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写真日記 命の始まりと終わり ヒーローは去った

祖父が亡くなった。
92歳、自宅で同居していた家族に見守られながら、大往生だったと思う。
祖父はなんでも自分できっちり段取りする人で最期の最期まで頭脳明晰な人だったから、自分の葬儀の準備だけでなく遺される祖母の葬儀の準備までして逝ってしまった。
けれど、それでも同居していた叔母家族は本当に大変だったろうと思う。

離れて暮らしていた私たち夫婦も、まだ祖父が話を出来るうちに二人揃って会いに行けて良かった。従姉妹もつい数週間前に産まれた赤ちゃんの顔を見せられて良かったと言っていた。

『会いに行けて良かった』

だけど何かが違うなと思った。こちらが会いに行った、顔見せた、というより私たちがちゃんとお別れを言って納得出来るように待ってくれていたんだと思った。機会を作ってくれたんだと思った。もう水も喉を通らなくて、声も出なくて苦しくても、待っていてくれた。


ここ最近数ヶ月の間に、同い年の友人と祖父が亡くなり、死に慣れてしまっている気がする。
死が近づいていると気付くと、私はやたら早い心の準備をして、もうすぐ大切な人が亡くなることを納得しようとしているのかもしれない。特に友人が亡くなった時には、「まさかこんなに早く亡くなるとは思わなかった…」と泣く他の友人たちを見て、予防線を張っていた自分とそうではない友人たちの違いを感じた。
どちらが良いとは言えないけど、純粋さという面では予防線を張らない人の方が優っているのかもしれないと思って、よくわからない劣等感のようなものを感じた。

私はこうしていつか、「あぁ、あの人も逝ってしまった」と予防線の内側でサクッと受け取るだけの人間になっていくのかもしれない。そして毎回、よく分からない劣等感に苛まれるんだろう。
それでも予防線を張ってはいても、当たり前のように喪失を味わう。
「この話、あの人に話したいな」「この写真、送ってあげよう」のその先が無いのが喪失なのだと知った。

好きな漫画を読んでいて、もう佳境だというときに、「もっとサブキャラたちのバックグラウンドも掘り下げて欲しかった、それならもっと長く楽しめたのに」と思ったりする。
これはそのまま人生にも言えることで、主人公である自分の生活に必死になっている間に、その他の人たちのストーリーを掘り下げられないまま通り過ぎていく。
正直言うと戦闘シーンのコマ割りなんて実際そこまで重要ではなくて、サイドストーリーを掘り下げたかったのに、気付けば戦闘シーンばかりになっているような感じ。

そして「もっと話しておけばよかった、もっと会いに行けばよかった」と悔やんだりする。
でも悔やんだ時にはもう遅くて、次のお話が始まっている。
実際、人生とはそのくらいスピード感のあるものなのかもしれない。



通夜が終わって、その日の夜は葬儀場に泊まった。叔母や従兄妹、祖母と缶チューハイとスナック菓子で大学生のようなパジャマパーティーをして、色々な話をした。

こんな偉大な人が亡くなって、これからどうしていこう…とつぶやく叔母に、
大学生の従兄弟は
俺が継ぐ、と言う。
…何を?と叔母が尋ねると、
じいじの遺志を継ぐ、と言う。
じゃあまずは正月の宴会の乾杯の音頭から始めようとなる。

高校生の従姉妹はというと、
じいじが焼けるの待つ間に食べるご飯、何時スタートなん?と言う。
クッキー焼くみたいに言うな、とツッコむ

祖母は何度も繰り返し、
お父ちゃん、いつ入院したんやったかいな
いつ退院した?
なんでこんな急に亡くなったんかな?と尋ねて、そのたびに家族は同じことを教えてあげていた。
コンビニで祖父母の最期のツーショットを大きくプリントしてあげたら、祖母は喜んでくれた。

翌朝、祖父の顔を見に行くと祖母も後からやって来て、祖父と私に向かって話してくれた。
お父ちゃん、私ももう90歳やから、もうすぐ行くからね。でもお父ちゃんの所に行ったら、お父ちゃんにもう既に好い人出来てたらどうしよう。

朝ご飯も祖父の奢りだった。


食後、集合時間までしばらく時間があったので、散歩に出掛けた。

駐車場の裏の畑の真ん中で彼岸花が群生していた。フェンスと距離に隔たれた花、来年もここで咲くんだろうと思った。
本当に、「彼の岸の花だ」と思った。これから毎年この花を見ると祖父を思い出すのかもしれない。


10時半頃には親戚が集まってきた。
産まれたてほやほやの赤ちゃんを連れて従姉妹家族もやってきた。

従姉妹の上の子がこそこそ小さい声で、
赤ちゃんの頭撫でてみ、可愛いからという。君もかわいい。



祖父を火葬場まで見送って、最期焼き場に入っていくボタンを母と叔母が押した。

待つ間に祖父の最期の奢りのご飯を味わう。どんなご馳走より美味しい。そして実際ご馳走だった。


火葬後、根っからのイケメンだった祖父は、ばりばりのイケ骨になった。

股関節と顎に病気の治療のため金属が入っていた祖父だったが、それ以外の骨は小さな指先の骨までしっかりとしていて、目鼻のはっきりした顔や賢そうな頭骨は綺麗に形を残していた。

火葬場の係の人が、
90代でこんなにしっかりした骨の方はほとんどいらっしゃいませんよ、と太鼓判を押してくれた。アシンメトリーの凄く独特な髪型の男性だった。
祖父が日々コツコツと積み上げてきた地道な努力が骨密度まで上げていた。
骨までイケメンとは、本当に隙がない人だ。

祖父と同じ股関節の病気を持つ母は、
人の意思ってものはここまで強く残るものなんやな、と感服していた。

こうして、大好きな自慢の祖父の葬儀が終わった。イケ骨になった祖父は白い布に包まれて孫の手に抱かれて帰ってきた。

色々話したかった日に限って出張だった夫は、その上高熱を出して帰ってきた。踏んだり蹴ったりである。


スーパーヒーローは去った。それでもまたストーリーは続く。
何故なら、人生はそういうものだから。

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