【大学入試センターに詩を愛しているとは言わせない・09/13】共通テスト2018試行調査・国語第3問の問5について〈後篇〉
冷めるとは熱くなくなることである–このことが理由となる理由とは何か…(なんでもかんでも書くとおもうなよ)
【問5】
前回の「【大学入試センターに詩を愛しているとは言わせない・08/13】共通テスト2018試行調査・国語第3問の問5について〈前篇〉」をおさらいしておきましょう。
そこでは、まず、この問5が「私」が「さめる」理由をたずねていることをおさえました。そして、傍線部直後から、〈死なないものはいのちではないので、じぶんが永遠をめざした作品も、短い期間読まれればよいと思ったから〉という根拠をみつけました。しかしながら、選択肢③~⑤は、いずれも根拠(もしくは本文)に合致するところと疑わしいところをふくんでいました。それゆえ、再考する必要がある、というところで終わっていましたね。
ここからは、そのつづきです。
そこで、前回、最初に、心情説明問題のポイントを2つあげたことをおもいだしてください。すなわち、‘心情を説明すること’と、‘心情のきっかけ、あるいはその心情の対象となることがらをおさえること’が重要だという2点です。
今回は、そこにかえってみましょう。つまり、第1に、「私はさめる」というときの「さめる」とは、どのような気持ちなのか。第2に、その「さめる」気持ちが生じたきっかけ、もしくは、それとかかわる対象は、何なのか。そう考えてみるのです。
それでは、筆者の「さめる」というのは、どんな気持ちなのでしょう。「さめる(冷める)」は、‘高ぶっていた感情や興味が衰えたりうすらいだりする(例、「ほとぼりが冷める」)’気持ちをあらわします。
では、その‘高ぶっていた感情や興味’とは何でしょうか。今度は、心情の対象について考えてみます。本文において、それは、「昂奮」(5段落)でしょう。筆者は、造花の百合を旧友にもらったとき、そこに添えられた「秋になったら捨てて頂戴ね」という言葉に「びっくりし、そして考えた」。ここには、人間は(せいぜい)自然を真似た作品しかつくることができないという認識がある(2~3段落)。しかし、(筆者によると)、芸術家とは、むしろ自然に存在しないものを作りだす存在でなければならない。つまり、5段落に、
とあったように、です。そうして、この「昂奮」が7段落になって、「――ただし、(と私はさめる。秋になったら……の発想を、はじめて少し理解する。)」というように、おちついて、気持ちの変化がおとずれるわけです。
以上を、前回の解答根拠X+ Yにつけ加えつつ、まとめてみましょう。
【解答】
【選択肢】
・選択肢①の「現実世界においては、造花も本物の花も同等の存在感をもつことを認識したから」というのは、〈「現実世界においては」、枯れないことをねがって作りだされた「造花」は「本物の花」と「同等の」生命力をもてないの「を認識した」ので、永遠を夢見たときの昂奮が消え、自作も短期間のみ読まれればよいと思った「から」〉とあるべきでしょう。
Xもズレているし、YやZも欠けているのです。誤答であるのはかわりません。
・選択肢②の「創作することの意義が、日常の営みを永久に残し続けることにもあると理解したから」は、〈永久に残る作品は生き生きとした表現ではないと気づき、「創作することの意義が、日常の営みを永久に残し続けることにもあると理解した」ときの昂奮も衰え、自作も同時代を生きる者に読まれればよいと気づいた「から」〉というべきです。
XもZも欠けているし、Yも不足要素があります。やはり誤答です。
・選択肢③の「花をありのままに表現しようとしても、完全を期することはできないと気付いたから」が、仮に、X〈死なずに残る作品はその時代を生き生きと表現するものではないから〉に合致するとしてみましょう。
たとえそうであっても、選択肢④とくらべると、Y+Z〈永遠をめざすべきだと考えた時点での昂奮が失われ、自作も短期間のみ読まれればよいと認識をあらためたから〉が欠けています。誤答だと判断しましょう。
・選択肢④の「作品が時代を超えて残ることに違和感を抱き」は、X+Y〈死なずに残る作品は時代を生き生きと表現しないと気づき、永遠をめざすべきだと考えた時点での昂奮が消え〉に合致します。
また、「自分の感性も永遠ではないと感じたから」は、Zの〈自作もじぶんのような感性が絶滅するまでの短期間のみ読まれればよいと認識をあらためたから〉にほぼ対応しているといえるでしょう。
ところで、この問題は、そもそも筆者が「さめ」た(冷めた)ことの理由をもとめています。したがって、‘熱がなくなり冷たくなったこと’、すなわち、Yの〈昂奮が冷めたこと〉がもっとも重要なポイントとなる(と出題者は考えて、この正答選択肢をつくっている)のです。そのYを欠いた③より、この④を選ぶべきでしょう。じつは、選択肢後半より、前半の「違和感」が決め手です。これが正答です。
・選択肢⑤の「友人からの厚意を理解もせずに、身勝手な思いを巡らせていることを自覚したから」は、どうでしょうか。
前回は、傍線部の直後の記述に合致しているようだといいました。しかし、その記述とは、「(秋になったら……の発想を、はじめて少し理解する)。」でした。つまり、本文がいう「理解」したことの対象とは、選択肢のいうような「厚意」ではありません。「発想」です。
それでは、〈「友人」の秋になったら…の発想「を理解もせずに、身勝手な思いを巡らせていることを自覚したから」〉とあれば、正答だったのでしょうか。
しかし、この問題は、そもそも(「私」が)「さめる」理由をきいていました。そして、その(「私」が)「さめる」(冷める)とは、(「私」の)‘高ぶりが衰えること’、いいかえれば、(「私」の)‘熱意がなくなること’です。そして、その‘「私」の熱意’にあたるコトバとして本文にアルのが、「私」の「昂奮」というコトバです。友人の「厚意」などではありません。それゆえ、選択肢⑤の‘「厚意を理解」しないこと’も、傍線部直後の‘「発想」を「理解」しないこと’も、正答根拠とはならないのです。
とはいえ、“そこまで選択肢と本文の記述を厳密に照らしあわせる必要があるんだろうか。もしあるのなら、選択肢④の「自分の感性も永遠ではないと感じたから」だって、本文に完全に合致しているとはいえないじゃないか”――そう反論したくなるひともいるでしょう。
したがって、(くりかえしになりますが)この問題が「私」が「さめ」たことの理由を問うていたことを思いおこす必要があるのです。この⑤の選択肢は、④とくらべれば、肝心のその理由をきちんと説明した部分(すなわち、‘熱意の喪失’)をふくむとはいえません(少なくとも、出題者はそう考えて、この誤答選択肢をつくっている)。だからこそ(この「だからこそ」に存在する選択肢の吟味や判断の方法については、また機会をあらためて説明しましょう)、正答ではないのです。
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