ローブローアートを愛でる。
僕の大好きな画家にネオン・パークという人がいます。
彼は「7人目のフィート」とも呼ばれ、彼の作品はリトル・フィートのジャケットやアートワークで見ることができます。
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彼がまだ存命だった、僕がまだ20代の頃。
「Down on the Farm」の絵の1000枚限定リトグラフを、なけなしのお金をはたいて購入したことがありました。
でも長い間丸めたまま放置したりして、保存状態がひどかったので、もうすでにこれそのものの価値自体はないも同然なんですが。
でも、30年振りに特注の額を発注して飾ってみました。w
1000枚中の246枚目というナンバリングとネオンパークの直筆のサインが鉛筆で記されていますね。
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これはリトグラフですが、1970年代後半にロサンゼルスのエリアで発生した地下のビジュアル・アートのムーブメント「ローブローアート(Lowbrow art)」の流れで生まれたリトグラフ商品だと思います。
今でこそ、ネオン・パークのようなレコード・ジャケットや漫画などで生み出されるクリエイトも「アート」として認知される世の中になってはいますが、1980年代初頭当時にはこれらを「アート」だと認知しにくい土壌がまだまだあったんですね。
70年代から80年代にかけて、そういうアンダーグラウンドなポップクリエイションを、アカデミックな美術教育を受けていない美術家、またはファイン・アートの形式から外れた美術作品として、それらをアート商品として世に送り出すムーブメントが起こります。
人はそれを「ロウブロウ(無教養)」のアートという呼称で呼んだんですね。
ロウブロウ・アートの初期のアーティストは、ロバート・ウィリアムスやゲイリー・パンターといったアンダーグラウンドの漫画家でした。
ニューヨークやロサンゼルスにあるオルタナティブ・ギャラリーによって展覧会などが行われたり、新たなアート表現のマーケットとしてロウブロウ・ムーブメントはどんどん広がっていったのです。
1994年には、ロバート・ウィリアムス編集のロウブロウ・アート情報雑誌『Juxtapoz』が創刊されます。
この雑誌がロウブロウ・アートの情報や価値観を共有する中心地となり、まさにこのムーブメントの定着に大きく貢献することになります。
そしてこの頃から「ロウブロウ・アート」は「ポップ・シュルレアリスム」とも呼ばれるようになって、デザインの世界や写真の世界などとも連動して、90年代にはクリエイティブにおける「既存の価値破壊」の一大ムーブメントをあらゆるジャンルで巻き起こす起点にもなったのですね。
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アートという概念はとても曖昧です。
ゆえに、その言葉だけで憧れを誘発することもありますし、ひどい嫌悪を生み出すこともあります。
その根源が何であれ「好き」あるいは「嫌い」という個人的印象を否定してはいけません。
ただ、「嫌い」な場合は「否定」ではなく「蓋」でいいと思います。
でも、それらを認め、必要とする人たちが、それらをさらに育て、いつか世界を変えて、それまで「嫌い」だった人までが「好き」に転ずることになることだってあるかも知れないわけです。
今思えば、このローブローアート・ムーブメントはそういうことを信じさせるような出来事だったんではないかと思うんですよね。
何かを愛する。
何かを必要とする。
そのエネルギーはきっと、何かを「嫌い」になることよりも世の中を変える力になり得るのだと思うのですけどね。
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何はともあれ、僕はリトル・フィートが大好きで、ネオン・パークが大好きなんです。
この絵を若い時に買っておいてよかったなと思うのですよ。
とはいえ、無造作に丸めて押入れに入れててもダメなわけでね。
額に入れるものというのは大抵大切なもの、と相場が決まっています。
なので好きなアーティストのアートは、そんな額を特注までして作って入れるべき大切なものであるべきものかと。w
好きなアートがいつも側にあるという喜びは、額に入って初めて実感するものなんだな、と改めて思う今日この頃なのです。笑