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原因追求だけで終わってない?
こんにちは。朝からみかん戦争が勃発した結果、敗戦を喫したアルパカ社長です。
朝食で一人一個のみかんを食べるのですが、アルパカ社長夫人のみかんの方が大きかったので入れ替えておきました。ところがいつのまにかアルパカ社長夫人は大きな方のみかんを口にしていたのでした。明日は負けません。
私達は負けた時や失敗したとき、その要因を探ろうとします。また同じことを繰り返さないためにです。なのにどういうわけか同じ失敗を繰り返してしまいます。
散々に懲りたはずなのに何故でしょうか?
原因は記憶のされ方にあります。失敗の反省ではほとんどの場合その失敗が起きたシチュエーションでしか反省されません。だから他にどのような場面で起きうるのかを記憶していません。そうなれば違ったシチュエーションで事が起きた場合に記憶が呼び起こされることはなく同じ失敗をしてしまう可能性があるのです。特に失敗に特有の癖がある場合は違ったシチュエーションで同じ失敗を何度も繰り返すことになります。
小さな失敗なら何度も失敗して身体に染み付くまで繰り返せばいいのでしょうが、大きな失敗を繰り返すわけにはいきません。
対策をするにはやはり反省のタイミングで他にも様々なシチュエーションを想定してみることです。もちろんすべてを網羅することはできません。しかし別なシチュエーションをいろいろと想定してみることで記憶のされ方が変わります。
例えば単一での反省では「包丁でりんごの皮を剥くときは手を切らないように注意しよう」という記憶だったのが、別なシチュエーションも想定してみることで「包丁を使用するときには手を切る可能性があるので包丁を使う時は注意しよう」といった記憶になります。
簡単な例なのでここでは当たり前の反省に見えますが、複雑なものの失敗はシチュエーションも特殊になりがちです。そうするとそのシチュエーションのみの反省だけでは、反省が生かされるべき時に記憶から呼び出されません。記憶とは違ったことをしているのでその記憶のトリガーが引かれることは無いのです。
それを防ぐためにも反省は様々なシチュエーションを想定して反省するべきです。そうでないと反省の意味は無いとも言えるのかもしれません。むしろそれなら反省しない方がマシかもしれません。少なくとも自己肯定感の低下は避けられるので。
私はモチベーションを大事にしたいのであまり追い込んでしまうような反省はさせたくないのですが、どうせ反省をするならばそこまで反省をした方が身になると考えています。
責めるばかりで解決策が見出されない反省が一番の無駄です。