「焦らし」と「駆け引き」のデキレース(「課題婚」論考)
「これくらい痩せたら付き合ってあげる」
去年の僕の誕生日に、そう言って彼女はルパン三世のフィギュアを僕に渡した。
まだ2ヶ月も経たないのに、随分昔のことに思える。
「愛している」とは言ったが、「付き合いたい」とは言わなかったのだが。
計算したが、僕の身長でルパンと同じ体型になるには22kg痩せなければいけないらしい。
どの道痩せようとは思っていたので、正月からジムに通い始め、この3週間で4kg減量した。
必ずしも彼女のためではない。
UFOキャッチャーが趣味の彼女が、自分でも組み立ててみたかったからという理由で、「ついでに」僕の好きなアニメキャラのフィギュアを取り上げ、「わざわざ」僕に贈ったのと同じように。
ジムでマシンのウエイトを重くしながら、僕は「難題求婚譚」という言葉を思い出した。
難題求婚譚
「難題求婚譚(課題婚)」とは、読んで字の如く、求婚される側(多くの場合女性側)が求婚者に難題を課し、それをクリアすることを条件に結婚を承諾するという物語類型である。
例としては、「竹取物語(かぐや姫)」「トゥーランドット」「ヴェニスの商人」などがある。
この用語の正確な来歴と定義を、実はよく知らない。
ぶっちゃけて言うと、ガルパンのドラマCDの、冷泉まこのプラウダ訪問で聞きかじった単語で、女子高生の発する単語じゃないなと思いながら、まぁ発言者がノンナならおかしくないかと妙に納得してしまって、よく覚えていたのだ。
一応日本語版のwikipediaには「課題婚」という記事が取り上げられているが、参考文献の類はなく、別言語版の記事もないようだった。
だから正直この用語を正確な意味で理解しているか不安は残るのだが、今回は上に挙げた意味で使わせてもらう。
今度物語論か民話類型の本で調べます。
そもそも何故課題を出すのか?
課題婚説話において、女性側(「ヴェニスの商人」のように、本人ではなく父親が出す場合もある)がわざわざ課題を出すのは何故だろう。
素直に考えれば、求婚者を試す意味合いがまず思い浮かぶ。これだけの課題をこなす「力」(知力、体力、経済力)と、「愛」があるかどうか。それを明らかにしたいのだ。
男がルパン体型になったところで女は少しも得しない。
それでも女がそれを求めるのは、男が女のためにどれだけ努力できるか、測ってみたいのだろう。
男社会での通過儀礼
「課題婚」という用語は元々物語、神話や民話の類型に使うものらしいので、それに即して考えると、「課題」をクリアすることは、「社会」への参加資格を得ることとも関係していることに気付く。
こういう時にwikipediaの記事を安易に引用したくはないのだが、今手元に他の情報ソースが無いので一旦これで言葉の定義を確認する。
課題婚(かだいこん)(課題婚型神話)とは、世界各地に見られる神話・説話の類型の一である。難題婚(なんだいこん)ともいう。
男性が他地に赴いてそこの女性に一目惚れし、これを得ようとして、女性の親(またはそれに類する者。女性自身の場合もある)から難題を課せられ、女性などの助けを得て難題を克服し、親の許しを得て結婚するというものである。
-wikipedia「課題婚」(最終編集日 2018.05.21)
ここで注目したいのは、男性が「他地」に赴いて、という部分だ。
そしてその土地の女性との結婚は、その土地と共同体、「社会」への帰化とつながる。
となると課題婚説話は、他所から来た男が、その土地の社会から課題を出され、それをクリアすることで帰化を認められる、という「通過儀礼」の意味合いも含んでいるのではないか。
彼女のいる「場」にとって僕は確かにまだ「よそ者」で「お客様」、いつかはいなくなる存在だ。そこに帰化するための通過儀礼が必要といえば必要なのかもしれない。
出題者は多分そこまで意識してないと思うが。
「男はほかの男に対して結婚する」
ここ数年よく読み返す本の中に、上野千鶴子「セクシィ・ギャルの大研究」がある。1982年刊行ということで少し古いが、語り口が面白くて読みやすく、かつ内容もしっかりとした名著だ。
副題が「女の読み方・読まれ方・読ませ方」となっているが、繰り返し読んだにも関わらず僕が「女の読み方」について文盲なのは書き手ではなく読み手の問題である。
この本の中で、このような印象的なテーゼが提示されている。
男は、女と結婚するのではない。ほかの男に対して結婚するのだ。
上野千鶴子「セクシィ・ギャルの研究」岩波現代文庫 39p
この前部で上野は、結婚が「男が女を自分のナワバリに囲い込み、守り養うこと」になっているとし、「ナワバリというきまりの中で、男たちは、いったん他の男のものになった女には手を出さない、というルールを守りあっている(37p)」と喝破する。「結婚とは、男が女を分配する方法なのである。(39p)」
これを課題婚と絡めて考えると、女性側から課される課題をクリアすることは、ナワバリの制定、他の男たちにナワバリ(女の「所有資格」)を認めさせるための文化的な仕組みなのではないか。
上野は基本的には父権社会を念頭に置いて論じているように見えるが、課題を出す権利を女性側が持つ課題婚は母権社会的な気もしていて、若干合わない部分もあるかもしれないが…
求婚者同士の無駄なナワバリ争いを回避するための女性側の配慮、とすると母権社会的だろうか。
課題をクリアした男に他の求婚者は文句をつける理由を失うのだから。
とはいえ、彼女が僕以外に「課題」を出した形跡は見られない。
求婚してるのは、解答者か、出題者か
ところで、課題婚において、本当に「求婚」しているのは解答者だろうか、それとも出題者のほうだろうか。
言い替えると、出題した女性の側が、男を誘惑し、求婚するよう仕向けているのではないか。
アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で、交際を申し込んできた男性に「断り」の手紙の代筆を頼む女性のエピソードが出てくる。
しかし依頼人は本当は交際を承知したかったが「軽い女」に見られたくないので、男の「誠意」を試すためにそのような手紙の代筆を依頼したのだった。彼女の「うらはら」な気持ちを汲み取れなかったヴァイオレットは彼女の言葉をそのまま要約した文章を書き、男性を怒らせてしまう。
簡単に言うと、「いやよいやよも好きのうち」だったのだが、課題婚はまさに「いや」と言う代わりに(あるいは同時に)「課題」という助け船を出すヴァリエーションとは言えないだろうか。
「ヴェニスの商人」でポーシャがパッサーニオに選ばせる箱、「お気に召すまま」のアーデンの森での(変装した)ロザリンドとオーランドーの「恋人ごっこ」も、課題と同時にヒントも出すような、「恋人同士せめぎ合う/期待通りのデキ・レース(サザンオールスターズ「エロティカ・セブン」)」だったのかも知れない。
そう言えば彼女、「1週間に1日絶食すれば痩せる」という「ヒント」をくれていたっけ。
先ほど引用した「セクシィ・ギャルの大研究」の中の「4 ハズレ者とハズサレ者」という章でも、女が「儀礼的」な障害で(かりの)防衛姿勢を取りながら「安全な参加」をし、男を誘う「いやよいやよも好きのうち」という「手口」について論じられている。(145-203p)
この「儀礼的な障害」の役割を、課題婚の「課題」は担っているのだろう。
ナワバリに囲い込まれたのは、案外女ではなく、男のほうかもしれない。