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もし人工生命の研究者がメイヤスーの『減算と縮約』を読んだら(ALife Book Club 3-1)

こんにちは。Alternative Machine Inc.の小島です。
今回からメイヤスー『減算と縮約』を取り上げます。(対応するYouTube動画はこちらです。)
僕が専門外の哲学書に悪戦苦闘している様子をどうぞ楽しみください、、、

はい、表題のとおりです。元ネタ古くてすみません、、

メイヤスーは思弁的実在論で知られるフランスの哲学者でして、今回から取り上げる『減算と縮約』(が収録されている『亡霊のジレンマ』)もばりばりの哲学書になります。

それを僕ら(人工生命研究)の観点から読み解いてみようというのが今回の趣旨です。哲学側からも科学側からも文句が来そうですでに足が震えてますが、なにとぞ最後までおつきあいください!

はじめに

まず、基本情報から。
今回からお話するカンタン・メイヤスー『減算と縮約』は、初出が2007年の文章で、和訳が以下の本に収録されています。

はじめに白状しておきますが、この本僕はほとんどわからなかったです、、たぶんいろんな哲学的な文脈が効いていて、それなしだと読み解けないものなんだと思います。

ところがこの『減算と縮約』という文章だけは例外的にかなり腑に落ちるものでした

その理由のひとつはおそらく、扱っている対象が僕らともろ被りしているからです。この文章は知覚のモデルの話から始まり、生命のモデルを扱っていていて、これはまさに人工生命の対象と一致しています。
(さらに扱い方も構成論的で、作ることでわかろうとする人工生命のやり方と近いところを感じます。これはまたあとでお話します。)

扱っているものが一緒である以上、結構共通点もでてきます。でも全く同じなわけではありません。そして、そこに現在の科学で見落とされている視点があればいいな、というのが今回の目的です。特に「減算モデル」というものがその役割を果たせるかどうか考えていきたいと思っています。

ただし、あくまで僕らは科学に興味があるのであって、哲学そのものに興味があるわけではありません。そこでメイヤスーの議論を僕らがしっくりくるように再構成しつつ、最終的に「減算モデル」(とそれに付随する生命観)がなにをもたらすかを議論していこうと思っています。

『減算と縮約』のあらすじ

今回はその前段階として、『減算と縮約』の中身をざっくりとご紹介します。(そして来週以降少しずつ深掘りしていきます。)

まずこの文章が掲げている目的を見てみましょう。

目的:ドゥルーズが『哲学とは何か』で書いている「内在」という言葉の意味を明らかにする

(科学者からするとすごく哲学っぽく感じるかもしれませんが、どうかしばしお付き合いください、、)
ドゥルーズもフランスの哲学者で、『哲学とは何か』という本に「内在」という概念について書かれているところがあります。この「内在」という概念を明らかにしようというわけです。

さて、そうするために普通はまずドゥルーズの他の文献をたくさん調べるところから始めます。類似のことを語っている部分がないか確認し、そこからドゥルーズの言うところの「内在」に迫っていくものです。

でも、ここでのメイヤスーのアプローチは『哲学とは何か』の文章だけを手がかりにしてドゥルーズの考えを再構成してしまおうというものです。
(ここの共通点を調べるのではなくて、つくって考えようというノリが、人工生命っぽいと感じるところの一つなのでした。)

このドゥルーズの文章には「内在」の概念に迫るための二つのヒントが含まれていました。

ヒント1:スピノザの著作のいたるところに「内在」がある
ヒント2:ベルクソンの著作に一度だけ「内在」が訪れたことがある

このヒントから、スピノザの著作かベルクソンの著作を調べることで内在についての情報が得られそうです。そして、スピノザの著作にはたくさん記述があるなら、そちらのほうが情報が多そうです。

しかし、メイヤスーが手がかりにするのはベルクソンです。
その理由は、スピノザとは違って、ベルクソンの場合は「内在」があるものとないものの両方が含まれていてその比較で「内在」の正体が見いだせるだろうと考えたからです。

その「内在」ありとされているものと、なしとされているものの比較こそがこの文章の中核であり、「減算」と「縮約」という概念と直結していきます。

ここを次回以降で詳しく説明していきますが、ざっくりいうと、

「内在」あり:純粋知覚理論。知覚の内にあるものは物質の内にあるものよりも少ない。減算的。
「内在」なし:記憶が付け加わったもの。縮約的。

というふたつを比較することになります。
(以前のヴァレラ「身体化する心」の記事を読んでいただいた方は、もうなんとなく類似性を感じ始めているのではないでしょうか?このあたりもお話していきます。)

そしてメイヤスーはこの後者である、記憶ありのモデルを改変していくことで、記憶ありであっても成立する「縮約モデル」を構想していき、さらには、そこででてくる「生成」という概念に基づいて生物のモデルをも考えていきます

これがこの文章の大まかな流れでした。
駆け足になってしまいましたが、扱っている内容のメインが知覚モデルであるということだけでもわかってもらえれば大丈夫です。

次回以降はこの各ステップを深掘りしつつ僕らにとってしっくり来る形で再構成を試みていきます。来週以降も是非ご覧ください。

今週もお読みいただきありがとうございました!

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