国語の授業って、何を教えるの?
ライターの仕事をやっているが、私は文章を書くことについて習った記憶がない。小学校、中学校、高校と国語の時間がたまらなく嫌いだった。文法なんて意味が分からないし、面白かったのはクイズみたいな漢文だけ。テストの点は大して良くなかった。国語が嫌いな理由は、教科書を読みながら先生が「作者がどう思ってこう書いているのか」とか、偉そうに語っている。
バカじゃないの?
と私はいつも思って先生の話を聞いていた。作者でもない先生が、偉そうに作者になりきって、その答えを強要してくる。先生に「なんで先生は作者の気持ちがわかるんですか?」と聞いたら、先生は答えに困っていた。答えられないのに教えている先生が滑稽で、国語の時間は私の中でまともに聞く必要のないものと位置づけされた。今まで私が当たった国語の先生から、文学の面白さや、国語の面白さを一度も教わることができなかった。
これが日本の教育?
息子が中学1年の時に授業参観に行ったら、オッ?と思う面白い国語の授業をする先生に出会った。難しい授業なのに、子どもたちは真剣に耳を傾け、楽しそうに授業に参加している。アホな息子も積極的に国語の授業だけは参加していたようで、しょうもない意見を言っても先生が「面白い!」と息子のいいところをどんどんと引き出してくれる。息子は驚くことに、国語が大好きになった。これぞまさに生きた国語の授業だと思った。残念ながらその1年で、先生は他の学校へと移ってしまった。その後に赴任してきた国語の先生は、また私が長年感じてきた、型にはまったつまらない授業をする先生だった。そして型にはまれない息子を先生は責め続け、2年間意見を言っても無視し続けて授業から追い出した。せっかく国語が好きになっていたのに悲しい気持ちになった。
もしかすると、私は嫌々ながらも国語の授業を受けて漢字を覚えたりしたから、今、文章を書く仕事ができているのかもしれない。もしくは、私の親が本好きで本だらけの家で育ち、いつも興味のある本を身近に置いておいてくれていたおかげかもしれない。私は、今でも本が大好きだ。
もっと自由に文章を楽しめるように育ててはどうか?
私は、そう思うのです。文学だって、小説だって、絵本だって読む人の感想はみ〜んな違う訳で、いいと思うポイントも、面白いと思うポイントも、イヤだなあと思うポイントも、みんな人それぞれ。「みんなちがってみんないい」じゃないのかな。だから、作者の考えていることを、何文字以内で表して、先生がそれに点数をつけるなんて、これほどバカバカしいことはないと思うから、即刻やめるべきだと私は思ってる。日本人は、心の奥に感情を隠す。だからこそ、その考えていることを上手に引き出して、自分をもっと自由に表現できるようにしてあげるのが、本当の国語なんじゃないかと私は思っている。
な〜んて偉そうに書いたけど... 私は、国語が嫌いだったおかげで、色々と自信がない部分もあり、時々小学校6年生くらいの文法の本を読んだりするのです。編集&ライターの大先輩に教えてもらった。小学校の高学年の文法のテキストとかをやったらそれで十分だと。と。確かに素晴らしく網羅されている。小学校の高学年って難しいことやるんやな〜。
ということで、日本の国語の授業をもっと面白くしたら、きっと面白い人材が育っていくんじゃないかな。そして、もっともっと面白い文章を書く人たちが出てくるんじゃないかな。とそんな風に思っております。
是非とも、義務教育に携わっている先生方、型破りなことをして欲しいな。もうつまらない授業をする時代は終わったのだと思います。
今日は、これからボルタリングに初挑戦しに行ってきま〜す。