好きだから

(投稿チャレンジ原稿なので、いつもより長めです。あ、ダメだったのでこちらに掲載します)

「自己肯定感は高いのに、自己評価は低いね」これまで何人かの人に言われてきた言葉だ。

この言葉の意味が、私にはよくわからなかった。

誉められているのか、自己評価を上げる必要があるのか、その方法があるのかもわからずにいた。


正直、これまではあまり気にせずにきた。ただ、繰り返し、人に言われるな、という程度だった。


そんなある日、息子の三者面談があった。

担任の先生から、「息子さん、部活もよく頑張っていて、勉強もそこそこ(そ、こ、そ、こ(笑))できているし、クラスで人気もあって、それなのにどうしてこんなに自己満足度調査が低いのかな・・・」と若干、心配そうに言われたのだった。

学校で、学校生活や家庭の生活で自分自身に満足しているか、の調査を行ったそうだ。

毎日楽しいと感じるか、自分に満足しているか、といった具合に20数項目について、自分を6段階で評価したのだそう。

その結果がクラスの中で飛びぬけて低く、担任の先生と私がゆっくりお話するのはそのとき初めてだったこともあって、先生は家庭の様子をうかがいながら、本人のこともあくまでもさりげなく心配している様子だった。

私も先生のその様子に、そして自己満足していない、という結果に少しドキッとする。

息子は、「いえ、問題ないです」「大丈夫です」と微笑みながら言ったものの、先生は何か抱えているのでは、家で何かあるのでは、お友達と何か問題でもあるのでは、と心配してくださっている様子。

「よかったら、話してね」と先生。「本当に大丈夫です」とニコニコしているだけで、しばし、沈黙。

その後「お母さん、何か心当たりありますか?」と聞かれた。

しばらく考えた後、「たぶんですけれど」と前置きし、

「『自分はもっとできる』と思っているのではないでしょうか。こんなもんじゃない、と。テストのあともそうだったんです。

入学して、初めての期末テストで1日目が終わって安心してしまった。次の日も試験だったのに、2日目の勉強はほとんどしなかった。

1日目の夜、もっとちゃんと勉強していたらもっとできたな、って本人が言っていたんですね。部活も、もっとうまくなりたいっていつも言っているので、本人がもっとできる、と思って、それでそういう結果が出たのではないでしょうか」と伝えた。

先生は「なるほど」と言い、「そうなのかな?」と本人に確認、「それです!」と本人も言っていた。「自分への期待の表れなのね!」と先生もにっこり。


面談の帰り道、息子から「あれさ、よくわかったね。自分でもなんでかわからなかったよ」と言われた。


「ママも、同じだから。でも、ママも、自分のことだとわかってなかったことなんだけど、君の話を聞いて思ったんだよね」と話した。

またある日、息子が出場する秋の新人戦があった。入学して始めた競技だが、部員数が少ないため入部早々出場の機会はあった。「まだ上手じゃないから新人戦から来て」と言われていた。待つこと半年。ようやく秋の新人戦だ。

「まだだ。まだその時ではない」と言う。(苦笑)

「2年生になって自分の代になったら来て」と言う。

そうか。

夏の面談を思い出し、もっとできる、まだまだ努力して上手になる、と思っているんだな、と感じた。(いや、2年生になる前に親としては行きたいけれど)

 この息子の二つの出来事を通じて、ハッとした。

そうだ。私が今までずっと言われていた、「自己肯定感は高いのに、自己評価は低い」という言葉の意味はこれなんだと、息子の行動と言動を通して、やっとわかった。

やっと腑に落ちた。私はもっとできると思っている。だから、満足していないのだと。

講演のときに、あーこの場を設けてもらえて幸せだな、伝わって嬉しいな、という気持ちで満たされる一方で、あの部分はもっとこうしたほうがよかったな、このお話を入れたほうが伝わりやすいな、という反省がすぐにやってくる。

もちろんそれらを反映していくわけだが、それでも、ああ今日はバッチリ! よくできたな、満足だな、と思える日は、年に片手で数える程度。

毎回、聴衆も違えば内容も若干、異なる。

参加者の皆さんの温度感を確かめながら内容を変えたりしながら、話していくわけだが、

やはり大きく二重丸! と思える日はまだまだ少ないのが現状だ。

自分を肯定しているけれど、自分のやっていることに満足はしていない。まだまだできると思っている。この気持ちがあるからこそ、もっと上手になりたいと努力することができる。

むしろ、自分を肯定しているからこそ、正当に、自己評価ができるのかもしれない。

できていないこと、できていること、きちんと分けて考えることができているのかもしれない。

 そう考えると、自己評価は高さ低さに問題があるわけではないのではないか。

またつい昨日のことだが、久しぶりに夜、じっくり話したいと別の息子から言われる。同じような話だった。自信がないのではなく、自己満足度が低い。まだまだできる、という話。

嫌だなあ。変なところは似なくていいのに。鼻高々で、へへ、すごいでしょ、ってなってもいいのに。いつもが無理でも、たまには、そうなったっていい。

昭和の努力節だと笑われてしまうことだろう。だけれど、揃って言えることは好きだから努力している。それぞれが自分の好きなこと、この一点においてだけ、努力している。

好きだから(努力している)、好きだから(上手くなりたい)、好きだから(楽しい)。

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