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短編小説 炭坑節 「自分で選んで良かったこと」応募作



「炭坑節」は、もとは筑豊炭田で選炭作業の際に口ずさまれた作業唄で、その後洗練され、広まって、日本民謡の代表曲の一つになる。

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 ぼくらは鉄製の階段を降りてゆく。足首を覆う丈の長い安全靴の靴底が、滑り止めのオウトツのある踏み板を踏むたび、ガンガンという耳障りな音が、階段の横の壁に反響して響く。会社の事務所のある八階から、現場である一階の吹き抜けの倉庫へはこの階段を使う。エレベーターを使えるのはここの事務所へ入るまでだ。そのあと使えるのは就業後になる。高校一年からの連れのケンケンは、この階段のことを、降りるときは地獄の階段と呼び、登るときは天国の階段と呼んだ。どちらも死にそうだって意味だ。降りたその先には、偉そうな鬼が待ち構えていて、うんざりするほど働かされるし、帰りはへとへとになった身体で解放感に浸りながら階段の先を見上げて登る。それで地獄と天国だった。ぼくは階段を降りて行きながら、いつものように、周囲に聞こえないよう小さな声で歌を口づさんだ。ツキガー デタデター ツキガデター ヨイヨイ ミツイタンコウノーウエニーデター 炭坑労働者が選炭作業しながら歌っていた炭坑節という唄だ。盆踊りにも使われている。人々は櫓を囲んで輪になり、この唄に合わせて踊る。ぼくも恥ずかしがりながらも輪に参加した記憶がある。けれど、今では地元で祭りをしなくなった。町内の行事を若い人が嫌がるからというのが理由だ。これも時代だ。そもそも町内会すら参加しないという人も多い。ぼくも地元の消防団には加入していない。義務だと思っていたけど、そうではないみたいだ。親父も入れとは言わない。たぶん、ぼくに言っても仕方がないと思ってるんだろう。アンマーリー エントツーガー タカイーカラー  二つ下の弟はぼくと違ってまともな奴だから高校を出ればおそらく消防団に入る。でもそれも別に関係ない。ぼくはぼくのやることをやるだけだ。サゾヤー オツキサンー ケムタカロー アラヨイヨイ この長い階段を降りた先では労働が待っている。そう思うといつもつい肩に力が入る。でもそんな気分の高揚もこの呑気なメロディーを歌うと少し柔らぐ。

 唄を歌い終えると、狭い階段の三階まで降りていた。ぼく自身や、ぼくの前を歩く若い女や、ぼくの後ろをぞろぞろと降りてくる奴らがたてる足音が、時折、行進のように一つに重なる。前をゆく女もぼくも後ろの奴らもみな一様に会社から貸し出された白いヘルメットを被っている。その光景はこれから戦地に赴く兵隊たちをイメージさせる。顎紐をちゃんと絞めたヘルメット。滑り止めのついた手袋。そして重たい安全靴。ぼくらは銃を持たない兵隊たちだ。年齢も性別もばらばらの寄せ集めの兵隊たち。そして蟻みたいに真面目に働く兵隊たち。階段を一つ降りるたび、前を歩く若い女のヘルメットの固定バンドの隙間から出た束ねた後ろ髪が、馬の尻尾のように揺れる。女の顔はマスクで隠れてわからない。ただ何となく顔の輪郭から緊張でこわばっているのを想像する。ぼくは女に声に出さず語りかける。なあ、あんた、知ってるか? これからハードな現場が待ち受けているってことを。列の先頭に、赤いヘルメットを被った水色の制服がいるだろ? あのシマダが、このあと俺たちに命令をだすんだ。十代でバイト経験があまりないんだったら、働くのってこんなにきついのかと驚くはずだ。俺たちはそんな場所に行かされる。あんたはたぶん、積み込みか、引き込みだろう。それでも、俺よりはずっとマシだと思う、俺たちはーーそのとき、後ろの奴とその連れとの会話が耳に入ってきて、ぼくはそっちに興味を持った。今日は暑いからマジで死にそうだわ。ほんとだよなあ。もう帰りたくね? 思うー。てか、階段どんだけ長いんだよ。事務所が八階とか、おかしいわ。だりいなあーー。だるいんだったら帰れよ、とぼくは思った。おまえら、帰りもここを登るんだよ。そんときはもうくたくたで今みたいに喋る元気もないだろうよ。らくしたいんだったら来るところを間違えたな。他に行けば良かったのに。しかも夏場によ。ーーでもぼくはあいつらの言うことにもひとつ同意できた。社員は階段ではなくエレベーターを使っていた。派遣は階段だった。それって差別だよな。同じ人間だってのに。ぼくは昨夜ケンケンが言ったことを思い出す。昨日の昼、電話で連れのケンケンをここの仕事に誘ったとき、あいつはぼくに、俺はもうあそこはいやだ。マジで勘弁してくれ、あそこは地獄だ、と言ったのだった。ぼくは最後の踏み板から足を離し、その地獄に降り立った。そして、なにが地獄だよ、とつぶやいた。後ろからぞろぞろと人が降りてきた。なあケンケン、人間ってのはやる気があるかないか、それだけなんだよ。立ち止まって、あれこれ考えても仕方がないから、働くんだよ。俺もお前も、こいつらも、みんなな。あのシマダだってそうだよ。シマダは派遣を引き連れて太いコンクリの支柱の向こう側に回った。あいつも俺らとおんなじだ。考えても仕方ないから、俺たちの先頭をバカみたいに歩いてるんだ。
 
 支柱の向こうの吹き抜けのだだっ広い倉庫にはトラックから荷下ろししたカゴ車が数えきれないほど整列していた。ここはトラックの中継地点だ。ここで荷物を下し、荷を積み込んだトラックは出発し、また別のトラックがやって来る。ここがミツバチの巣でトラックはミツバチみたいなものだった。もう見慣れた光景だ。緑色に塗った床には、黄色や白のテープが縦横に張り巡らされていたが、そのほとんどが破れたりしていてあまり役目を果たしていない。その上をぼくらは頑丈な安全靴で歩いて行く。中央のシューターの近くにはすでに三、四十人集まっているのが見えた。まだ朝八時前というのに空気はすでに蒸し暑かった。

 先に待っていた水色の制服の連中、彼らは社員やパートやアルバイトの連中で、こちらをジロジロと値踏みするように見ていた。このサウナみたいな倉庫にたったいま到着したぼくらは、一時雇用のスポット派遣軍団だった。直雇用の奴らにとっては、一時的な仲間でもあるが、どちらかと言えば服従させる対象だ。人によっては差別といじめの標的にする奴もいる。それでもぼくはここを幾度も経験しているベテランの兵隊だったから、正面で奴らが偉そうにふんぞり返っていようがいまいが、負ける気はしなかった。スポットの顔ぶれの中に見た顔は三人いた。他はおそらく新兵ばかりだ。新兵は現場でオロオロしていて、なにやってんだと叱り飛ばされたりもする。ぼくも初めは何もわからず、奴らのいいカモだった。でも三回目でもう文句を言われなくてもいいように仕事は覚えた。
 シマダのコマンダーが拡声器を口に当てて、やる気のない声で「みなさん、おはようございます」と挨拶をした。 
「きょうスポットが二十五人来てます。仕分けの数が多いですが、予定時間に間に合うように、頑張りましょう。そして、事故をしないよう気をつけて、仕事をしてくださいーー」
 
 
 やはりぼくの思ったとおり、配属先は「流し」だった。流しとはカゴ車に乗った荷物を動いているベルトコンベアに乗せる仕事で、ひたすらその作業を行う。配属先の中で最もキツい部署で、そして他に何もできない新兵の仕事だ。ベテランは積み込みの仕事をすることが多い。だけどシマダが担当の日はぼくはほとんどの確率で流しへ行かされる。たとえ積み込みをしていても、一時間もしないうちに流しに行くようにと指示がくる。シマダのヤロウは、あいつは何故かぼくが嫌いみたいだった。だいたいシマダは派遣を舐めていた。募集すればほいほいやってくるし、いくらでも変わりがいる、こき使ってやればいい、と言う態度が目について、気に入らなかった。
 
 天井に取り付けた業務用扇風機が勢いよく回り、ぼくら流し軍団はその下で、ベルトコンベアの上手から下手の五メートルほど横一列に並んで、目の前に運ばれてくるカゴ車に積まれた荷を一個づつコンベアに乗せて流していく。これがひたすら五時間続く。天井に付いた扇風機が首を回し、熱気をかき混ぜる。ただ風をかき混ぜるだけで涼しくもなんともなく、暑くてもマスクは外せなかった。ぼくはひたすら無我夢中で荷物を抱え、コンベアに置き、流した。何も考えず、ひたすら汗をかき、身体を動かした。余計なことを考えたりすると、時間が過ぎない。だるいと思うと時計ばかり見るようになる。それが嫌だった。いっこうに進まない針にがっかりしないために、目の前の仕事に集中したほうがいい。二つ上手で流している作業ズボンを履いた若い男は手慣れていた。一度見かけたことがある。ものすごい勢いでバテることを恐れず流していた。こういうタイプは時々いた。開始時は流石にやる気があり、監視しているシマダに良いところを見せようとする。周囲に俺は出来るアピールをする。ゴリラのドラミングと同じだった。しかしこの暑さ、重い荷物、五時間という長丁場で続くわけがない。新兵でこのペースに巻き込まれる奴がいるが、結局バテてしまう。ぼくは一定の早くもなく遅くもないペースを保ちながら、一番上手で天井から吊るしたモニターに映る、倉庫の各所にあるカメラの映像を確認しているシマダを横目に見て、俺にはいつも流しばかりやらせやがって、ふざけんな、と呟いた。ただ、手はとめない。タイヤ、ミカン箱、一斗缶、ゴルフバッグ、ビールケース、服の入った袋なんかを流して行く。身体を動かしていると汗が噴き出てくる。ぼくは息があがってきたため少しペースを落とした。そして胸の中で、ぼくは機械だ、何も考えない、ただ腕を、脚を動かし、ベルトコンベアに荷を乗せていくだけの機械そのものになれ、と思った。機械のように何も考えるな。インプットされた行動だけすればいいんだ。脳ミソは邪魔だ。思考は要らない。ぼくらのようなものに脳ミソはいらない。希望などもない。少なくともこんなところで日銭を稼いで暮らすものに希望なんてないって言う親父も、ぼくには愛想をつかせ弟にだけ期待している。いずれ長男のぼくが家を出ることになるだろう。出るにしたって金がいる。かなりいる。だから少しでも貯めないといけない。母は口を酸っぱくして就職してくれと言う。でもぼくはどうしても面接に行けなかった。ハローワークでパソコンを使って職を探すと、就いてみたい仕事もあるにはあった。まだ二十歳でどこでも使ってくれるはずだと思いもした。でもハローワークを出て街をぶらついた。面接まで進もうとすると心にブレーキがかかった。家に帰り母にやりたい仕事が何もないと嘘をつくのも憂鬱で、スポットを入れない日は部屋にこもり、ゲームをしたりギターを弾いた。ぼくには何もない。目指すものも、将来も、資格も、夢も何もない、だけど、こうしてスポットで労働をしている。それの何が悪いというのだろう。はっきりいって就職なんてしたくない。収入は安定するかもしれないが、それだけ自由を奪われるはずだ。会社になんて拘束されたくない。働きたいときに働きたい場所で働く、それが自分には合っている。母や親父や周囲に認められなくても良い、この生き方を選んでもいいだろう。俺にはこれが合っているはずだ。そのうちやりたいことだって見つかるかもしれないしーー、そのとき、両手が届かないほど大きな段ボール箱を乗せようとしていて、ぼくはバランスを崩し、抱えていた箱を床に落としてしまった。中身は軽く大きな音はしなかったが、確認すると箱の角が少し潰れてしまっていた。ぼくはあわてて箱を持ち上げると、何事もなかったようにコンベアの上に流した。そして誰の目も見ないようにして、ゴルフバックを体で抱えるようにして持つとベルトの上に乗せた。箱を落としたぐらいのこと誰も気にしてないよな、と思ってぼくは胸を撫で下ろした。そして、軽い小さな箱をいくつか流してカゴ車の方に体を向けたとき、ほとんど空になったカゴ車の後ろにシマダが立っていた。
「おい、柿谷さん。いまさっき、あんた、落としただろ?」
 ぼくはシマダを見た。シマダのマスクの上の目はけだるそうだった。
「気をつけてやってくださいよ。それ、お客様の大事なものだから。それと、もう少し丁寧に、流してくれ。ちょっと見てて荒いわ」
 ぼくはシマダに謝った。
「気をつけます。すいません」
 シマダがカゴ車から離れて、また奴の定位置に立ち、モニターを見張りだすと、ぼくは、荷物を抱え上げながら、うるせえよ、くそシマダ、とつぶやいた。代わりにあんたがやれよ。偉そうに見張るだけだろ、あんたは。でも声は、コンベアの回る音や、機械の音、人の喧騒でシマダには聞こえやしない。まじでうぜえんだよ、あんたは。今度は少し大きな声で言ってみた。
 

「いまから、少し休憩します。水分補給をして
ください」とマイク放送が聞こえてきて、ぼくは抱えていた箱を流してから、カゴ車の端に腰を下ろした。隣のおっさんも腰に手を当て、ひと息ついている。この人とは何度か一緒に仕事をしたことがある。額に玉の汗をかいていた。ぼくは口のマスクを顎にかけ、ペットボトルの水を飲んだ。
「あっちいなあ、たまらんわ」とおっさんがぼくに言った。おっさんはマスクをさげ鼻を出した。
「ほんと。やばいです」とぼくは言った。「蒸し風呂ですね」そう言ってマスクを掛け直した。「一昨日も来てましたね、流し」ぼくは他に言うこともなく、かといって黙っているのも気が引けて、聞いた。
「おお、きとったよ。金曜日な。あの日も暑かったなあ」天井から下げられた扇風機が首をふり、ぼくらの周囲の暑い空気をかき混ぜる。
 
 おっさんは白の薄手の作業服の上下を着、首にタオルをかけ、シャツは汗で体に張り付いていた。
「それ、ええか?」おっさんが訊いてきた。目線がぼくの着ているベストに向いていて、「すこしは、マシですね」とぼくは答えた。ぼくは空調ベストを着ていた。ベストからブーンというプロペラの回る音が聞こえてくる。パワーは最大にしていたが、外の空気が暑いと、たいして効果はなかった。「ないよりマシ? なぐらい」
 
「ワシもそれ前に着とったけどな、たいして涼しくもないけえ、面倒になっていまはきとらん」
 ぼくはマスクの下で愛想笑いを作った。
「風がぬくいけえ、意味ないわ」マスクをしていてわかりづらいが、おっさんは笑っていた。おっさんはどこかの地方の訛りも手伝って好感を持てた。「あと、二時間やなあ」「長いっすね」ぼくはコンクリートの柱にかけてある時計を見て言った。
 コロナでマスクが必須になり、働き先でもマスクの下の顔はわからなかった。ぼくはこのマスクをしなければいけない状況が、案外好きだ。ここには二十回以上来たが、シマダに街で偶然すれ違っても、たぶん誰かわからないだろう。このおっさんに会っても、お互いわからないと思う。この先もスポット派遣の仕事をして行くつもりだし、ここのしけた職場の奴らの顔なんて覚える必要はない、そう思っていた。


「はい、では、流します」と列の最前列でシマダがマイクで話すと、ブザーの音が聞こえ、コンベアが動きだした。
 ぼくは本でも詰め込んだようなやたらと重いミカン箱を抱えるとコンベアの上に流した。流しながら小さな声で炭坑節を歌った。

 ツキガー デタデター ツキガデター ヨイヨイ
 

 

  
 

月が出た出た 月が出た ヨイヨイ 三井炭坑の上に出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ アラヨイヨイ

炭坑節 福岡の民謡


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