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今、僕にできるコト~能登半島地震から9か月経過後に思う~

2024年10月になりました。
今年もあと3カ月。
「ねえ待って」て言いたくなるくらいに10月になるのが早かった!
今朝はいつものように会社最寄りから一つ手前のバス停で降り、崇敬神社である尾山神社にお一日参りをして出社しました。

何事もなく元気よく働けて、何か頼まれれば「まかせて!何でもやるよ!」と言える余裕のある「“フラットな”状態」を80点
オーケストラの本番でボルテージMAXの状態を100点とするならば
今朝は60点くらいかな…といった感じでした。


先週9月29日の日曜日、僕は、オーケストラが大好きなチェロ弾きの旦那様とクラリネット吹きの奥様が中心となって今年の春立ち上がった『交響する氷見』というプロジェクトの中で、氷見市の田舎の集落で結成された農村オーケストラの一員として、2回目のコンサートに参加してきました。
トロンボーンの出番のある曲が多くてとても楽しかったなぁ♪

オーケストラメンバー全員集合!

その演奏会のロスが来ているだけかと思ったけれど、それだけじゃないみたい…。能登半島の災害のことを中心に、いろんなマイナスな出来事を体に吸い込みすぎているかなあ、と思います。

今朝の新聞には「1月1日の能登半島地震発生から9カ月経過」地震からの震災復興もようやく進み始めたところに豪雨による災害が起きて、建物が崩れる以上に面倒な・大変な状態になっている被災地。土砂とか流木とか家財の撤去って、濡れててなおさら大変です。
もうすぐ衆議院選挙もあるっていうのに、「投票場としての施設が足りない・人手も足りない」…という記事も載っていました。

NHKの画面には被災者に向けての情報テロップが絶えず流れているし
SNSに流れるのは、能登の変わり果てた惨状と「人手が足りません、助けてください」という悲痛な叫び。
行方不明だった輪島市の中学生の女の子は、福井県坂井市の海上に浮いているところを漁師さんに発見されたというニュースも。

それだけじゃなく
「何か一つの意見を発信すると必ずアンチ(反対)がいる」ということはわかっているんだけれど、アンチの方ばかり見えてしまって心がしんどくなる感じもすごくしています。
なので、僕はX(旧ツイッター)のアカウント2つ持っているんですが、そのうちの一つは、発達障害や精神疾患などにまつわるマイナスなポストばかり流れてくるので、全く見ないようにしています。

でも今の能登の人に、
「やまない雨はない」「生きていればきっといいことがある」
「生きているだけで丸儲け」「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
なんて軽々しく言えないし、
「そういうのもううんざりなんだよ!!!」て思っている発達障害の人や鬱などの精神疾患などの人もすごく多いです。

「こんな時に暢気に音楽なんかやってていいのかな」
「ガソリン代かかるとか体力的に大変だとか言ってないで、ボランティア行った方がいいのかな」
「『助けてください』って言われているのに行かないのは白状なヤツなんじゃないか」
となどといけない風に考えてしまいます。

自分のことへの集中が外れるたびに落ち込んでしまうのが僕の悪い癖なんだな、と思います。


そんな僕に、いつもお世話になっているコーチ的存在の方がこう話してくれました。

「これでいいんだろうか」という不安を持てば持つほど、自分の波動は下がってしまうよ。
だから、いつも自分がご機嫌でいることに集中する。そうすることによって、自分の周りの人もご機嫌になる。
自分の人生においてもっといい結果が欲しいと思ったら自分の機嫌をよくするという方法が一番。
いろんな人のいろんな見方をすべて取り込んでしまうと自分がどうしたらいいかわかんなくなってしんどくなるだけだから、自分がどうしたいかだけを大事にする。
そして「自分の出来ることだけをやる」。

「ある」に感謝をして、自分のペースをオトさないことが、能登の人たちにとってありがたいこと。
今はすぐ目の前に「助けて」っていう人がいないけれど、何かあったときにちゃんと動ける自分でいたほうがいい。


能登に行って簡単な指示すら与えられないで、片付けボランティアみたいな作業が特性上できる?
普段とかかわりのない人たちとイレギュラーな対応が求められる作業をして、うまく動けなかったときにその自分をうまく処理できる?
能登のボランティアを終えて帰ってきて、そのあと普通に仕事ができる?
ということを考えたら――難しいよね。

ボランティアにいって疲労困憊になって本業ができなくなったら本末転倒。
今能登に行くのは出番が来てるのはあなたじゃない。
無理に何かをすることが大事なんじゃなくて、自分をいつも通りにおいておくことの方が、大事なことだし被災者のためになる。

出来ないことを悩んだって何の成果も得られない。
できることは自分を同じペースに持っていくこと。
オーケストラで楽器を吹くことや音楽祭のボランティアは楽しんでやれるからできることで、震災復興ボランティアは、にしむー一人じゃ難しいと思うと。
フォーカスする場所を変えたほうがいい。
適材適所って言葉もあるしね。
今能登の人に直接できることはプロやバイタリティ溢れる人に任せた方がいい。


そうか…僕がやるべきことは、
「自分がやっていることに自信をもって、丁寧に続けていくことを大事にして、自分の波動を落とさないコト」
なんだ。

奥能登国際芸術祭の作品のひとつ、トビアス・レーベルガー作の「ほかに何かできる」の写真を見て、ようやく心が落ち着きました。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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