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純度100%の自分でいる。


他者の反応で自分の純度を濁らせてはいけない。


仲のよい友人にそんな言葉をかけました。
彼女は姉妹で創作活動をしています。
絵を描いたり、アクセサリーを作ったり、ヒーリングをしたり。
それぞれに素晴らしい才能を持っていて、それらを集結してひとつの場で提供していました。

あるときのこと。
これまで活動の拠点がテンポラリーだったので、そろそろ場所をひとつに定めたいという話が妹さんから持ち上がりました。

彼女も賛成し、新たな場が見つかったのですが、契約するにあたり妹さんに責任がともなう案件が出てきました。

その場所は友人の家からは遠く、妹さんの方が近いので、そこは妹さんメインでやってくという話になったのです。

これまでずっと姉妹で活動してきたのに、これからはひとりになる場面もある。妹さんはそこに不安を覚えたのかもしれません。
本契約の日が近づいているというのに妹さんがすべき準備が中々進まないのです。

友人は内心イライラしながら(牡羊座さんの友人。なんでも速攻に済ませてしまう笑)、それでも妹さんのペースを尊重しながら「どうなってる?」と声をかけると、妹さんが爆発しました。

お姉ちゃんのそういう言い方が傷つく。
あのときのお姉ちゃんのあの言動がイヤだった。
お姉ちゃんはいつだってそうだ。
お姉ちゃんは…お姉ちゃんは…。

などなど今回のことだけでなく過去にさかのぼって色々文句を言われたそうです。

友人も一瞬はムカッときたものの「あぁ言い方が悪かったね。ごめんね」と謝ったのですが本音は「なんだかなぁ…」。
本来カラリと明るい友人も「言っちゃいけなかったかなぁ。今度から言わない方がいいのかなぁ…」とへこんだ様子で事の顛末を話してくれました。

そこで私が冒頭のセリフを言ったのです。

「あなたが言ったことはあなたの本音なんやからそれでええんよ。それに対して何を思うか、どう受け取るかは相手の問題。相手の反応で自分の純度を濁らせたらあかんよ」と。

誰かの言葉に傷つけられる、という現象は起こりません。
つかれて痛いことを言われたから、自分で認めたくない自分、見たくない図星をさされたから「傷つけられた」などと他者に責任を負わすようなことを言うのです。

ちがうちがう。
それは自分が認めなければならない自分の責任。


相手を責めるのではなく「あいたた…」と刺された部分を押さえながらも「そんな自分がいたんやね」と認め受け入れていくのが自分を大切にするということです。

「傷ついた」というセリフは弱い自分を見ないでいるための常套句。
そこに逃げちゃいかんのです。

そして「傷ついた」と言われた方も、それにひるんじゃあかんのです。

自分の発した言葉を相手がどう捉えるかは相手の課題であって、私たちが大切にすべきは誰といようと、どんな場面であろうと自分。

焦点を集めるのは、自分のピュアな思いをそのまま伝えられたかどうかという部分であって、それさえできればOK。

相手に忖度することなくどこまで自分の思いに忠実でいられるか。
それが自分を大切にするということ。

そんなことを思っていたら今朝、ふと妹さんの本音が降りてきました…。

今日も読んでくださりありがとうございます。
明日につづきます。



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