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【大学入試センターに詩を愛しているとは言わせない・05/13】共通テスト2018試行調査・国語第3問の問2について
一瞬は永遠で はない ある
前回までの内容をおさらいしておきましょう。
まず、「【大学入試センターに詩を愛しているとは言わせない・02/13】共通テスト2018試行調査・国語第3問のリード文について」では、エッセイの内容に関連づけて、詩を読みましょう、といいました。また、詩が先に書かれ、エッセイは後に書かれている可能性が高いことに注目しましょう、とも述べました。
さらに、「【大学入試センターに詩を愛しているとは言わせない・03/13】共通テスト2018試行調査・国語第3問のエッセイ「永遠の百合」について」においては、後になってつづられたのであろうそのエッセイの内容を、
〈創作とは永遠をめざすべきだ〉という考え方から、
〈創作とはむしろ一瞬の生命の発露こそをめざすべきものなのだ〉という認識への変化
というふうに読みとりました。
そして、そのエッセイの執筆以前に詩が歌われたはずだとすれば、その詩のほうには、エッセイに描かれた変化が反映されていないかもしれない。つまり、詩「紙」は、〈創作とは永遠をめざすべきだ〉というふうに考えてはいても、〈創作とはむしろ一瞬の生命の発露こそをめざすべきものなのだ〉と認識してはいない段階に詠まれたと推測できるだろう、とも指摘しました。
そうして、詩を読んでいくと、そのテーマが’恋愛’であるらしいこと、その内容がやはり〈愛とは永遠をめざすべきものだ〉というものらしいことがみえてきました。
もうすこしくわしくふりかえっておきましょう。
【紙+永遠の百合】
ひとが生きていくにあたって、‘愛が永遠につづくことなどないとしても、それでも永遠に失われることのない愛がほしい’とかつて詩につづった筆者は、詩人としては当然、‘永遠の生命など存在しないが、それでも永遠に生き続け、永遠に読まれる(普遍的な)作品を書きたい’と願っていた。しかし、旧友が贈ってくれたユリのアートフラワーに添えられたメッセージについておもいをめぐらせているうちに、‘生命がそもそも死ぬ運命にあることを条件とするのなら、生きることと永遠という時間とは両立しない。つまり、生き生きとした作品が書けるなら、永遠に読まれ続けなくともかまわない’とおもうようになった。
以上の読解をふまえたうえで、今回からは問題の解説になります。
【問2】
問2 傍線部A「何百枚の紙に 書きしるす 不遜」とあるが、どうして「不遜」と言えるのか。エッセイの内容を踏まえて説明したものとして最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
① そもそも不可能なことであっても、表現という行為を繰り返すことで、あたかも実現が可能なように偽るから。
② はかなく移ろい終わりを迎えるほかないものを、表現という行為を介して、いつまでも残そうとたくらむから。
③ 心の中にわだかまることからも、表現という行為を幾度も重ねていけば、いずれは解放されると思い込むから。
④ 空想でしかあり得ないはずのものを、表現という行為を通じて、実体として捉えたかのように見せかけるから。
⑤ 滅びるものの美しさに目を向けず、表現という行為にこだわることで、あくまで永遠の存在に価値を置くから。
詩「紙」に、「何百枚の紙に 書きしるす 不遜」とあるが、どうして「不遜」といえるのか、という理由をたずねる問題です。
2点注意すべきことがあります。1点目は、理由説明問題の問題文に主語が欠けていれば、その主語を補って考えるということです(このことについては機会を改めて説明することになるでしょう)。つまり、どうして「何百枚の紙に」「書きしるす」のは「不遜」であるといえるのか、というように考えるのです。
そればかりではなく、傍線部をふくむ第4連が、「いのち といふ不遜/一枚の紙よりほろびやすいものが/何百枚の紙に 書きしるす 不遜」となっていることも、手がかりとしてみましょう。すると、
なぜ、一枚の紙よりほろびやすいものが何百枚の紙に書きしるすのは、不遜であるのか
というふうに問いをたてることができます。この問いの文を、出発点とするのです。
2点目は、「エッセイの内容を踏まえて」とあることを忘れないでおく、ということです。
それでは、どういうわけで、「一枚の紙よりほろびやすいものが」「何百枚の紙に」「書きしるす」のが「不遜」になるのでしょう。
まず、「一枚の紙よりほろびやすいもの」とは、何か。このことについては、本文の読解段階(「【大学入試センターに詩を愛しているとは言わせない・04/13】共通テスト2018試行調査・国語第3問の詩「紙」について」の【4連】)でもふれました。それは、「いのち」や「こころ」のことでしょう。あるいは、「こころ」をもつ「いのち」、すなわち人間のことだといっていいでしょう。
つぎに、そうした感情をもつ生命であるところの人間が「何百枚の紙に書きしるす」のは、どうして「不遜」なのでしょう。ここで、設問の「エッセイの内容を踏まえ」よという指示をおもいおこしておきます。そうすれば、先の本文読解時(【4連】)に参照したのとおなじところを読み直せばいいと気がつくでしょう。
花でない何か。どこかで花を超えるもの。大げさに言うなら、ひと夏の百合を超える永遠の百合。それをめざす時のみ、つくるという、真似るという、不遜な行為は許されるのだ。(と、私はだんだん昂奮してくる。)
絵画だって、ことばだってそうだ。一瞬を永遠のなかに定着する作業なのだ。(「永遠の百合」5~6段落)
詩人は紙のうえに、「ひと夏の百合を」「ことば」によって表現します。「ひと夏」という「一瞬」の後には滅びてしまう「百合を」書き、描き、歌うことで、「永遠の百合」を生みだそうとするのです。「それをめざす時のみ、つく」り「真似る」という「不遜」が「許される」。「不遜」とは、‘思い上がっていること’。死ぬべき運命にある人間が、「一瞬」間存在する自然物を「真似」て、「ことば」で再現する。そうすることで、死なざる「永遠」の存在を「つく」りだそうと試みる。それを、‘思い上がり’だというのです。
このことを踏まえて、詩のほうにもどりましょう。なにゆえに、「一枚の紙よりほろびやすい」人間が「何百枚の紙に書」くことが「不遜」、つまり‘思い上がり’になるのでしょう。死ぬべき運命にある人間が、「一瞬」の間にいだく恋愛感情を「ことば」にする。紙を何枚も何枚も費やしてラヴレターに書く。そうすることで、死なざる「永遠」の愛を「つく」りだそうと試みている。そのことが、‘思い上がり’になるんだというのです。
【解答】
・一瞬の恋愛感情を
永遠のものにしようとして
何枚もラヴレターを書くのは、
思い上がった行為であるから。
↓
・X=一瞬の恋愛感情を、
・Y=何枚もラヴレターを書くことで、
・Z=永遠のものにしようとするのは
・α=思い上がった行為であるから。
※「一瞬」は「一瞬」であり、「永遠」は「永遠」です。「一瞬」が「永遠」になったり、「永遠」が「一瞬」になったりすることは、ふつうありえません。しかし、この詩は、「一瞬」が「永遠」になる(あるいは、「一瞬」を「永遠」にする)人間のかかわりうる唯一の奇跡(書く/詠むこと、そして必然的に読むこと…)を歌っているのです。「一瞬」好きだなと思った気もちをうまくコトバにしてラヴレターを書くことができれば、「永遠」に一緒にいることができる。しかし、そう考えるのは「不遜」だ、というのが傍線部分ですね。したがって、ポイントは、この「一瞬」-「永遠」という軸にあることになります。
【選択肢】
・選択肢①の「そもそも不可能なことであっても、表現という行為を繰り返すことで、あたかも実現が可能なように偽るから」は、〈「そもそも」一瞬間しか(存在するのが)「不可能なことであっても、表現という行為を繰り返すことで、あたかも」永続的な(存在の)「実現が可能なように偽るから」〉というべきであるのに合致しません。
つまり、①の「不可能」-「可能」という軸は解答根拠X+Zの〈一瞬-永遠〉という軸とズレているのです。誤答です。
・選択肢②の「はかなく移ろい終わりを迎えるほかないものを」は、X〈一瞬の恋愛感情を〉に合致しています。
また、「表現という行為を介して」も、Y〈何枚もラヴレターを書くことで〉にほぼ対応しているといっていいでしょう。
さらに、「いつまでも残そうと」というのは、Z〈永遠のものにしようと(すること)〉に対応しています。
最後に、「たくらむ」(企む)は、‘よくないことを計画する’ことです。αの〈不遜=思い上がり〉のニュアンスを反映していると判断してよいでしょう。正答です。
・選択肢③の「心の中にわだかまることからも、表現という行為を幾度も重ねていけば、いずれは解放されると思い込むから」というのも、①とおなじパターンの誤答です。
「わだかまること」は、‘不快な感情が停滞して、心が晴れないこと’をいいます。これを、仮に、相手が好きだという恋愛感情がうまく伝わらない状態だとしてみます。しかし、その‘停滞’してうまく伝わらないこと-(そこからの)「解放」や解決(?)という軸は、解答の〈一瞬-永遠〉と合致するというわけにはいきませんね。
想定した根拠のX~αを③にあわせていいかえれば、〈「心の中に」一瞬間「わだかまること」「も、表現という行為を幾度も重ねていけば、いずれは」そこ「から」「解放され」永続化する愛情を生みだすことができ「ると」傲慢にも「思い込むから」〉となるべきはずでしょう。誤答です。
・選択肢④の「空想でしかあり得ないはずのものを、表現という行為を通じて、実体として捉えたかのように見せかけるから」も、①や③と似たパターンです。
「空想」-「実体」という軸が、解答根拠の〈一瞬-永遠〉という軸と一致しないのです。
〈「空想でしかあり得ないはずの」一瞬の「もの」(=感情)「を、表現という行為を通じて」、永続化した「実体として捉えたかのように見せかけるから」〉とあるべきでしょう。誤答です。
・選択肢⑤の「滅びるものの美しさに目を向けず、表現という行為にこだわることで、あくまで永遠の存在に価値を置くから」は、②とくらべると、α〈思い上がった行為であること〉が欠けています。
たしかに、「滅びるもの」は、X〈一瞬の恋愛感情〉に、「表現という行為にこだわることで」は、Y〈何枚もラヴレターを書くことで〉に、「永遠の存在に価値を置く」というのは、Z〈永遠のものにしようとすること〉に、それぞれ対応してはいます。
さらに、「滅びるものの美しさに目を向けず、表現という行為にこだわることで、あくまで永遠の存在に価値を置く」こと全体は、‘枯れる(自然の)百合の花を超えた、枯れない(人工の)花を造ること’に合致するといえるでしょう。つまり、設問の指示どおり、「エッセイの内容を踏まえて」いるといえます。
しかし、詩「紙」の内容に傍線部があり、その理由をたずねていることとはややズレがあります。
それに、やはり、αを反映させた〈「滅びるものの美しさに目を向けず、表現という行為にこだわることで、あくまで永遠の存在に価値を置」こうと傲慢にも試みる「から」〉とあるべきじゃないかと判断すべきでしょう。誤答です。