悪縁にさようなら、良縁にようこそ。 安井金比羅宮「悪縁切り守・縁結び守」
◆この記事を書いた人
京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科 1回生 松田凪紗
「もうあいつとは縁を切りたい」。そう思ったことがあなたにだって一度や二度はあるだろう。そんなとき、真っ先に訪れたいのが安井金比羅宮だ。ここは「悪縁を切り、良縁を結ぶ神社」として知られている。その理由は御祭神である崇徳天皇がすべての欲を断って参籠されたことにちなみ、「断つ」ための祈願がなされてきたからだ。
安井金比羅宮は、八坂神社や南座など京都を代表する観光スポットが集まる祇園の南側に位置し、紅殻格子に犬矢来という祇園情緒のあるお茶屋さんが立ち並ぶ、心を落ち着かせてくれる花見小路を歩いた先にある路地の奥にひっそり佇んでいる。しかし、現在の「安井金比羅宮」という神社として祀られるようになるまでには、数多くの歴史的な出来事に彩られている。
御由緒によれば天智天皇の御代である668~671年にこの場所に藤原鎌足が藤を植え、「藤寺」と名付けたのが始まりだとされている。それから500年ほど経ったころ、崇徳上皇がこの藤を愛したことから1146年に堂塔を修造。寵妃である阿波内侍を住まわせたと伝えられ、その崇徳上皇が1156年に保元の乱で敗れて讃岐に蓜流となり、都に帰ることなく亡くなると、阿波内侍は上皇より賜った自筆の御尊影を寺の観音堂に祀られたという。その後、大円法師が御堂に籠った際に崇徳上皇が姿を現わし、それを伝え聞いた後白河上皇の詔(みことのり・命でも可)により、この地に「光明院観勝寺」を建立。やがて光明院観勝寺も応仁の乱で荒廃するも、1695年に太秦安井にあった「蓮華光院」をこの地に移築して「安井観勝寺」とあらためると、崇徳上皇に加え、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになるのだった。しかし明治に入ると廃仏毀釈のために安井観勝寺は廃され、神社だった鎮守社のこの場所は「安井金比羅宮」として現在に至っているのだ。
安井金比羅宮といえば、有名なのが「縁切り縁結び碑」。この碑は高さ1.5m、幅3mにおよぶ巨石で、ふたつの石をつなげた継ぎ目の亀裂から中央の円形の穴に向かって神様の力が注がれているといわれている。わたしも実際にくぐってみたのだけど、たしかに右の石と左の石の真ん中に継ぎ目があった。みなさんもくぐる際には、ぜひともチェックしてほしい。ちなみに、この碑ができたのは昭和54年頃と新しく、すこしでも多くのかたに参拝いただけるようにという先代の宮司さんの発案によるものなのだとか。いまでは安井金比羅宮のシンボルとして、この碑をくぐるために来られる参拝者も多く、まさかここまで全国的に有名になるとは思ってもみなかったのではないだろうか。
続いて御祈願の方法について。まずはご本殿に参拝したあと、「形代」と呼ばれる札に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書く。次にその形代を手に持ち、願い事を頭の中で念じながら碑の表から裏へと中央の穴をくぐることでまず悪縁が切れる。次に、裏から表へとくぐることでこんどは良縁が結ばれるということなのだそうだ。最後には形代を碑に貼って御祈願は終了。御祈願をした多くの人々の形代が貼られた縁切り縁結び碑は、どこかアート作品のように感じ、その不思議なパワーに圧倒される。
さて、安井金比羅宮で紹介したいお守りはやはり「悪縁切り守」「縁結び守」。悪縁切り守は淡い色、縁結び守は力強い色をしている。ここで多くの人が抱く疑問がある。それは「この反対の意味を持つお守りを同時に持っていていいのか?」というもの。そこで宮司さんである鳥居肇さんにお話を伺った所、安井金比羅宮としての考えかたでは「悪い縁を切ってこそ良い縁が結ばれる」ということだそうで、むしろ縁切りと縁結びのお守りふたつを同時に持つことが、もっとも良いのだということだった。まさに「表裏一体」という言葉がピッタリくるお守りなのだ。
さらに、金毘羅さんは海上安全・航海安全のご利益で有名であることから、マリンスポーツをしている人などもよく参拝に来られるのだとか。また先ほど縁切り縁結び碑を紹介した際に「絵馬」という言葉が出てきたと思いますが、じつは安井金比羅宮は絵馬でも有名。安井金比羅宮は京都の社寺の中でも特に多くの絵馬が奉納された神社で、境内にある絵馬堂に掛けられている。現在は修復中で今後絵馬の展示館として一般公開を予定しているという。またここでは「お礼参りの絵馬」があるということなので、縁切り・縁結びのお参りをしてもしもその願いが叶ったと気は、ぜひ、もう一度訪れてお礼参りをし、お礼参りの絵馬を奉納することをお勧めしたい。
人は人生のなかで多くの人と出会う。良い出会いもあれば、悪い出会いもある。それらはすべて「縁」によるものであり、縁によって人の一生は左右され、自らの歩む道を定められているといっても過言ではないだろう。安井金比羅宮で多くの人が記した形代や絵馬を見ているうちに、わたしはそんなことを考えた。そして「縁」というものの持つ、特別で不思議なパワーを感じた。そういえば京都はもともと、縁を大切にする街でもあるのだった。
◆安井金比羅宮 公式サイト