介護で感じたこと
人生後半に差しかかり…と思っていたら、
90、100歳でお元気な方がたくさんいらっしゃると今や50代が人生の曲がり角?
なんて思ってしまいます。
日本は世界一の長寿国と言われていますが、健康寿命を考えたらまた少し違うのでしょう。
友人の親御さん達も80代後半、90代がとても多くもちろんご夫婦で元気にスポーツや旅行を楽しまれている方もいますが介護が必要な方がほとんどです。
私達の世代は子育ても一段落してホッとしたところに介護の日々を送っている方が多く、兄弟姉妹が少ないので叔父叔母の世話をしている方もいます。
私の母は50代で亡くなっているのでそんな長生きの親を羨ましく思っていましたが、認知症などで自分をわかってもらえない介護は本当に切なく辛いものでしょう。
私は自分の出産と母の入院が重なりその一年後に母が亡くなったので辛すぎてなんて不幸なんだと思っていましたが、母が自分のことを忘れてしまったらそれはもっと悲しいことで耐えられなかったかもしれません。何でも頼りきっていて自分にとって大きな存在だったのでなおさらです。
そんな頼りない私なので、見方を変えれば母を早くに亡くしたことで〈もっと強くなりなさい〉と言われているようで、私も母になったのだからしっかりしなければと思わせてくれたのは事実です。
父は85歳で亡くなりましたが母が亡くなった時60代でした。
近くに住んでいたので毎日通っていましたがひとりになってから20年以上も父はよく頑張ったと思います。
身体も弱く病院の殆どの科をはしごしていました。
話好きの父だったので私がいる間中お喋りしていました。
何回も聞いている話も多くその時はまたかと思っていましたが、最後の入院の時、意識のあるうちに色々聞いておかないと!と病院に行く道々に考えましたが、何も聞くことがないくらい色々話していてくれたことに気がつきました。
介護されている方は多いと思いますが自分の時間や気持ちを切り替える時間を無理やりでも作った方が良いと思います。
真面目な方ほど心配で心配で自分のいない時に何かあったらと考えてしまいがちです。
自分が見てあげられる時に精一杯やっていたらそれでよしとするしかありません。
充分やったと思っても何かしらの後悔は残るのですから。
父は緑内障もあり亡くなる数年前は視力がほとんどなかったので、好きな本も読むことができずテレビも音だけという感じでした。
本の朗読のCDも試してみましたがプレーヤーが操作できないのでダメでした。
食べることだけが楽しみだったので、魚にもうるさく大好きな魚を専門店で買っていましたが、つい忙しさに紛れてスーパーで他の物とまとめて買って行くと〈美味しくない!〉と言われました。
魚だけ、美味しいトマトだけ、違う店で買うのは面倒だと思ってしまっていましたが、亡くなってからそういう店に立ち寄って粋のよい魚を見たりすると涙が溢れ、何で面倒くさがらずにこれくらい買いに行かなかったのかと、しばらくはそのコーナーに立ち寄れませんでした。
人に一生懸命やっていたよと言われても小さな後悔は尽きません。
時に一番側にいる人が一番文句を言われ、回りからも心無い言葉を言われることもあると思います。
介護されている人は自分は病気だし体も思うように動かないので一番可哀想なのは自分だと思っていますから、私は自分が健康で人の世話をしてあげられる方が幸せなんだと思うようにしていました。
それでも理不尽なことを言われると思わず言い返したくなりますが、ケンカして放り投げるわけにはいかないので、そんな時は隣の部屋に行って「ハァー!」と思い切り息を吐いて深呼吸してから戻ったものです。
言い返せばスッキリすることもありますが、こちらは介護の後もやることがたくさんあり自然と気持ちを切り替えることができますが、介護されている人は嫌な気持ちを引きずったまま一人で過ごすことになります。
気持ちに寄り添うことは本当に大変で我慢の限界もあると思いますが、視点を変えたり発散できる機会を作ったりすることが大切でした。
介護に向き合うということは、100%介護だけをするということではないと思います。
先ずは自分の身体も心も健康で楽しんでいなければ、気持ちよく面倒も見られません。
そういう意味でも家族や友達にとても助けてもらえたことを感謝しています。