エッセイに込められる書き手の人生と魂の叫び
社会人になり、エッセイ系の本やWeb記事を読むことが増えた。「何者かになりたい」と鼻息荒く生活していた大学生時代は自己啓発本やノウハウ系の本ばかり読んでいたのに。(ちなみに、今でも「何者かになりたい」とは思っている。笑)
自己啓発系の記事を読んでも、たいていは「行動しよう」に落ち着く。自分の性格も相まって「やってみんと分からんやん」という結論に陥ってしまい、一時的にテンションを上げるための役割となってしまった。
一方で、エッセイは「書き手らしさ」が存分に出るから面白い。何気ない日常を書き手の鋭い視点で切り取り、誰にも真似できない言葉として紡いでいく。
「うわ、こんな文章をおれも書けるようになりてー!」と何度思わされたことやら。最近は仕事で成功しきっている人の言葉より、どん底を経験して這い上がってきた人の言葉や人生訓の方が、自分の心にスッと入るようになってきた。
エッセイは生き方そのもの
同じ空間、同じ出来事を経験しても人によって切り取り方が変わる。どんな目線で日々を生きているのかがモロに分かってしまう世界。コツコツnoteを書いている人に限っては、「今はこんなことで悩んでいるんだな」と記事を見ただけで分かってしまうから、やめられない。
今読んでいる本の中で、芸人の千原ジュニアさんの話が載っていた。
ジュニアさんの話が載っているのはこちらの本。徳井さんの独自視点で大活躍中の芸人を捉えている本で、人となりが本から滲み出ている。
バラエティで見るのはトーク系ばかり
TverやYouTubeではトーク系ばかりを好んで見ている。企画系やドッキリとかは全然見ない。理由を考えてみると、人生観や人となりに面白さを見出しているからだと思う。
「実はこんなことがあって〜〜」「あの時の決断が〜〜」「ターニングポイントとなったのは〜〜」
誰一人として同じ道をたどっておらず、一人ひとりの苦悩と葛藤がある。芸人であれ僕の周りの人であれ、到底僕には経験できない世界。トークやエッセイを通して「あなたの切り取り方を教えてください」と投げかけている気がする。
自分の言葉で表現する意味
考えていないことは言葉として書けない。人から借りてきた言葉を並べても読んでいる人にはすぐバレてしまう。
自分で書いていなくても「この文章は熱量が乗っているなあ」とすぐ分かるし、読者として「その熱量、キャッチしましたよ〜!」と言いたくなる。だから、エッセイを読むのはやめられない。
ノウハウ記事のように何十人、何百人の参考になる記事をクリティカルに書き続けられたら良いなと思う気持ちもある。とはいえ、魂の叫びとして言葉を出していけるのはエッセイの方がやりやすい。
何百人に読まれなくても、一人に「この人の文章、面白いな。もっと他の文章も読んでみたい」と思ってもらえるだけで大満足。
あとは、書いている自分自身が楽しいから、記事を公開した時点で大優勝。書きたいから書く。ただそれだけ。
最近は全然更新ができていないけど、自分の言葉で自分の日常をありのままに表現するようにしていきたい。書くことが自分を豊かにしてくれるのは間違いないから。
コツコツ自分のペースで記事を書きながら、人の記事もたくさん読む!という宣言をここで。