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嵯峨嵐山でいにしえの文学を感じる京あるき・後編〜源氏物語編〜
「嵯峨嵐山でいにしえの文学を感じる京あるき」後半、源氏物語編です。
嵐山で1969年創業、地元住民に親しまれる喫茶店「コーヒーショップヤマモト」で、一休みしてから野宮神社に向かいたいと思います。
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店内に入ってすぐ目に飛び込んでくる珈琲豆や、カップやサイフォンなどの珈琲グッズの数々に胸がはずみます。
最近若い人たちの間でも話題の、有名なフルーツサンドをお目当てにきました。案内された席に座ると、足元にビートルズの赤盤を発見。
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店内は絶えずレコードの音楽が流れ、観光客たちの賑やかなしゃべり声はあるものの、ゆるりとした時間が流れていました。
ふとお隣の席に目をやると、小さな二人兄弟の子供を連れた観光客らしき一家が、フルーツパフェやフルーツサンドをほおばっていました。ほほえましく穏やかな家族の楽しい非日常の時間、片や暑さと空腹でへとへとのわたしなのでした。
お待ちかねのフルーツサンドに、アイスコーヒー。お値段は1200円と少々高いのですが、このボリュームを見たらむしろ安く感じます。メロンに黄桃に、オレンジにチェリー。喫茶店フルーツたちの精鋭部隊が守りを固める、ホイップクリームの要塞です。
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どう攻略するか、ここは苦みが強くて味わい深いアイスコーヒーを味方に引き入れたいところ。このお店のアイスコーヒーはとても重厚で、コク深く香り高いのが特徴です。このコーヒーさえあれば、要塞は手のひらを返して味方に転じ、こころを平和にしてくれることでしょう。
とはいえ、ひとりで要塞を攻略するのはなかなか大変でした。ふたりくらいで協力して挑むのがいいかもしれません。
反対側に映っているのはフレンチトースト。シロップにひたひたになったフレンチトーストは、口の中でじゅわっとシロップが広がり、一口目の瞬間で魔法にかかったように幸福感に溢れました。
今度は地元住民に愛されるモーニングを味わいに行ってみたいです。
さて、お腹も膨れたところで、最後の目的地に向かいましょう。
竹林の小径に佇む野宮神社。源氏物語旧蹟と大きく入り口に架かれているため、源氏物語となんらかのかかわりがあることは、みなさんもご存じなのではないでしょうか。
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この野宮神社、『源氏物語』では秋の切ない別れが描かれるシーンの舞台となっています。
平安時代の野宮神社は、伊勢神宮に遣える斎王が、伊勢に赴く前に1年間身を清めるために潔斎生活を送る場所でした。斎王制度は南北朝の乱で廃れてしまいましたが、現在も源氏物語に記述のある「黒木鳥居」や「小柴垣」が当時の面影を伝えています。
『遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、 浅茅が原も 枯れ枯れなる虫の音に、 松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬ ほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと 艶なり。』
街を離れて広い野に分け入った光源氏。秋の草花がみな枯れてしまって、虫たちが鳴く声と松風の音の中、じっと耳を澄まさなければ聞こえてこない楽音が野宮の方からかすかに聞こえてくる。観光地となった今では想像もつかない、寂しい土地だったことが伺えます。秋の季節の寂しさと、よく似合う場所ですね。
源氏物語の賢木の巻では、斎王となった六条御息所の娘(のちの秋好中宮)が、母親と共に潔斎生活をおくり、いよいよ伊勢に出発するというところで、六条御息所と光源氏が再開する場面が描かれています。
光源氏は松虫が鳴く秋の野宮神社にこっそりと入り込み、ようやく心の整理がつきそうになっていた六条御息所との再会を果たしますが、御息所の心は再び源氏によってかき乱されてしまうのでした。光源氏も、いよいよ別れを迎えるというこの時になって、自分の過失でこの人を失うことになったことを悔やみ、絶えず涙を流しながら、明け方帰路につきます。
『「暁の別れはいつも露けきを こは世に知らぬ秋の空かな」
出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。風、いと冷やかに吹きて、 松虫の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、 まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや。
「おほかたの秋の別れも悲しきに 鳴く音な添へそ野辺の松虫」
悔しきこと多かれど、かひなければ、明け行く空もはしたなうて、出でたまふ。 道のほどいと露けし。』
「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが 今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね」と歌った源氏は、帰ろうとしてまた女の手をとらえてしばらく去りえないふうであった。冷ややかに九月の風が吹いて、鳴きからした松虫の声の聞こえるのもこの恋人たちの寂しい別れの伴奏のようである。何でもない人にも身にしむ思いを与えるこうした晩秋の夜明けにいて、あまりに悲しみ過ぎたこの人たちはかえって実感をよい歌にすることができなかったと見える。
「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ」
御息所の作である。この人を永久につなぐことのできた糸は、自分の過失で切れてしまったと悔やみながらも、明るくなっていくのを恐れて源氏は去った。そして二条の院へ着くまで絶えず涙がこぼれた。
晩秋の切なさ、野宮の寂しさ、別れの悲しみを、なんとも優美に雅に描いていますよね。
賑やかな観光地となった今は、当時の寂しさは消えてしまったかもしれませんが、平安時代の野宮はどんな風だったのだろうと、想いを巡らせてみるのも、楽しい京都の歩き方になると思います。暑い日が続きますが、秋ももうあっという間にやってきます。紅葉名所の常寂光寺に、晩秋の別れが描かれている野宮神社。今秋の行楽の予定に組み込んでみてはいかがでしょうか。
参考:http://www.genji-monogatari.net/html/Genji/combined10.1.html#paragraph1.2
校訂:渋谷栄一/訳:与謝野晶子/電子化:上田英代/校正:小林繁雄/渋谷栄一訳との突合せ:若林貴幸・宮脇文経