yamadama

昔撮った写真や旅のことを書いてみようかと思います。1960年代生まれ。

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最近の記事

マイナス40度の霧の街に出て写真を撮る

1989年の暮れに、北緯62度の街ヤクーツクに行ってみた。昼間の気温がマイナス40度以下になることもある街だ。 零下40度くらいになると、「居住霧」という、空気中にあるいろいろな水分が凍ってしまう現象で、視界は極端に悪い。というか空気が冷たい。痛い。それでも街に出てみようなどと考えて、カメラを持ってホテルを出てみる。 自分の吐く息が髪について凍り、たちまち白髪になる。冷たい霧の中は幻想的でもあったけど、恐怖もあった。 一眼レフカメラのファインダーを覗くと、目が痛い。なん

    • マイナス20度でも30度でも子供は外で遊ぶし旅行者は写真を撮る

      コートを着て、カメラを持ってホテルを出る。街をただ、ぶらぶらと歩きながら、たまに写真を撮る。 子供たちの声がする。声をかけて撮らせてもらったりする。声をかけるといっても会話ができるわけではないけれど、意図は伝わっている、と思いたい。 寒い街をとくにあてもなく歩いていると、集合住宅の団地のはずれにいた。金属の擦れる音がする。ブランコの音だった。団地内の児童公園で子供達が遊んでいた。姉と弟だろうか。写真を撮らせてもらった。 新年が近づくと広場に遊具や大きな飾りが並び、お祭り

      • ハバロフスクでバスに乗る。隣の人にお金を渡すと満員の車内でリレーされて、切符とお釣りが戻ってくる

        旅行者なので、特に用事もないのに街の乗り物に乗りたくなる。現地の人たちを真似てバス停に並び、来たバスに乗り終点まで行ってみたりする。身動きできないくらいに混んでいるバスにも乗る。車掌がどこかに乗っているのだろう。周りを見ると、お金がリレーされて行き、切符が戻ってくる。無言のまま、そのリレーが行われる。この街のローカルルールなのか、違うのかはわからない。 真似をしてみる。隣に立っている男性にルーブル紙幣を渡す。紙幣は次の人の手に渡り、その次の人に。しばらくすると切符とお釣りが

        • 昔、フィルムカメラで撮ったソ連と旧ソ連の写真を見ながら何か書いてみる。

          ただ「カメラ」と呼んでいたはずのものが「フィルムカメラ」になってしまった。そういえば、カメラにフィルムを装填して、右手の親指でフィルムを巻き上げて撮影するということをもう何年もしていない。 ソ連邦の末期からソ連が終わってからの数年の間、毎年1回か2回、ロシア極東やシベリアを旅行した。その時に撮影した写真を見ながら、覚えていることを書いておこうと思った。 フィルムをたくさん持っていくのだけど、短い旅の終わりころには残りのフィルム本数、残りのコマ数を気にしたりしながら撮影した

        • マイナス40度の霧の街に出て写真を撮る

        • マイナス20度でも30度でも子供は外で遊ぶし旅行者は写真を撮る

        • ハバロフスクでバスに乗る。隣の人にお金を渡すと満員の車内でリレーされて、切符とお釣りが戻ってくる

        • 昔、フィルムカメラで撮ったソ連と旧ソ連の写真を見ながら何か書いてみる。