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noteの"共感"はスキによって巡る︰その価値とジレンマ

noteでは、共感が巡っている。

個人の思いが記事となり、誰かの心に届く。その共感がスキとして可視化され、次の記事を書く原動力に変わる――。

スキがつくと、noteが織りなすこのポジティブな循環を感じることがあります。


ということで、今回は"共感"に関する話です。

読んでいて「いいな」って思えるnoteの記事には、大抵の場合、"共感"が含まれているって思いませんか?

どんなに文章がうまくても、どんなに有益な情報が含まれる記事であっても、そこに共感できるような要素があまり多くないと、どこか他人事に感じてしまったり…。

逆に、共感が含まれている記事は、粗削りであっても、読んでいて自然と引き寄せられるものがあったりします。

例えば、「noteで最初の自己紹介記事はたくさん読まれたから楽勝だと思ってたのに、次の記事は全然ビュー数が増えない!」という悩みを赤裸々に綴っている記事なんかを読むと、「そうそう。自分と同じだ」って思ってしまいます。

そうすると、その記事が自分の中で親近感がわいて、そして特別感が出てくる。それが"共感"がもたらす力なのかなって感じます。


とはいえ、共感って簡単に生み出せるものじゃないですよね
記事を書いているうちに、「これは誰かに届くんだろうか?」と思い悩むことも多々あるわけで。

今回は、私自身がnoteを書いたり、読んだりする中で感じた「共感って何だろう?」、「共感ってどうやって生まれるんだろう?」という疑問と、その中で得た気づきを共有してみたいと思います。

また、noteにおいては、"共感"を可視化してくれるシステムとしての「スキ」も大切な役割を果たしているので、そこも触れていきたいなと思います。



✅noteでは、特に共感が大事?

noteは良い意味で、他のSNSやブログとちょっと違う独特な部分がありますよね。
もちろん情報発信の場でも有益な情報が得られたりもしますが、それだけじゃ語れないものがあったりする。

記事に「書き手であるnoterの思い」が溶け込んでいて、その感情に触れることで読者が何かを感じたり、自分自身と向き合うきっかけを得たりする。そこがnoteの一番の魅力ですし、読んでいて心が動かされます。

そして、その感情のやりとりを可能にしているのが“共感”です。

✅そもそも共感するってどんな状態?

じゃあ、"共感"ってどういう状態なのかと改めて考えていくと、正確に言語化するのが結構難しい言葉だなと感じます。

辞書的には、「他人の意見や感情などに、そのとおりだと感じること。また、その気持ち」ですが、それじゃ言い表せないものがある。
記事を読んで"共感"するというのは、もう少し自分の心の深い部分に根差しているように思えるんですよね。

これを自分なりに咀嚼すると、「誰かの感情や経験を自分のことのように感じ取って、理解して、繋がろうとする気持ち」でしょうか。

結局、その人が感じた痛みや喜びを、自分ごとのように思える瞬間に生まれるものが共感なんだと思います。

その結果、「同じようなことを考えても良いんだ」「同じような悩みを持っている人がいるんだ」というある意味で承認のようなものを得て、自分自身の価値を再認識する。


それが最終的には、「自分は1人ではない」という自己肯定感の醸成であったり、「私はこう考えていたのか」という自己理解の促進につながるという、心理衛生面でのメリットがあるんじゃないかと思っていて、そこに人が共感を求める意義があるものだと感じます。

✅どうやったら共感が生まれる?

それでは、どうすれば共感を生むことができるんでしょうか?

それには、ポイントとして下記の3点があるように思っています。

  1. 等身大でありのままの感情を伝える

  2. 具体的なエピソードを盛り込む

  3. 誰もが共感することは不可能だと割り切る


🍀1. 等身大でありのままの感情が共感を引き起こす

人が感情を動かされるのは、取り繕った言葉なんかよりも、本音の部分ですよね。殴り書きのような悪文であったとしても、行間から滲み出るその人の思いに心打たれる経験ってあるかと思います。

なので、共感を生むには、自分の本当の感情をそのまま伝えることが大事です。

たとえば、私が以前書いた下記の記事があります。


その中で、「最初に個人ブログで記事を書いたときは、本当に悲しいほど誰にも読まれなかった」というエピソードを書きました。
正直、自分の未熟さを晒すようで、恥ずかしい部分はあったのですが、実際に投稿してみると、有難いことに共感したというコメントも頂きました。

そのとき感じたのは、「自分の弱さを見せることは恥ずかしいことじゃない」ということでした。
むしろ、自分の心の内を出すことが、共感が生むための強みになるんだって思います。


🍀2. 具体例が共感への解像度を高める

そうして生み出された共感を補強してくれるのが、リアリティのある具体的なエピソードです。

例えば、単純に「明日の仕事は憂鬱だ」という抽象的な表現に比べて、「日曜日の夜になると、明日会社行くことを考えると憂鬱」という方が共感度は高いですよね。

更に、「明日の朝イチの打ち合わせで上司に進捗報告があるけど、いつも何を報告してもダメだし食らうから、報告するのイヤなんだよな」という感じで掘り下げると、共感の度合いが深くなってきます。

こんな感じで、そのときの感情、シチュエーションを掘り下げていって、具体的な状況の解像度を上げていくことが、読み手にとって共感度が高まることに繋がってきます。


🍀3. とはいえ誰もが共感する物語はない

一方で、感情が込められていて、具体性があれば、何でも共感されるのかと言ったら違いますよね。

最終的には、どんなテーマ・趣旨の話なのかがカギを握っています。
そして、たとえどんな内容であったとしても、全ての人が共感できる話なんてないと私は思います。


さきほどの例で、「明日は仕事で憂鬱だ」という趣旨の主張は、わたしのような会社員には刺さるかもしれませんが、ホワイト極まりない企業に勤めていたり、そもそも事業主だったりする方にとっては、共感されない可能性は高いです。

これは他のテーマでも同じで、個々人の価値観が多様化してきている昨今において、誰もが等しく共感を抱く記事は難しいのです。そのため、

また、全ての人に対する共感させようとすると、内容が浅く、抽象的になりがちです。
そうすると、具体性が犠牲になって、共感度合いが浅くなります。

つまり、読者層の広さと共感性の深さにはジレンマがあります。


ややメタ的にはなりますが、この記事も、読者層としてのターゲットを絞っていなくて間口としては比較的広いものになっています。
そのため、共感の深さという意味では浅く感じられる方がいても、不思議ではないと思います。

例えば、同じ共感をテーマにして記事を書くにしても、「共感なんて後から付いてくる。まずはともかく書け!」という記事の方が深い共感を得られる可能性はまあまあ高いです。が、同時に結構多くの人を切り捨てていることが懸念されます。

この辺のバランス感覚は記事を書く上で難しい部分だし、仮に生成AIに作文を投げるとしても、きちんと人間がかじ取りすべきポイントかなと思います。noteにはこういったバランス感覚が優れている人がたまにいるので、感心しながら読んでいます。

いずれにせよ、共感しない人がいても仕方がないという割り切りが必要なのだろうなと思います。


✅「スキ」は共感を可視化してくれる

最後にnoteの「スキ」についてです。
「スキ」については、人によって色々な意味合いを持っていますので、一概に「スキ数」=「共感した人の数」にはなりません。

ただそれでも、ざっくりとした傾向としては、「スキ数」が多い記事は、共感した人も多い傾向があるように感じています。
私の記事においても、共感度高いと思われる記事の方がスキ数が増える傾向があります。

それにスキをしてもらうと、「記事が相手に届いた」感じがするので、モチベーション的にはありがたいなと思っています。


✅まとめ

まとめると、共感を呼ぶnoteの記事を書くには、自分の感情をさらけ出し、具体性を持たせ、読者層を意識することが大事だと思います。

そして、"スキ"を通じて可視化される"共感"の循環にこそ、noteの魅力が秘められているのではないでしょうか

ということで、今回は"共感"に関する話でした。
もし、共感してくれたら嬉しいです。

それではまた。


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Alpaka
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