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眠れない夜におりてきた言葉。
昨夜眠れなくて。
暗闇の中、ベッドの上でボーッとしている時に感じた言葉が
「私はひとりでいても楽しめる自分になりたくて今の現実を選んでいる」でした。
何かね、こんな言葉が自分の中から出てきたのがうれしくて。
今までの私なら「ひとりでも生きていける」というワードだったのが、「楽しめる」に変わっていたことに自分の成長を感じたんですよね。
人はみな心の深い部分で思っていることが現実として目の前に現われます。
潜在意識が現実になるというやつです。
潜在意識で思っていることは自分では氣づきにくいので目の前の出来事を見たときに「こんなこと望んでない」と思いがちなのですが、よくよく心を掘り下げていくと「ホンマや。全部叶ってる…」と分かるようになります。
で、私の場合。
3年前から両親や妹、オットと物理的、精神的にも距離を置いて暮らしています。
きっかけは心身ともに不調をきたしたからですが、最初は彼らから離れたことで心がラクになり、身体も回復していったのですが、月日が経過する中で孤独や不安を感じるようになっていきました。
だからといって元の生活に戻る氣はさらさらなく。
でも淋しい。
どこにいてもひとりぼっちの氣がして孤独感が抜けませんでした。
友人と会ったり、旅に出たり、興味のある学びを深めたり。
自分の好きな事をしていても、ふとしたときにやってくる淋しさ。
それがいつまでもつきまといました。
その一方で分かっていたことは
私がこの状況を選んでる。
なぜなら私はひとりで生きていけるようになりたいというのが私の望みだから。
人生の長い時間、家族やオットにベッタリだった私は、彼らの存在が自分の安心を支えていると勘違いしていました。
言葉を変えて言うと、彼らに守られているから私は生きてこられた。
これは「家族がいないと私は生きていけない」と言ってるのと同じこと。
(ここで言う「いる」「いない」というのは存在の有無ではなく、「依存しているか」「自立しているか」ということです)。
だからいつも心細かったのです。
これは私の思い込みで事実ではない。
ずっと分かっていたけれど、どうしても肚落ちしませんでした。
ところが昨夜、「ひとりでいても楽しめる自分になりたい」という言葉が降りてきて、そんな風に思えるようになった自分にワクワクしたのです(余計に眠れなくなった笑)。
ワクワクの理由は「家族やオットから精神的に自立した自分」というのがベースにいるから「楽しむ」という言葉が出てきたんだということに氣がついたから。
この精神的自立というやつも以前までは「ひとりで頑張らなきゃ」という頑なさが伴っていたけれど、先日父や妹にこれまでの経緯と自分の氣持ちを話せたおかげで「困ったときは頼ればいい」というやわからな心持ちに変わっています。
今、これを書きながら氣づいたのは、本当の自立ってそういうことなんでしょうね。
困ったときに「助けて」と言えること。
弱みをみせられること。
それができることが真の意味での「強さ」であり「自立」につながるんだと今、氣づきました。
父や妹に自分の心をさらけ出したことが私の精神的自立を促してたんや。
この文章を書く中で新たな氣づきがあってビックリ!
そういえば、あの日以来かも。
孤独感が薄れていってるのは。
なんかうれしいなぁ。
実は今、新たなチャレンジをしていて。
それがどう転ぶか分からないけれど「やってみよう!」と新たな一歩を踏み出せたことが「えらいなぁ。やるなぁ私」と思ってるんですよね。
まさにひとりでいても楽しめる自分。
なってきてる~。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
また書きます。