宮本輝の『錦繍』を読んで
「生きていることと、死んでいること、それはそう変わらんかもしれん。」
この本の中盤から繰り返し出てきたフレーズ。
私は、この本を読みきってから、このフレーズが離れない。
昨年私は会社を辞めた。転職して一年半だった。やり甲斐も大きく、好きだと思える仕事だったから。無理しながらでも、頑張りたかった。
診断書を取って休職を1ヶ月したが、病状はよくなく寛解の見込みもまるで分からずなので、退職。
病名は「適応障害」。
簡単に言えば鬱病の手前だ。厚労省のページに適応障害の鬱病への有病率が書いてあったと記憶している。4、5年で確か40%以上だったような。
併せて睡眠障害も症状として出た。精神疾患は多くの場合、睡眠障害を併発するが、私の場合は不眠であった。
他にも不安障害、PTSD、PMDDなど。自分の短所やパーソナリティ、トラウマなど、そういった心身健康であれば上手く付き合えていた(対処できていた)自分の負の側面がまるで毒のように、膿のように色濃く、深く、症状として出た。
身体的な疾患よりも、精神疾患は魂の根源から崩壊させていく、そんな気がした。
寛解となった今でも、適応障害の再発と鬱病への転換(進行というべきか?)が恐ろしい。何かの拍子にまた自分の、負のトリガーを引いてしまうのではないか。と常に感じている。
生命活動を行う上で、お金は必須だ。働くことも必要だ。また、生涯よりよく生きていくためには、働き方も選びたいし、どんな職種でも自分が今まで培ってきた能力を生かし、さらに成長し楽しく働きたい。
アルバイトをしながら、節約をしながら、少しずつ転職活動を行ってはいるが、かつての自分と違うという認識が寛解後出てきたので、志望動機も自己PRも課題も何もてんでわからない。本当に書けなくなった。こりゃまた恐ろしい。
取得したい資格もある。
食べたいものもあるし、行きたいところ、会いたい人もいる。
それなのに、書けない。
どうしても絶望が散らつく。難なく取り繕う事ができたら、どんなに楽だろう。よりよく生きることを諦めたくないのに、病気後の後遺症とも呼ぶべき、消えない生への絶望が確かにあるのだ。
生きることと、死ぬことはそう変わらないと私も読後はそう捉えるようになった。生きてても死んでしまっても、魂としての存在は在り続ける。だったら、自分がよりよいと思える「生」であった方が思う。
書簡体の小説は初めて読んだ。限定的でプライベートな描写が新鮮だった。
自分が何を言いたいのか、何を伝えたいのか、よく分からず読書感想文にしている節もあるので、吐きだめのようになってしまった。
朝になったら、書き直そう…
転職活動の自己分析がうまくいかないせいで、こんな文章になったのは言うまでもない。
おすすめ度は★★★★☆。
(個人的独断と偏見及び私の感性です)
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