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罪悪感と自己否定をなくすことができた、「なんちゃってランニング」

“スポーツの秋”なんてのは一瞬で、すぐに冬になってしまった。「よし運動するぞ!」と意気込んでいるうちに気温がグッと低くなり、ぬくぬくの布団を手放せない日々。

ご多分に漏れず、僕も「体力をつけるためにランニングしよう」と意気込んでいたが、まあ続かない。朝から筋トレはできるのに、ランニングは全然やる気にならないのはなんでだろう。

ジムで過ごす20分間は全く同じ。それでも筋トレの20分とランニングマシンでの20分は体感時間が全然違い、「まだ5分しか経ってないのか…」と絶望を味わい続けていた。

しかもタチが悪いのは、「ランニングした方が良いと思ってるのに続けられない」と自分を責めてしまうこと。自己肯定感を激しく下げるほどではないけど、「やらなきゃな。でもなー」と頭の中にあるのが厄介すぎて。

そこで、ジムでランニングすることを諦めた。「ランニングはやめる」と。

その代わりジムの行き来を小走りにしたり、駅からの帰り道を走ったりするようにした。時間にして合計15〜20分くらい。荷物を持っているからそこまでの負荷ではないし、1kmも走れているわけではない。

それでもやらないよりはマシだし、「ランニングしなきゃ」という自分で勝手に課していたtodoがなくなってきた。

たかが15分、されど15分。

30分や1時間など、まとまって時間を取らなくてもいいのではないか?まとまって時間をとるから、「この時間を無駄にしてはいけない」と自分でハードルを上げ、継続性の観点で苦しむのではないか?

と考えた僕は、隙間時間をちょこちょこ使う「なんちゃってランニング」に切り替えた。

そうすればランニング用に時間を確保する必要はなく、意識高くランニングに向き合う必要もない。お陰でだいぶスッキリしてきた。

読書も同じで、1時間読書の時間を確保するより、電車で座れた時に15分くらいちょこちょこ読む方が続けやすい。YouTubeやTikTokを見たい気持ちをグッと抑え、読書に充てられれば見える世界が変わるかもしれない。

忙しくて時間がないように思えるが、効果的に使える隙間時間があると発見したことは自分にとって大きな気づきだった。

頑張る代わりに、頑張らなくても勝手にやってしまう仕組みを作る。1つずつのハードルをもっと下げれば、気軽に勝手にさまざまなことにチャレンジできる気がする。

時間に対する感覚を研ぎ澄ませるようにしたい。

💡おまけ

「意識低くても勝手に意識高くなってしまう仕組み」ってなんだろう、みたいなことを最近は考えています。

人によって意識を高く持てるジャンルと低くしか持てないジャンルがあると思うので、仕組みでカバーできることは仕組みでカバーしたいですね。


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おばた わたる
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