普通のことができる幸せ
明日は期末試験なのに書き記したくなったことがあったのでパソコンを開きました。
パニック障害になって、5ヶ月弱が経ちました。先々週あたりから劇的な変化がありました。緊張というものが弱まってきたのです。これまで、何をするにもずっと緊張状態が続いていました。緊張といっても、プレゼンや入試前の心臓がドキドキする緊張とは違って、気がつくと肩に力が入っていたり、暖かい部屋から寒い外に出たときに身体に力が入るような緊張です。その緊張が起きている時間ずっと続いていて、本当に毎日疲れて疲れて仕方がありませんでした。体力が落ちたから、では収まらないないほどの疲労感でした。疲れがひどいため、活動をセーブしてしまうことも多かったです。木曜日は学校に行くから、木曜日以外は家でゆっくりしていないと。明日は買い物に行くから、今日は休まないと。一週間に一度家から出るのが私の精一杯でした。本当に本当に辛かったです。
しかし、どうしてもしないといけない買い物があり、連日出かけなければならないことが12月末にありました。その時から、なぜかわかりませんが、すっと緊張が弱まってきたのです。10月はじめにも連日出かけなければならないことがあったのですが、そのときはめまいや緊張がひどく、買い物もままなりませんでした。母についていくのが精一杯で、陳列棚は見れずただ買い物が終わるのを待つ、そんな買い物をしていました。10月と12月とでは出かけるという行為への抵抗もやや弱まっていました。本当に嬉しかったです。普通のことができる、それがどれだけ幸せなことか。
最近は母と買い物に行っても、会計は別々にやってみたりと、ひとりで買い物をする練習をしています。昨日はひとりで電車に一駅だけ乗ってみました。母と何度か乗って乗りなれているものの、発作の兆候も起きずに無事に乗ることができました。今日はひとりで近くの薬局で買い物に行ってきました。この前10月末にひとりで買い物に行ったとき発作の手前までいってしまい、正直ひとりでの買い物がトラウマになりつつありました。しかし、今日は行ける気がする、と思い、今日も無事帰ってくることができました。
こうして書き記しているうちに、本当に辛くて辛くて仕方なかった日々を思い出して、涙が出てきてしまいます。町でひとりで歩いている人を見れば、ひとりで買い物ができていいなあと羨ましくなったり、友達と楽しそうに遊んでいる人を見れば、どうして私は普通のことができないんだろう、いつ遊べるようになるのかな、そんなふうに毎日思っていました。まだまだできないこともたくさんあります。だけど、たとえ近場でもひとりで買い物ができたり、学校に行けたり、友達と遠出できなくても話すことができたり。そんな当たり前のことが少しでもできるようになって、涙が溢れてきます。
少し良くなってきて思うのですが、無理は決してしなくていいです。本当に苦しい病気です。正直パニック障害の辛さはパニック障害の人にしかわかり得ない辛さだと思います。周りにも理解してもらえなかったり、見た目は健常だからわかってもらいにくかったり。自分自身もなんで普通のことができないかわからなくて、人と比べてしまったり。だけど、自分ができそうだな、と思うときに電車だったり散歩だったり、買い物を挑戦していけばいいんだって、心から思います。正直私もそんなときいつ来るんだろう、そもそも自分ができそうだな、と思うっていうことそのものがよくわかりませんでした。しかし、5ヶ月弱経った今、少しだけ分かります。これからまた発作が起きてしまうかもしれないし、また体調が悪くなってしまうかもわかりません。でも、そのときはまた、辛いけど前を向いていきたいなって強く思います。家族には本当に感謝しています。買い物に行く約束をしても、ドタキャンしてしまったり、買い物の最中で体調が悪くなっても、悪い顔せずに付き合ってくれて、本当に強い支えになっています。
これを読んでくれている方はもしかしたらご自分ではなく、友人や恋人がパニック障害の方もいるかもしれません。私の場合なのですが、なるべく普通に接してほしいです。辛くなったらきちんと辛い、と言います。だから何度も「大丈夫?」と聞かれると、「あれ、わたし大丈夫なのかな、だめかもしれないのかな」と不安になっていってしまいます。ただそばにいてくれるだけで嬉しいです。調子が悪くなっても、そばにいてくれる、できなかったことができたら、一緒に喜ぶ。それだけ?と思うようなことが本当に嬉しいです。そばにいるってただそれだけでも、本当はすごい力を持っています。
書きたいことが多すぎて、ついつい長くなってしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。