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北海道独立宣言「実は日本ではなく独立したこともある!?」
【そもそも北海道は日本ではなかった】
北海道は『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場します。
渡島(わたりしま)は古代日本の北方地名で現在の北海道に残る渡島(おしま)という地名の語源とされています。
奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なっていて当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていたそうです。
1840年に日本で描かれた世界地図には今の北海道である蝦夷地も記されていますが日本とは別の色で塗り分けられていて江戸時代まで日本では北の境の認識が希薄だったといわれています。
現在のように北海道と呼ばれるようになったのは1869年9月20日(明治2年8月15日)に明治新政府が太政官布告によって蝦夷地に北海道の名前を与えてからのことです。
【かつて独立した国家があった】
1869年9月20日(明治2年8月15日)北海道になる直前の蝦夷地では1869年6月27日(明治2年5月18日)まで箱館戦争が繰り広げられていました。
箱館戦争は、戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘でした。
1967年(慶応3年)に15代征夷大将軍徳川慶喜が大政奉還を行って江戸城の無血開城が決定しますが新政府の徳川家への処置は、駿河、遠江70万石への減封というものでした。
これにより約8万人という多くの幕臣が路頭に迷うことを憂いた海軍副総裁の榎本武揚は、蝦夷地に旧幕臣を移住させ、北方の防備と開拓にあたらせようと画策し開陽丸を旗艦とした8隻からなる旧幕府艦隊で品川沖から江戸を脱出し蝦夷地に向かうのです。
旧幕府軍は箱館港には官軍の防備があるため、危険を冒しての敵前上陸を行わず、まず箱館の北、内浦湾に面する鷲ノ木を上陸地点とし1868年12月4日(明治元年10月21日)に約3,000名が上陸しました。
そして旧幕府軍は上陸の5日後には五稜郭へ無血入城し、箱館府知事を敗走させた後、艦隊を箱館へ入港させ箱館を占領することに成功したのです。
その後の1869年1月27日「蝦夷共和国」が成立すると首都を箱館に置き、本営を五稜郭とし、公用語を日本語とアイヌ語にしました。
国旗は青に黄色の菊花紋それに重ねて頂点が七つある赤い星で総裁は榎本武揚、副総裁に松平太郎が就任しました。
彼らはイギリス、フランスの両国軍艦がアダムズとともに箱館に入港後、諸外国の領事に独立政権として認めるよう要求し、この時「蝦夷共和国」が事実上の政権と認められたのです。
しかし、彼らは「蝦夷共和国」と名乗ったことはなくアダムズが“共和国(Republic)”と箱館新政権を指して用いたことから「蝦夷共和国」なる言葉が広まったらしいのです。
そのようにして誕生した「蝦夷共和国」ですが、その後は明治新政府に圧倒されるようにな諸外国は明治政府を支持するようになります。
そして1869年6月20日(明治2年5月11日)に土方歳三が戦死するとその一週間後には五稜郭を開城し旧幕府軍は降伏するのです。
これにより戊辰戦争、箱館戦争が終戦を迎え1869年1月27日に成立した「蝦夷共和国」は1869年6月27日には滅亡したのです。
その間わずか5か月の出来事でした。