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疲れ切った体には創作が効く

大変久しぶりの投稿である。

久しぶり過ぎる投稿をするにあたり、過去の記事を見返してみた。
なんと、最後の投稿から8か月が経とうとしている。記事の結びで「これからもnoteを継続していく」と大見得を切っていたにもかかわらず、気づけばこの様である。心底自分の継続力のなさに絶望するが、こうしてキーボードを叩いている時間はなんとも心地がよく、幸せを感じているのだから、人間というのはつくづく都合の良い生き物である。

もともと育休期間のあれこれを残すために始めたこのnoteだったが、仕事に復帰してからはすっかりアウトプットすることから離れてしまっていた。
というのも、最近は中々に仕事が忙しい。平日は夜遅くまで働き、休日は育児と家のことで一日が終わり、気がつけばまた平日という日々だ。働く世代の親たちは皆、すこぶる大変なのである。

こう忙しいと、やはりストレスも溜まるものだ。このストレスという目に見えない敵が、かなりやっかいなのである。忙しさからくる疲労に加え、精神的に満たされていない、何とも嫌な感じだ。例えるなら、性格は良く害もないが、趣味や価値観が全く合わず会話もそこまで弾まない距離感の友達と二人で会う予定を控えている状態くらい何とも嫌な感じだ。

私はこの絶妙な嫌を携えながらも、ストレスと正面から向き合うこともなく、日々の晩酌でこれまでなんとかやり過ごしていた。

やり過ごしていたのだが、最近、うむ、これは、やはり辛いぞと。

何がこの絶妙な嫌を生み出しているのか?・・・自問自答してみる。

私の場合、創作の時間がないことだった。

楽器演奏、楽曲制作、noteの投稿、ゆくゆくはポッドキャストでラジオ配信もやってみたいと、そんなことを元々考えていた。
しかしながら、やるべき仕事と育児にどうしても目がいき、自分のやりたいことはぼんやりと解像度が低くなってしまっていた。私は何かをつくりだす創作の時間が大好きで、それが全くできていない日常が大変につまらなかったのだと気づいた。

とまあ、こんなようなことを最近考えたりしたもので、約8か月ぶりにnoteにぶちまけてみたというわけである。

久々の投稿がいささか真面目なものになってしまい、ユーモアに欠けることは大変情けなく思うが、やはりこうしてキーボードを叩く創作の時間は、私の人生において大変貴重なものであり、幸せな瞬間であることは間違いないようだ。

これから少しずつ、できるペースで創作をしていきたい。忙しくても、余裕がなくても、自分にとって大切な場所を少しだけ持っていれば、人生は豊かになるのだ、きっと。

全くもって、人間は都合の良い生き物である。人間万歳。

ではまた次回。



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