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四季で変わるお守りが、恋の季節を連れて来る。 六孫王神社 「鯉守り」

◆この記事を書いた人
京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科1回生 鈴木里菜


京都駅の南玄関である八条口を出て右、方角で言えば西側へおよそ15分ほど歩いた比較的ひっそりとした場所に六孫王神社はある。この神社は清和源氏の発祥の宮として知られている。春は桜が非常に美しく、お花見の穴場スポットとなっていることからプロの写真家や結婚式用の写真を撮りに訪れるカップルも多いという。
境内に入るとまず目に飛び込んでくるのが、池とその池にかかる橋である。この池は、神龍池と呼ばれ、鯉がゆったり気持ちよさそうに泳いでいるのだが、鯉はその発音が「恋」と同じであることから、六孫王神社は縁結びのご利益があるとされている。また、池にかかる太鼓橋は、「恋のかけ橋」と呼ばれており、この橋を渡ると恋の願いが叶うといわれている。

六孫王神社のご祭神は源頼朝から数えて八代前、清和天皇の孫として生まれた源経基である。経基の父親は六男(第六皇子)である貞純親王であった。天皇の六男であり天皇の孫であることから、経基は「六孫王」と呼ばれていた。その経基が臨終の際に残した「死後は神龍となって邸内の池に住んで子孫の繁栄を祈るから、この池に葬るように」という遺言により、現在の池に経基の墓所を建立。その前に社殿を造営したのが現在の六孫王神社の始まりとされている。現在も社殿奥に残されている石の基壇が経基の廟であるといわれている。また当時の社殿は応仁の乱でほとんど焼け落ちてしまったため、現在の社殿は徳川綱吉の時代に建て直されたものだといわれている。

六孫王神社の本殿や拝殿はいずれも京都市指定有形文化財に登録されているのだが、屋根瓦の色は独特な赤茶色をしている。じつはこれ、神社の近くを走る新幹線が関係しているというから驚きである。新幹線の線路は京都駅に近づくにつれて大きくカーブを描いているのだか、これは六孫王神社の敷地を避けて線路が敷かれたからである。そこで新幹線はこのあたりを通る際にカーブを曲がるためにブレーキをかけなければいけないのだが、その際に鉄粉が飛散して神社の屋根瓦に付着。それが経年による錆によって赤茶色になっているのだという。また神社と新幹線を一緒に撮影できるスポットということから、鉄道ファンによる参拝も多いのだそうだ。

もうひとつ、六孫王神社を参拝した際に注目していただきたいのが石灯籠。先にも述べたようにこの神社は綱吉の時代に再建された建物であるが、その際に綱吉が「先祖の神社だからなにか寄付せよ」との命を受け、各大名たちはそれぞれに石灯籠を寄付したのだそうだ。六孫王神社に祀られている石灯籠はそれぞれに形が異なっているのはそのためである。
また、ご祭神である経基は歌人としても有名だったため、境内には経基がつくった和歌の碑も建てられている。

さて、六孫王神社を紹介するうえで、今回とくにおすすめしたいのがお守りだ。じつはこのお守り、2023年にリニューアルされたばかりの新しい「鯉守り」なのだ。この神社では30年以上前から縁結びのお守りをつくっていて今回紹介する新しい鯉守りも完全オリジナルのお守りである。このお守りは六角形の形をしているのだか、その理由はもちろん六孫王の「六」が由来となっている。仲睦まじく泳ぐ黒と赤の2匹の鯉が描かれている。色は紐の部分が赤色と白色の2色からお好きなものを選ぶことができる。そしてこのお守りの最大のポイントは、季節によって少し柄が変化するところである。
たとえば、冬に販売される鯉守りは池の水面に静かに振る雪をイメージした雪の結晶が描かれている。また春には桜、夏は紫陽花、秋には紅葉など季節に合った絵柄のお守りが並ぶということだ。季節ごとに参拝して4つの絵柄すべてのお守りを集めてみるのもいいかもしれない。

六孫王神社の紹介は以上だが、ちょっと個人的なことを書いてみたい。今回の取材で話を伺ったなかで、とくに心に残ったことがある。それは「縁」というものの大切さである。冒頭に「清和源氏発祥の宮」と書いたが、清和源氏とはなにかということから書いておきたい。

古くから天皇家は子孫が非常に多かったが、そのなかでもとくに多かったのが、52代目の嵯峨天皇である。嵯峨天皇はなんと50人もの子どもがいたとされている。しかしこの時代は遷都などもあって多くの費用がかかるため、天皇家では50人もの親王や内親王たちを養育することがもはやできなかった。そのため「臣籍降下」を敢行。その多くが天皇家から離れることとなった。その際、天皇家には苗字がないため、源流が同じ「源」という氏を名乗りなさいということになった。それが源氏の始まりである。その後の子孫も多くが源の姓を名乗り、多数存在したといわれていて、20人の天皇が源姓をあたえている。そのなかで、清和天皇から名前を与えられ、武家社会の基盤となった人物こそが、六孫王神社のご祭神であり、清和天皇の源流であることから「清和源氏」と呼ばれているのである。

武家社会が発達していくさまざまな流れのなかで子孫を繁栄させてきた。子孫が繁栄するということは、それ以前にさまざま人が縁でつながっているということである。縁と聞くと男女の縁を想像する人が多いかもしれない。しかし、縁というものは決して男女の縁だけではない。宮司さんも「男女の縁だけではなく、出会う人たち全員との縁を大切にしてほしい」とおっしゃっていた。そうだ。人生で出会うすべての人と縁でつながっているのだ。
わたしは今回の取材を通して、あらためてご縁を大切にしようと思った。これから先の人生でまだまだ多くの人と出会うだろう。そのときには、今回の取材で伺ったお話を思い出し、ひとりひとりとの出会いを大切にし、ご縁に感謝しようと思う。ぜひ、みなさんも六孫王神社へ参拝して縁結びのご利益を授かって、恋人や家族や兄弟姉妹、友人や先生といった、人とのご縁の大切さに思いを馳せてもらいたい。

◆六孫王神社 公式サイト


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