある。
痩せたら、全ての人生がバラ色に変わるのか?
実際痩せたとき、私の思っていた景色は想像していたものとは全く違っていた。
『あれ、こんなもんなの?あんま我慢して頑張ったのに?』
それが私の率直な思いだった。
もちろん体が絞れたことにより、自分に自信が持てて肯定感アップに繋がったり、
着たいお洋服が着られたら最高だよ。
私も何回着たい服が太ももで止まってしまって諦めたことか。
痩せて鏡に写る自分を見ることが楽しくて笑顔が増える、どれもこれも素晴らしいことだ。
だけどある時、好きなブランドのお洋服の催事に行ったとき驚くべき言葉を聞いたことを未だに痛烈に覚えている。
そのお客さんはスレンダーもスレンダー、ファスナーが上がらないなんて言うことは生涯1度もないんだろうな…とちらりと横目で拝見していた。
その方が試着室から出てきたとき、
『私はお尻がないからこのスカートは似合わないな…』
こちらは入らなくて落ち込み諦める服がある、あちらのお姉さんは入りはするけど、美しいシルエットとして見映えする体を持てない事で落ち込んでいる…。
望む川を越えたとしてもいつも人は完璧な満足なんて得られないんだとその時に学んだ。
だったら今ある体を楽しめるように自分自身を知ることが肝要なのだと思った。
見て可愛いと思う服、自分にバッチリハマる服。
それらが一致する人はなかなか少ないと思う。
それに今我慢を重ねて
『着たい服に自分を合わせる』事が出来たとしてもそれは永遠には続かないし、後の自分への負債としかなりえない。
結局どう生きたいのか、それを明確にすることと、他人と自分との下らない比較をやめること。
それが私が一番伝えたいこと。
私自身が食べること、お酒を呑むことも大好きで、そのために生きていると言っても過言ではない。
それを抑えてまで生活の軸を運動にシフトチェンジすることは人生の豊かさを削ることになるからそれは違うと思っている。
減量したい、それも立派な志でしょう。
だけどもし順調に体重が落ちなかったら感情はどう動く?
落とせなかった、頑張れなかった、なんで、どうして、ネガティブな思考で自分を責める。
それしか道はないわけ。
そんなことでいちいち自分を責めたら可哀想。
毎日生きてるだけでいろんな事がある。
感情も常に乱高下、女性は特有の生理ということもあって毎月毎月食欲もダルさも精神面での不安定さもある。
ボーヴォワールは『女性が本来の女性として生き生きと生きられるのは閉経後』と言ってるように生理があるうちは毎月一週間位しか本当にルンルンで過ごせる日はないと言っても過言ではない。
『昔は…』『前は…』
この世の中は全て移ろい行くもの、変わり行くものです。
不変なものなんて何もないの。
1秒毎に全て変わる、変わったことを受け入れられるメンタルが必要。
生きてるだけで理不尽や理解できないことはどんどん降り注いでくる。
それは年齢やタイミングなんて見計らってくれやしない、突然色々なものを削ぎ取りに来る。
そういった辛さや悲しさに耐える力を蓄えてくれるのが筋トレだと、自分の歩みで私は学んだ。
巷でもたくさんの人が言っている。
ネガティブな思考を振り払って一心を注いで今やるべきことに集中する。
そうすれば自己対峙もせざるを得ない、見えてなかった本当の自分と出会える。
やってみては考えて、その繰り返し=自己研鑽もする。
面子合わせの下らないおしゃべりや自慢話なんかに参加しなくていい、自分の大切な時間を有意義に遣うの、自分のために。
本当に大切な人はあなたが太ったか太ってないかで付き合うことを辞めることなんて考えない人だと思う。
人は中身だよ。
本当に大切なことは自分自身が気付いて掴み取りに行くしかない。
他人はヒントをくれるし、気付きもくれる、励ましてもくれる、大切な存在。
それはれっきとした事実。
だけどそれらを得て鼓舞して実行に移すのは紛れもなく自分自身。
それを『いいよいいよ、頑張ってるよ!一緒に頑張ろう!』
手を引っ張って前に進んでいく手伝いをしたいと思ってる。
さてどんな年になるのか。