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矛盾は矛盾として存在する

こんにちは。梅雨は大嫌いなのに紫陽花が大好きなアルパカ社長です。

庭に1輪だけ咲く紫陽花があったのですが、外塀の工事を依頼した時にただの枝キレだと思われたのか伐採されてしまいました。毎年咲くのを楽しみにしていたのでショックでした。

あなたにも「○○は嫌いだけど△△は好き」といった一見矛盾するような気持ちや感情があると思います。例えば「夏は嫌いだけどかき氷は好き」とか。「日焼けは嫌いだけどアウトドアが好き」とか。

矛盾は気持ちや感情に限らず、至る所で目にします。あなたも矛盾したことを言う上司に悩まされたことが1度や2度はあるでしょう。

矛盾は私達を混乱させ、悩ませます。だから私達は矛盾は悪いことだと思いがちです。しかし矛盾というのは論理上に結果を求めるが故に起きる空想上の食い違いです。何が言いたいのかというと矛盾とはウソや間違いなどではなく単なる想像なのです。

例えば矛盾の語源である「どんなものでも貫けない盾」「どんなものでも貫ける矛」は想像上で結果を出そうとするとどっちに落ち着くのかわからないので矛盾と言います。しかしどちらの説明も実際の結果を得るまでは間違いでもなくウソでもないということです。

量子力学を少し学んだ方ならわかると思いますが、粒子は波であり粒であると言われています。しかし観測すると粒になります。だから波であるというのは間違いなのかというとそうではありません。波であることも事実なのです。現実に矛盾した状態が存在するのです。

私達は結果が確定されるとそれを真実だと思い込み過去に遡って嘘だの間違いだの言っているだけなのです。または結果が出る前に論理上で結果を出そうとするからこそ収束せずに矛盾していると思い込むのです。

矛盾というのは明らかに科学的にも存在する事実です。だからこそ「やってみなきゃわからない」が存在するのです。むしろ矛盾のない世界の方が不思議と言えるかも知れません。すべての答えが定まっていることになります。何もすることなく結果がわかる状態です。

私達が確定している世界を生きているのだとすれば矛盾などは存在しないはずかもしれませんが、可能性を生きていると理解するならば矛盾はついて回ります。

「AはBよりも強く、BはAよりも強い」という文章がおかしく感じるのは論理上に答えを求めているからなのです。結果は行動を起こしてみないとわからない以上は間違いともウソとも言えません。

私達はどうしても論理上で答えが出せないと混乱してしまい、論理上の間違いを探してしまいます。しかし間違いなどどこにもなく全てを可能性としてとらえれば矛盾は矛盾したまま存在できるのです。

矛盾の中にウソや間違いがあるわけではなく論理上で結果を確定させようとすること自体が間違いなのです。



ナマステ✨

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