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同じ原著でも―アダム・スミス『国富論』③

 前回、さんざん悪口を述べ立てたアダム・スミス『国富論(諸国民の富)』の大内兵衛/松川七郎訳版(岩波書店)を、おそらく30年ぶりに手に取っている。30年前には読んだということではない。その時に本は買ったけれども、全く読まずにそのまま放りっぱなしにしていたのである。最後にきちんと読んだ、いや読もうとしたのは、前回記したように大学2年の終わりころ、大学の図書館から借り出した本によってであり、大河内一男監訳版(中公文庫)を買ってすぐに本は返却し、その後再び借りるなどして読みかえすことはなかった。今回、本を開いてみて我ながら驚いているのだが、(それなりに)読めるのである。大学生当時、その文体がいかめしさにすぎると感じネを上げた私が、である。時の流れが私の脳みそを、僅かばかり重くしてくれたのであろうか。いや今までハチャメチャな生活を送っていて脳みそがまともに働いてこなかったからといった方が正しいのであろう。
 今私が持っているのは大学卒業後に買った、俗に机上版と言われる1969年発行の2巻本である。2000年に新訳が出るまで広く流通した旧岩波文庫版(1959-66年)は全部で5巻だが、解題が文庫版と机上版で異なっていて、訳者の一人、大内兵衛が机上版のために新たに執筆しなおしている。さらには訳文にも手が加えられているようである。ろくに読み直す気もなかった大内/松川訳を、より大型の、つまり文庫よりはるかに場所を取り、手に取るのも重い机上版でなぜ手に入れていたのかというと、単純な話で、古本屋でたまたま目についたのがこれであったからであるのと、本に目が留まったとき、あと10年20年たつうちに、この旧訳、とくに机上版は市場から姿を消してしまうのではないかという予感がふっと頭をよぎったからである。もうすでに他の翻訳を持っているのだから手に入れなくたってよいではないか研究者じゃあるまいしという声も聞こえてこよう。実際学窓を出てから、会社勤めの身で仕事に忙殺され、やがて健康を害して本を読むどころではなかったのだから、文字通りのツンドク状態が長く続いた。だが今となっては手に入れて正解であったと思う。市場から姿を、という予感は見事に外れてしまったけれども。『日本の古本屋』などのサイトを見ると、軒並みかつてよりはるかに値が下がっている。大内兵衛の名声もずいぶん落ちたものだと、ある種の哀切を感ぜざるを得ない。
 ちょっと寄り道するが、まだ私が大学に在学中であった1980年代後半、大内兵衛の名にはおそらく、今(2024年)よりもブランド力が残っていた。もちろん1950~60年代の社会主義礼賛の空気は世間一般からは消え去っていたが、わが大学の教師陣の中枢をなしていたのは、いわゆる60年代学生運動の主軸であった世代、つまり団塊の世代で、すでに学生運動から20年前後を経ていたのだけれど、いまだにあの時代の左翼的なルサンチマンの残照を引きずっている連中が多くいた。彼らは何かにつけて私たち学生を、今ならパワハラとみなされ大炎上になること間違いなしであろう態度で扱い、自分たちの世代こそ全日本人で一番優等な、それこそ至高なる存在だとうぬぼれていた。そのくせ目上と自分たちがみなした者には卑屈な態度を丸出しにしてへいこらし、その右顧左眄ぶりは、私が学窓を出て就職し、会社の上司の所作行動を見るたびに、「ふん、どこへ行っても変わらねえなあ」と苦々しさや哀れさとともに、何度も思い出すことになった。茶坊主をしなければならぬ相手が消えると、団塊の世代は途端に元の暴虐に満ちたパワハラ・オジンオバンに戻り、「あいつらの思考は戦争体験で混乱している。それまでの軍国主義が一瞬で消し飛んでしまって、どうしていいのかわからなくなってしまったのだな。哀れなものだ」とせせら笑っていたものである。私に言わせれば、彼ら団塊の世代だって人のことは言えなかった。自分たちが大学にいたときには、ろくすっぽ理解してもいないくせに社会主義だのマルクス主義だのにかぶれ、卒業後は苛烈にして無機質な、ギリシャ・ローマ神話で言うところの「鉄の時代」に閉じ込められて骨抜きにされ、もうそんな何とか主義なんぞほざいてはいられなくなってしまい、そのくせ気に入らないことがあると、何でもかんでもかつてと同じ暴力(的な態度と言論、時には隠れて本当の暴力)でもって片を付けようとする、それでもらちが明かないとなると、平気の平左でそれまでの主義主張(?)を捨て去って寝返り、昨日の敵は今日の友とばかりに相手へ胡麻をすり、己の利権を吸い取ることに身をやつす―。そんな彼らを私は心ひそかに軽蔑し、人として全く信頼できなかった。その彼らが、「ちょっと古いけど、今の腑抜けよりもよっぽど骨のある文章を書いている」と、自らの堕落ぶりは棚に上げて評していたのが大内兵衛であった。信頼できないあいつらがほめている大内兵衛、骨のある?ほんとかよ、けど敵陣視察(?)のつもりでと、岩波新書の『マルクス・エンゲルス小伝』とか河上肇の『貧乏物語』の解題とかを読んでみたところ、たしかに骨のある文章、というのは正しかったとは思い、連中のことをちょっとだけ見直した。同時に、いかに団塊の連中の思想が薄っぺらで内実の伴わないものであることも、大内兵衛の文章を読んで思い知った。たしかに、団塊の連中がほざくことよりははるかに芳香ある文章を、大内は草していた。だが、小林昇の言葉を借りれば「永遠の過去性」[i]からどうしても脱することのできない黴臭(かびくさ)さをも、大内の文章は湛(たた)えていた。スミスの思想を「やがて死ぬべき定めであろう」[ii]と断じたその言葉に、私はいまでも同じ、いやあの頃よりもっと濃厚な黴臭さをかぎ取ってしまう。そして永遠の過去性という意味では、団塊の連中は己の思想に大内のそれと共通する黴臭さと、サッカリンやズルチンのごとき胸糞悪い甘味とをかき混ぜることで、同じ永遠の過去性でありながら、大内には感じ取れた品格をはなっから捨て去っていたということを、今更ながらに反芻するのであった。
 寄り道が長くなったが、この大内/松川訳を手に入れたのを肯定する理由は現在、別のところにある。それはこの訳書が底本としているのはエドウィン・キャナン編纂のものであり、スミスによる本文はもちろん、キャナンによる序文、脚注も全文を訳してあり、スミス研究に裨益するところ大であることを、私自身が50代後半になってようやく認識できるようになってきたこと、もうひとつはるかに卑近な話だが、他に手に入れてあった訳本ならびに『国富論』の原著、つまり英語版と照らし合わせることの楽しさを見出しえるようになってきたこと、である。ではおまえはさぞかし英語ができるのだなと誤解されるのは困る。私の英語力のひどさは中学1年の春から不変である。その私がわざわざ先哲の翻訳を照らし合わせるという行為をあえてするのは、少しでも英語力を鍛えるがためであったのが最大の目的であったのだが、やがて英文とともに、複数の翻訳を読み比べてみると同じ原著でも、翻訳ひとつでこうも印象が変わるのだなという驚きと感銘を受けるようになったからでもある。キャナン云々についてはこれ以上詳しく記すことはできない。それを可能とするだけの知見を備えてはいないからである。だから以降は原著と訳本のことに絞って行論を進める。
 まずは『国富論』の訳本について。私が現在所有しているのは次のものである。

大内兵衛/松川七郎訳『諸国民の富』Ⅰ~Ⅱ、岩波書店、1969年(以下『A』)
大河内一男監訳『国富論』Ⅰ~Ⅲ、中公文庫、1978年(以下『B』)
水田洋監訳/杉山忠平訳『国富論』(一)~(四)、岩波文庫、2000~01年(以下『Ⅽ』)
山岡洋一訳『国富論』㊤㊦、日本経済新聞出版社、2007年(以下『Ⅾ』)

 ここで慧眼な方なら、講談社学術文庫版がないぞとか、竹内謙二訳がないぞと突っ込むところであろうが、私は所有していないし、読んだこともない。スミス研究者でも経済学史家でもないからいい加減なものである。換言すればそれだけ気楽にやれているのであって、これこそが素人の特権といえよう。とはいっても、4種類の訳本を持っている素人読者も、そうはおられないかもしれない。なぜこれだけの訳本を持っていることになったのかというと、これまた深い理由はない。会社勤めをしていた時代、そのころには『国富論』を、休日の折に疲れがたまっていないとか体調がいい時だけちょいちょい拾い読みするだけであったが、たまに本屋に行くとそこに『国富論』の、私の知らない訳本が目につくときがあり、まともに読みもしないのに学生時代に読んでいたなあと、懐かしさと(偽りの)向学心がないまぜになった感情に支配され、ついつい買ってしまい、結果この数になったのである。それが今の今まで真剣な行為でなかったのは講談社学術文庫版を持っていないことに、さらにはそれぞれの訳本を、公刊されてからずいぶんと日数がたってから入手したことに表れている。
 英語の原著版のことにも触れておこう。持っているのは以下のものである。

 Adam Smith.The Wealth of Nations.ed.Edwin R.A.Seligman.2vols.1910;reprint,
London:Everyman’s Library,1960-1962.(以下『原著』)

  『原著』を手に入れた来歴だが、これまたつい3年あまり前であり、きっかけは夏目漱石なのである。『漱石全集』(岩波書店)に載っている彼の学生時代の論文『英国詩人の天地山川に対する観念』に、『国富論』の原文が引用されているとされているのだが、漱石の引用を見ると、どうもスミスの原文通りに引用していないのではと思われ、それを確かめるべくヤ○○クで売られていた中で一番安価であった上記の本を手に入れたわけである。つまり本を手に入れた当初の目的は英語の勉強のためでも、スミス研究のためでも、ましてや経済学史研究のためでもなんでもなかった。漱石の引用の件だが、予想通り、漱石は改ざんした英文を引用していて、その理由やどこからの引用なのかは、いまだにわからない。ひょっとしたら当時の漱石は『国富論』のガイドブックの類から拾ったのではないかと思う。実際漱石はマルクスの『資本論』に関しては原著ではなく、ガイドブックを読んでいたことがわかっている。[iii]だからスミスの場合もそうなのではと思っているのだが、史的な裏付けがとれないから漱石の件についてこれ以上は触れない。[iv]というわけで、『原著』を手に入れたのはてんで殊勝な(?)動機ではなかったのである。現に『原著』はその後1年半ほどほったらかしにされていた。
 以上のことから、私の『国富論』への接し方はいい加減そのものであり続けたことが知られよう。最初に読んでから40年近くが経過しているとはいえ、実に浅い読み方である。それがあつかましく『国富論』についての自説を書きなぐっているのだからお笑い草であろうが、古典の接し方は自由にかつフランクで一向にかまわないし、それが許されるのが真の古典であると思う。そう思えるようになったからこそ、こんな雑文を草しているわけである。
 事情が変わったのは昨年(2023年)の暮れである。デヴィッド・マクナリーのスミス研究の本を、英語の辞書を引きつつどうにかこうにか読んでいったことは前にも記したが、それを読み終えたとき、このまま英語に接するのをやめにしてしまったら、また俺の英語力はボロボロになるよなあと危惧を抱いた。しかし我が家にはこれといった英語のテキストがない。せいぜい輸入盤のCDやレコードに載っている解説や、数冊の雑誌が関の山である。最初はそれらをめったやたらと雑に読んでいたのだが、やがてそれも底をつく、といったときに、原著が目に留まった。灯台下暗しとはこのことである。というか、原著を手に入れたときにすぐに取り掛かるべきであったのに。同時にこの時、大学時代にK教授が私に冷ややかに言った次の言葉を、藪から棒に思い出したのである。
 「翻訳を読んだだけでは、本当の意味でスミスを読んだことにはならない」
 おいおい、翻訳をゼミで読むだけでも無茶苦茶しんどいんだぜ、その上原著も読むのかよと、当時の私は内心怖気をふるったものだが、さすがに教授もそこまでは気合が入らなかったのか、その後卒業まで原著については触れることはなかった。今考えてみると、あの時原著を読んでいたら、今もうちょっと楽に英語に取り組めていたのではないかと思うこともある。まあ時がたたなければ思い至らないことは山ほどある。だが遅きに失したけれども、人間学びたい時が学びどきというではないか。というわけで、格好のテキストを手に入れていたなと、原著を読むことにしたのであるが、開巻第1ページからは読む気にはならず、訳本に接していた時と同様に、興味の向いた箇所から読むことにした。杓子行事に1ページ目からでなくても、『国富論』はどこからでも読むことのできる本である。私の所有している中公文庫の分量にして1170ページ[v]という大冊で全5編、さらに各編は多くの章・節に分けられているが、各編・章・節は独立した内容を備えているから、前後の内容を読んでいなくても読み進められるのである。場所によってはちんぷんかんぷんなところは随所に出てくるが、そのためにほかの箇所までその内容が理解できなくなる幣はない。たとえるなら、『国富論』は漱石の『彼岸過迄』や『行人』のような、いくつかの(あるいはいくつもの)短編が合わさって長編をなしている著作というところであろうか。かつ、数学的な思考経路をとることを必要としない著作、つまり最初の部分をきっちり理解していないと後になってちんぷんかんぷんになる構造を備えた著作ではない、と評することも可能か。[vi]『国富論』のこういった特性が、私には大いに幸いしたことは間違いない。
 しかし幸いしたといっても、もともと経済学~経済学史の知識が不足しているうえに英語力が備わっていないから、ページがまるっきり進まない。現在私は第4編とにらめっこしているが、私の所有している中公文庫で430ページ強だからということを加味しても、読みだして早半年余。英語力の悲しさと体調が一定しないこと、日々雑用も降りかかっての体たらくである。ほかの編はまだ手も付けていない。おやおやであるのだが、楽しくもある。外野から、どうせなら全編読み終えてからnoteに記せよという声も聞こえてくるが、先延ばしにすると書けなくなってしまう恐れが多分にあるので、今こうして書き散らすことにしたのである。
 第4編の冒頭は、スミスによる経済学のマニュフェストといえる文章である。経済学たるやいかにあるべき学問かを端的に示しているが、『国富論』の文章を俎上に載せるのにちょうどよかろう。というわけで以下、原文を示す。

 Political economy, considered as a branch of the science of a statesman or legislator, proposes two distinct objects: first, to provide a plentiful revenue or subsistence for the people or more properly to enable them to provide such a revenue or subsistence for themselves; and secondly, to supply the state or commonwealth with a revenue sufficient for the public services. It proposes to enrich both the people and the sovereign.[vii]

  先のK教授がゼミの折、「スミスの英語は読みやすいです」と語っていたのを覚えているが、かなしい英語力を有する私には、今でもそうなのかいなと言ってしまいたくなる。もう2年も前になるが、ピート・シェリーのバイオ本“ever fallen love-the lost Buzzcocks tapes”を読んだとき、その読みにくさ―著者のルイ・シェリー氏には大変失礼を承知の上で述べるが!―に辟易したものである。それに比するとまだすっきりしているかなとは思うが、それでもスミスは文節と文節の間に、平然と全く別の意味を成す語句を放り込んできたり、接続詞を頻繁に登場させることで、ただでさえ英語の語句の配列に慣れていないわが頭が混乱をきたす。加えて同じ単語でも、二種類三種類と異なる意味に使用したりする。たとえばindustryという単語。スミスはこの単語に「勤労」「勤労意欲」「(漠然とした)産業」「(繊維、畜産などの具体的な)業界」「職業」といった複数の意味を与えている。これで訳書がなかったら途方に暮れたこと確実である。改めて先哲の労苦と骨折り(toil and trouble)がしのばれる。大内兵衛の悪口など本来は言う資格などないのだ・・・・としつつ、しかしスミスの英語は18世紀のものである。もうかれこれ250年も前のものである、それをこうしてとにもかくにも接することができるのだからスミスって大した書き手だったのだなとも思わせる。もちろんスミスの時代の英語はすでに現在世界に広く流通している、いわゆるModern Englishなのだから読めて当然とされてしまうのであろうが、それにしたって、である。読みにくいといっても、250年の風雪に耐えてきたのだから、スミスの英語は卓越しているとすべきなのであろう。そういえば、K教授がスミスと、その同時代人―としていいのであろう―のジェイムス・ステュアートの英語を比較し、「ステュアートは読みにくいです。彼の英語はあまりにも晦渋に過ぎる。スミスの『国富論』が広く世界に受け入れられたのは、その英語の読みやすさもあったのでしょう」とも話していたが、この逸話は、18世紀スコットランド啓蒙の代表者アダム・スミスの面目躍如という思いを抱かせる。
 とはいえ、英語のできない私には、そんな感銘はすぐに吹き飛ぶ。ゆえにカンニングペーパーよろしく訳書を携える。もっぱら使用するのは最も親しんだ『B』で、これと原著とを突き合わせする格好になったが、場合によっては『A』に『Ⅽ』、『Ⅾ』も動員することになった。『B』の訳文と原著の英語がかみ合わないとき、「ほかの訳本はどうなっているのやら」となり、『A』その他の訳本を眺めるのである。かみ合わないことがあまりに多くて―つまり私の英語力があまりに低くて―しょっちゅうフン詰まり、すべての訳書をそのたびに開く。これではページが進むわけがないのである。フン詰まるのはそれだけではない。各訳書の訳文が、それぞれ個性があり味わいがある。それが楽しくて何度も各訳書を読み返してしまい、原著のほうの幡読がさらに遅くなるわけである。
 前置きが長くなりすぎたが、最初の引用文として掲げた『国富論』第4編冒頭の文章。私の所有する各訳書はどうなっているのであろうか。まずは『A』、大内/松川訳を掲げてみよう。

 「政治家または立法者の科学の一部門と考えられる政治経済学は、二つの別個の目的をたてているのであって、その第一は、人民に豊富な収入または生活資料を供給すること、もっと適切にいえば、人民が自分たちのためにこのような収入または生活資料を自分で調達しうるようにすることであり、第二は、国家すなわち共同社会に、公務を遂行するのに十分な収入を供給することである。政治経済学は、人民と主権者との双方を富ますことを意図しているのである」[viii]
 
 あくまで私の主観にすぎる感想だが、4冊の訳書の中で最も原著の英語を忠実に日本語に置き換えていて、かつ、もっともカタイ・・・・いや奥ゆかしい日本語というべきか。この訳文で戦後日本人の多くはスミスに出会ったのであろうし[ix]、現在もなお『国富論』研究の里程標とされている内田義彦や小林昇の著作は、このAの訳書をベーシックな文献として活用してきたのであろうなと、感慨もひとしおである―内田や小林は自分で訳した文章を使うケースも多かったけれども。では英語を忠実にというのなら、これが一番な訳文で、とは必ずしもならないのが文章作法のめんどくさいところで、たとえば大塚久雄は、より分かりやすい文章にするためには、正確さを多少なりとも犠牲にするのはやむなしと述べていたりする。[x]
 次に『B』、大河内版を挙げてみよう。厳密には当該箇所の訳は共同翻訳者の一人である大河内暁男である。

 「政治経済学(ポリティカル・エコノミー)は、およそ政治家あるいは立法者たるものの行なうべき学の一部門としてみると、はっきり異なった二つの目的をもっている。その第一は、国民に豊かな収入もしくは生活資料を供給することである。つまり、もっとはっきり言えば、国民にそうした収入や生活資料を自分で調達できるようにさせることである。第二は、国家すなわち公共社会にたいして、公務の遂行に十分な収入を供することである。だから経済学は、国民と主権者の双方をともに富ませることをめざしている」[xi]

  何度も述べてしまうが私としては、このBが一番とっつきやすい。ただ、今こうやって『A』と『B』を比較すると、そのカタさ、いや奥ゆかしさは大差ないなと感じる。引用文に限らず、『B』の文体は『A』のそれを直接のたたき台として作成されていると思う。現に「訳者序」で大河内自身が竹内謙二訳とともに、「限りない示唆を受けた」と記しているのである。[xii]ケチをあえてつけると、訳文最後の「経済学」、これはAの通りに「政治経済学」とするのがよりよいと思う。なぜ「経済学」にしたのかはもはや訳者が全員鬼籍に入っているので確かめようがないのだが。さらに訳文とは関係ないと思いつつ触れてしまうが、訳者独自の脚注も、公刊から半世紀を過ぎようとする今、どうしてもその視座・情報の時間的経過からくる狭溢さはぬぐえない。それを指摘するなら『A』原著の脚注はさらにいっそう古い―その初版は1904年公刊である―となるのだが、あちらは脚注自体がスミスの本文とともに研究対象という性格を備えるようになっていて、その接し方を違える必要がある・・・・と素人であることをそれこそ棚に上げてほざいておく!換言するなら、『B』の脚注も、それ自体が研究対象となるべき時期に、そろそろなりつつあるということなのである。とはいえ、『B』の脚注は圧倒的な情報量と希求力を今も持っている。この脚注だけでも、一冊の研究書になりうるレベルである。
 次は『Ⅽ』、水田/杉山版である。

 「政治家あるいは立法者の科学の一部門と考えられる政治経済学は、二つのちがった目標をめざしている。第一に、民衆に豊富な収入または生活資料を供給すること、つまり、もっと適切にいえば民衆が自らそのような収入または生活資料を調達できるようにすること、そして第二に、公務を行うのにたりるだけの収入を、国家または公共社会に供給することがそれである。経済学は民衆と主権者との双方を富ますことをめざしている」[xiii]

  ここで再び脱線することを許されたい。以前ザ・スターリンやダムドを述べた稿で登場させたパンク・ロックのマニアであった男は、私の大学の後輩でもあったのだが、彼はケインズの『一般理論』を学んでいた。ケインズ理解の強化のためにと、彼は『国富論』の訳本を、『B』と『Ⅽ』の二種類を共に読んでいた。そんな彼が、私に向かって「新しい訳の方が読みやすいですよ」と発言したのである。新しい訳、つまり『Ⅽ』をこの時点ですでに私も持ってはいたのだが、ろくすっぽ読んでおらず、彼にまともな返答をできずに忸怩たる思いをしたことを、こうして草しつつ思い出す。彼の言ったことは、そうなのであろうなと今の私は思う。『Ⅽ』は21世紀の、特に若い読者にとっては『A』や『B』よりも親しめる文体といえる。ただあえて思い切ったことを述べてしまうと、(特に上記引用文以外でさらにいっそう目立つのだが、)『B』の訳文を引き写したと思える箇所が随所に見受けられる。脚注と解説は監訳者の水田洋が作成したもので、新しい知見が盛り込まれてはいるが、文体ともどもその密度はどうしても前二者より劣る。この点は仕方のないところであろう。訳者の杉山忠平が訳業完遂を前に病に倒れ、監訳者として引き継いだ水田は杉山との連絡相談ができなかったからである。[xiv]内田義彦、小林昇と並んで戦後日本三大スミス研究者の一人と称えられてきた水田としては、『Ⅽ』を全面的に改訂したかったに違いないと思う―『Ⅽ』の(一)のみ改訂版が出たようだが私は未入手―。だが『Ⅽ』公刊後20年余りを生きた水田であったけれども、もはや全面改訂を果たすだけの余力が残されていなかったと考えるのが普通であろう。[xv]
 4つ目が『Ⅾ』である。これはというと―

 「経済政策を行う政治経済学は、政治家や立法者のための学の一部門としてみたとき、二つの目的をもっている。第一は、国民に収入と生活必需品を豊富に提供すること、もっと適切に表現するなら、国民がみずからの力で収入と生活必需品を豊富に確保できるようにすることである。第二は、国が公共サービスを提供するのに必要な歳入を確保できるようにすることである。国民と国が豊かになるようにすることが、政治経済学の目的である」[xvi]

 『Ⅾ』が4つの中で一番読みやすいといえよう。実際、訳者は経済学の知識のない人が読めるよう心を配ったと述べている。[xvii]文章作法の点では基本的に大塚久雄と同じモットーで翻訳に当たったとみてよい。大学時代の私であったなら、躊躇なく『Ⅾ』を最も愛好したに違いない。『B』~『Ⅽ』に付されていた訳者による脚注がない(巻末に根岸隆氏による解説はある)といった部分は、もともと経済学~経済学史の専門家を読者対象としていないわけで、むしろ、この割り切り方は潔いともいえる。もちろんその道の研究を志向する読者には不満が大きいであろう。21世紀の、しかも日本に住む人間がスミスの本文を読んだだけでは、『国富論』登場当時の歴史的背景はよく把握できないわけだから、本文を読んでその内容のあらましは理解できたとしても、スミスがなぜこんなことを言いたいのか、すっきり腑に落ちない箇所が多々出てきても不思議ではない。さらにスミスの使っている経済用語の、その概念規定も、今日のそれとはずいぶん違っている部分が多く、その辺の専門的な視点からの比較や注解が欲しくなってくる向きも当然あろう。そしてもうひとつ、これは先にも述べた読みやすさと正確性との関連から出てくる問題だが、原著の英語をきっちり正確に日本語に移し変えていない傾向が、『A』~『Ⅾ』の中では一番、いや圧倒的に強いことは心得ておいた方がよい。その辺は一長一短あるわけで、『国富論』にまつわるより正確な、より精緻な情報を欲する人は他の訳書や経済学史の教科書・参考書を必然的に求めることによってその不足分を補うことになると思う。だからといって、『Ⅾ』の価値が減じることがないのはもちろんである。
 以上4つの訳書それぞれに味わいがあるということを蕪雑に述べ来ったわけだが、これら以外にも翻訳が、それも明治の初めから連綿と公にされてきた。[xviii]そして現在少なくても4種類の訳書が流通し―上記『B』~『Ⅾ』のほか、講談社学術文庫版―、簡単に手に入るのである。こんなにたくさんの翻訳があり、しかも手に入る本はほかにあるのであろうか、そう思えてしまうほどである。それだけ日本での『国富論』人気は高いということなのであろうが、その翻訳の多さゆえに『国富論』のとらえ方にも、『国富論』が与える印象もたくさんの相がある。訳文ひとつとってみても、まるきり味わいが異なってくる。だからこそ『国富論』は150年にわたって日本人に愛好されてきたのであろうし、たくさんの味わいを与えてきたからこそ古典であるともいえよう。
 さてもう一言、来る2026年は『国富論』刊行250年である。この年に新たな翻訳が出ないものか、ひそかに期待している。専門家の視点から翻訳された『A』~『Ⅽ』は、いずれもその登場から相当な時日が経過している。一番新しい『Ⅽ』からしてすでに20数年である。『Ⅾ』の登場まで、『国富論』の翻訳は、常に専門家的な視点からのみ行われてきた。もちろんそれは当然といえば当然なのだが、そのことで経済学(史)に門外漢の人からは敷居が高くなる傾向がどうしてもあった。『Ⅾ』の登場は、その敷居を一気に低くした意味で画期的であったわけだが、だからこそ今一度、今度は専門的な知見を備えた新しい翻訳を読んでみたいと思う。素人の視点と専門家の視点、両方を持った翻訳が読めるのは稀有なことである。内田義彦は学問の進化のためには、これら両方の視点を持たねばならないことを強調していたが、『国富論』の翻訳は、それを果たすことのできる貴重なツールになっているのである。素人が偉そうなことを、とそしられることは承知のうえで、私はそんな望燭の念を持ってしまうのである。

 追記 本稿ではルイ・シェリー・根岸隆両氏以外の引用人物の敬称を略させていただいた。当初、この処置についてはいかがなものかと思ったが、シェリー・根岸氏以外の方々がすべて物故者であること、ここでの記述は人物の名誉を棄損するものではないと判断し、この表現とした。



[i] 小林昇『帰還兵の散歩』、未来社、1984年、162ページ。

[ii] 「解題」(『A』Ⅱ、所収)、1399ページ。

[iii] これについては東京新宿にある漱石山房記念館で2022年12月に開催された石原千秋氏の講演で知った。公演の模様はYouTubeで配信されていたのだが、現在は停止されているのが残念である。

[iv] 新書版『漱石全集』、岩波書店、1956-57年、の小宮豊隆による解説にも、『定本 漱石全集』、岩波書店、2016-20年、の注解にも、『国富論』の引用先についての言及はない。

[v] 現在流通している中公文庫には、大竹文雄・出口治明両氏による対談が収録されているからページ数はさらに増えているはずであるが、私は未入手。

[vi] この、数学的な構造を持った著作が、『国富論』より9年早く公刊された「最初の経済学体系」であるジェイムス・ステュアートの『経済の原理』(1767年)である。数学好きなマルクスが、この著作を高く評価したのもむべなるかなと、そして私が『原理』を読めなかったのも、数学的思考ができなかったことが大きかったのであろうな、と思わせる。

[vii] 『原著』VOL.1、375ページ。

[viii] 『A』Ⅰ、643ページ。

[ix] 岩波文庫からは、大内/松川訳より以前の1940-44年に、大内単独による訳書が公刊されたことも記憶されるべきである。つまり日本の一般読者の、おそらく大半はもっぱら、『B』が出るまで戦中~戦後の30数年間、大内が直接関与した翻訳で『国富論』に接してきたのである。大内兵衛という名の浸透度がいかに深かったか、この一点だけでも思い知らされる。詳細については大河内一男「『国富論』邦訳小史」(『B』Ⅲ、所収)、水田洋「アダム・スミス翻訳史」(『アダム・スミス論集』、ミネルヴァ書房、2009年、所収)、参照。

[x] 「学問への道」(『大塚久雄著作集 第9巻』、岩波書店、1969年、所収)、236-7ページ、参照。

[xi] 『B』Ⅱ、73ページ。

[xii] 「訳者序」(『B』Ⅰ、所収)、ⅳページ。

[xiii] 『Ⅽ』(二)、257ページ。

[xiv] 水田、前掲論文、392-94ページ、参照。

[xv] 水田洋は1919年生まれである。『国富論』関係以外にも著作の仕事があったと仄聞している。

[xvi] 『Ⅾ』㊦、3ページ。

[xvii] www.honyaku-tsushin.net/koten/bn/wonatogaki1.html、参照。

[xviii] 大河内、水田、各前掲論文、参照。