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情報は道具。使いよう。

本棚を整理していたら、高校生のときに使っていた国語便覧が出てきた。B5サイズで計480ページもある分厚い本だ。

国語便覧

「おぉ、懐かしいなぁ」と思いながらページをパラパラめくっていると、思った以上にものすごい量の情報が書き記されていることに驚いた。

中身は、古文編・現代文編・漢文編・国語表現編といった4編構成。たとえば古文編なら、文学作品がつくられた時代の都市の構造や、人々の装束・楽器・乗り物などといった風俗が詳細に説明されている。もちろん、名だたる文学作品の文学史も網羅されている。

これだけの詳細な情報が体系的にまとまっている物って、
実はめちゃめちゃ貴重なのでは?

そう思っていたから、高校卒業後も「いつか何かの役に立つかも…!」とずっと棚に保管していたのだろう。

しかし、高校卒業からしばらく経った今も、役に立ちそうなタイミングは来ていない。便覧を開くことがあるとすれば、今みたいに何か作業しようとする際の逃避で本棚の整理を始めてしまうときくらいだ。

では、なぜ役に立ちそうなタイミングが来ないのか。簡単だ。情報の使い道が分からないからだ。

こんなに膨大な情報があっても、使い道が分からなければ使おうにも使えない。
もう定期テストがあるわけでもないし、とうぶんは大学受験することもないだろう。

国語便覧2

この「知っておきたい近現代の評論」のページとかは、パラっと見て「ふーん、今度読んでみようかなぁ(読むとは言ってない)」と好奇心をそそられるものもあった。
が、せいぜいその程度である。

―とはいったものの、この国語便覧は、結局捨てられずに本棚に戻った。なぜだろう。高校時代、国語の授業はそこまで好きじゃなかったし、思い出補正みたいのもないはずなのだが…。

「きっと、きっと何かの役に…立つ…はず…!」と必死こいて使い道をひねり出した結果、
「あっ、この一連の話をnoteに書こう」と決めた。

そうすれば、妙な未練を感じているこの便覧を成仏させられそうだ。
「情報を活かせるかどうかは使いよう」みたいな教訓めいたタイトルつければ、それっぽい記事になりそうだ(自己暗示)。

ということで、今までありがとう国語便覧。

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