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満場一致を疑え

こんにちは。生後間もなく原因不明で生死を彷徨ったレアな経験を持つ産まれた時からマイノリティのアルパカ社長です。

なぜか私は小さい頃から視点や考え方が少々変わっているようで、学校でも職場でも浮くことが多かったです。親、兄弟、親戚にも理解されることはありませんでした。今考えると理解されようとするのが間違っていたのだと思えますけどその頃は辛かったですね。自分の意見を表に出すのが怖かったのを覚えています。

こんな感情を抱いているのは恐らく私だけではないと思います。むしろほとんどの人が感じてきたことでしょう。それは常識を作りそれに同調する環境が周りにできあがっているからです。

「私って違うんだ」

いいえ。違いません。それがあなたなのです。周りが何と言おうがダメなんてこともありえません。あなたの価値観、あなたの経験、あなたの知識、を集結して導いた考えに間違いも何もありません。他人は同じ価値観や経験、知識を持っているわけではないので。だから他人の評価など信じるに値しないのです。

私達は物事を集団で決めるとき多数決という手段をよく取ります。その時の意見の偏りに違和感を感じたことはありませんか?その違和感は間違いではありません。

満場一致のパラドックスをご存じでしょうか?満場一致になる確率はかなり低いはずで、満場一致の場合は返って結果が疑われるという理論です。

30人に「例えばサイコロを振ってどの目が出るか当ててください」と問えば、それぞれの目に5人ずつ分散するのが自然なはずです。これが1の目に30人全員が賭けていたら不自然だと理解できます。30人全員がたまたま同じ目に賭ける確率は1/221,073,919,720,733,357,899,776です。なんらかの不正を疑うべきなのは明らかでしょう。

同じように何かを決めるときの多数決でも極端な偏りは同調圧力や不正を疑わなければなりません。もしかしたら組織自体の思考の偏りの可能性もあります。

私達は大多数が認めれば正しいと思ってしまう傾向にあります。しかし先にも書いたようにほとんどの人が「私の考えは間違っているかもしれない」と感じているのが事実ならば、意見の極端な偏りというのは本当は不自然なことなのです。マイノリティがある程度存在するのが自然です。

具体的には全体の人数の8割以上の人が選択肢の2割未満に集中していれば疑ってかかるべきです。パレートの法則です。

そう考えるとマイノリティというのは私達が思っている以上に存在することがわかると思います。10人いれば2人はマイノリティです。しかも基準が変わればその2人ではない別の2人がマイノリティになる可能性があるのです。

つまり基準がいくつもあるのなら全員がマイノリティになる可能性を秘めていることになります。

私達は全員がマイノリティであり、それを恐れることなど微塵もないのです。

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