人間はヴァーチャルのなかで生きるのか?―神はいつ問われるのか? / 森博嗣

こんばんは。
青井あるこです。

大好きな森博嗣氏の新刊を読みました。WWシリーズ二作目の「神はいつ問われるのか?」です。何故一作目から感想を書かないのかというと、実は書いてはいたのですが収集が付かなくなってそのまま放置してしまい、諦めることにしました。

余談ですが、私は森博嗣氏のファンですが、彼の作品を全て読破したわけではありません。Wシリーズは全巻読んでいます。

※この先、ネタバレ注意です。※

今回はヴァーチャル(仮想)とリアル(現実)が主たるテーマのお話。
アリス・ワールドというエンターテイメント性のある仮想世界がシステムダウンしたことにより、ヴァーチャルに依存していた利用者が自殺を図るなど、社会問題に発展する。
解決をするためには、ダウンしたヴァーチャルに入り込み、直接その世界の神である人工知能と対話するほかない――というわけでその対話者に選ばれたのが本シリーズの主人公であるグアトとその相棒ロジ。

Wシリーズから読み続けていたファンとしては、今まで知らなかったロジの様々な面が見れて嬉しい。元は情報局員として危険で刺激的な任務に就いていたロジ。今はグアトを護るという名目はありながらも、ドイツの片田舎で隠居生活。

リアルが平穏になったぶん、実は彼女はヴァーチャル世界でレーシングカーのテストドライバーとして趣味を楽しんでいた。

情報局員でなくなったからか、以前よりも感情を表に出すようになったロジ。それに驚きつつも嬉しく思っているようなグアト。

二人の間にあるものは果たして憧れや尊敬だけなのだろうか。恋愛感情が見え隠れしているので、早くくっ付いてしまえ、と思わないこともないが、もう彼らの時代では婚姻や家族に意味は無い。そう考えるとお互いの関係に名前は無くとも同じ家で暮らし行動を共にすることが、精いっぱいで最上級の関係性なのかもしれない。

突然のシステムの暴走の原因を探るために潜り込んだアリス・ワールドのなかは、まるでゲームのようだった。展開のキーになるキャラクター、少女アリスと出会い、彼女のことばに従って進むと世界の神に会える。

アリスと神がグアトとロジに見せたのは、人類が滅亡した後の世界だった。
アリス・システムが演算した結果、数万年後に地球に小惑星が衝突し、人類を始めとする多くの生き物が滅んでしまうとのこと。システム側はその予測と対策の必要性を訴えてきたのに、人間は聞き耳を持たなかった。

だからグアトとロジに、世界が滅んでいく様を見せたのだという。百聞は一見に如かずでしょ、ということだ。

回りくどいやり方をせずにことばで伝えればいいじゃない、というグアトに対してアリスは言う。今までも何度かメッセージを送ったことがあるけれど、誰も本気にしなかったでしょう、と。

核兵器廃絶の訴えも地球環境に対する忠告も、人間はこれまで聞き流してきた。それは人間が短命であるがために、ずっと先の未来よりも今目の前にある幸福や利益を優先してしまうから。

このシーンを読んだとき、自分が責められているような感覚があった。核兵器は無くすべきだし環境問題も改善しなければならないとは思う。だけどぼんやりと思うだけで具体的な活動は何一つしていない。それは正に私が、子どもを持つ予定も無いから余計に、自分が生きている間がなんとかなればそれでいいやとどこかで思っているからかもしれないと気づかされた。

私はポッドキャストの”バイリンガルニュース”のリスナーなのだが、そのなかでもたびたび参加しやすい環境問題への取り組みが紹介されていたりする。だけど聞き流してばかりいた。

WWシリーズの世界では人間の寿命はほとんど永遠になっている。アリスは短命ならまだしも今は長生きなのだからもう少し長い目で見るべきだと指摘する。

そうか。短命という制約が無くなったにも関わらず、ひいては自分の未来に直接的に関係する可能性もあるのに、これでは何万年もの未来を予想し、人類や生物のために警告をしてきた人工知能が呆れるのも頷けるというわけである。

もう一つ印象的だったのは、ホテルの部屋でうたた寝をしてしまったグアトが目を覚ますと、それがリアルであるのかヴァーチャルであるのかが不明瞭になった場面。これにはぞっとした。

現代のヴァーチャル・リアリティには重たいゴーグルを付けてゲームを楽しむためのものといったイメージが強く、現実と錯覚してしまうほどのリアルさは無いように思う。

だけどWWシリーズでは、専用のカプセル型の機械の中で横たわり、夢を見るようなかたちでヴァーチャルの世界へ行く。
少なくとも私は夢の中でこれは夢だと自覚することは滅多にない。(逆に言えば夢の中でこれは現実だと考えることもないけれど。)

そしてこれは現在服用している薬や病気の影響もあるとのことなのだが、やけにリアルな夢を見ることが多く、目が覚めてしばらくした後、例えば仕事中などに「あれ、あれって現実だっけ? 夢だっけ?」と考えることもある。

例を挙げると、現実で友人からラインのメッセージが来ていて、それを夢の中で返信し、現実では既読スルー状態になっていることがある。

そうなってくると、ヴァーチャルの世界の解像度が上がり、感覚がもっとリアルになったり直接的に脳に作用するようになったら、本当にどちらが現実でどちらが仮想かわからないという事態も起こり得るかもしれない。

とくに今回のアリス・ワールドではユーザーが設定をする自由度が高く、好きな世界で好きな人物になり、理想の生活を送ることができるのだ。他の人間のユーザーとコミュニケーションを取ることもできるし、話しただけでは分からないというAIのキャラクターもいる。

例えば現実世界に嫌気が差して、自分の自由にできる世界があったら、私は逃げ込みたくなると思う。そうしてその世界で日々を過ごすうちに、こちらが自分にとっての現実でもいい、そうあってほしい、と願う気持ちも想像できる。

だからアリス・ワールドのシステムがダウンしたときに自殺者が発生したというのも理解できる。その人にとってはヴァーチャルが、その人が生きる現実だったのだ。

作中に、ヴァーチャルの世界は個人の自由にできるから現実の世界のように富や幸福の奪い合いが無く、ヴァーチャルが発展することによって結果的に現実世界も平和になる、というような表現があり、面白いと思った。

だけど人々が個々に理想の世界を持つようになったら、現実の社会は一体何のために存在するのだろう。ヴァーチャルのシステムに電力を供給し続ける以外に、現実に意味は無くなってしまう。そしてその電力の供給を管理するのももはや人間でなくなるだろう。

人間の身体に耐用年数のようなものがあったとして、カプセルの中で夢を見続けているだけでもいつかは必ず肉体的な死を迎えるとしたら、その前に人間はデジタル化されてヴァーチャルの世界に取り込まれるだろう。人間は生身からデータに変わり、現実世界に残るのは、ウォーカロンやロボットたちだけになるのだろうか。

そこまで考えると堂々巡りになってくるのだが、ヴァーチャル・リアリティの技術は一体なんのために進歩を求められているのだろうと考えてしまう。

それともいつまでも核兵器を保持し環境破壊を続ける人間は早くデータになってヴァーチャルの世界に生活の場を移行した方がいいのだろうか? 

そんなことを考えたけれど、実際にアリス・システムのような技術が登場したらぜひ体験してみたい。戻ってきたいと思えなくなりそうだけれど。

そして終盤でモリスを迎えに来ていた白いドレスを着た美女。グアトが久しぶりに「彼」に会った、と表現したこともあって、誰だっけ? マガタ博士じゃないしな…と思ったのだが、他の方の感想を読んでようやくアネバネだと気づいた。

またWシリーズの情報局員組が集まるところが見たいなーとひそかに期待。(キガタ・サリノとデボラが特に好き。)

それからグアトに誕生日プレゼントを用意していたロジ。プレゼントのナイフに刻印された彼女のファーストネームのスペルが間違っていることに腹を立てていたのも、人間味があって可愛かった。Wシリーズの第一巻、あの二人(一応名前を伏せる)の出会いの場面のやり取りを思い出して、繋がっていることになんだか感動した。

自作は2020年2月に刊行予定とのこと。タイトルは「キャサリンはどのように子供を産んだのか?」だそう。子供を産む……ということは、人間の生殖問題が遂に解決されたのだろうか? そう予想したけれど、森博嗣氏のことなので全く違うストーリーのような気もする。なんにせよ続きが楽しみ。

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