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自分の本当の音を奏でる

本当の音と書いて「本音」。
私たちは自分の本当の音を奏でるとき、最も美しく輝く。

アーティストの魂のこもった歌や絵画にふれたとき、自然と涙がでるのは
その輝きに感動するからだ。

何の忖度もない純粋な「思い」。

「本音を伝える」というのは、本来そういうことなのだ。


人に本当の氣持ちを伝えるのがコワイという人が多い。
かつての私もそうだったからよくわかる。

それは自分の思いを「拒絶されたらどうしよう」と考えるから。

せっかく勇氣を出して伝えたのにそれを相手に受け入れてもらえなかったら傷ついてしまう…と考えるからだ。

ここにそもそものズレがある。

冒頭で書いたように「本音」とは自分の本当の音を奏でること。

それを相手がどう受け取るか、どう感じるかは相手次第。

大切にすべきは純度100%の自分の思いをどれだけ忠実に放てるかで、相手の反応ではない。

受け取り側の反応に重きをおくことは、自分の純粋な氣持ちを濁らせることになり、本当の音は出なくなってしまう。

私もこれまでは本音を伝えることが本当に苦手だった。

でもある時「ホントの自分で生きていく」と腹をくくったときから素直な氣持ちを伝えることを少しづつトライしている。

そのときに決めたことはひとつ。

自分の思いを伝えられたらそれでOK! 

相手のこたえは「受け入れてもらえたらラッキー」ぐらいの心持ちでいるように努めている。

「私の氣持ちにこたえてほしい」という願いはもちろんある。
けれどそこが強くなりすぎると「執着」という念に変わり、それが自分を苦しめる。

ここを痛いほど味わったので、もうそれはやめることにした。

人とは本来分かり合えないもの。


肉親であろうが、パートナーであろうがみな同じ。

分かる部分もあるし、そうでない部分もある。

分かる部分を共有できればうれしいし、そうでないことは「拒絶」でも「否定」でもない。

そんなフラットな氣持ちでいられるようになると、本音を伝えることへの恐れもずいぶんと軽くなる。

私たちが大切にしなければならないのは、他の誰でもない「私の氣持ち」。

それを正直に表現することは、私への最大のリスペクトだと感じている。








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