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最近読んでオモロだった本


科学を生きる: 湯川秀樹エッセイ集

湯川秀樹の本を読んでいたら、すこし前に流行ったビジュアルシンカーについての話や、平均的な人間はない、みたいな言説をすべてひとりでやっていてスゴいと思った。

……とにかくほんとうは多数の人が、そういうイメージや図式を盛んに利用しているのではないか。〈中略〉つまり頭の中にいろんなイメージが現われ、言葉による思考もする、数式もある程度は、寝床の中でも暗やみでも考えられる。そういうものの組み合せとして混沌としたものを、だんだん言葉による秩序へ、あるいは数による体系化へ変化させてゆく。そういうプロセスの結果としては、とかくイメージ的、図式的なものは表に出なくなってしまう。〈中略〉私の言いたいことは、たとえば現在の科学の細分化、抽象化の方向と違った一つの方向として、この種のこれまで日の当らなかった側面へ光をあてることによって、公の権利が認められていなかった領域を開発するということが考えられるのではないか。そうすれば、納得の体系または相互理解の体系として、現在の科学よりももっと広いものを手に入れる可能性があるのではないかということです。

第1章 物質とシンボル──物理学と科学の物差し 思考とイメージ

湯川秀樹. 科学を生きる (河出文庫) . 河出書房新社.   

生命科学の分野では、かつてシュレディンガーが『生命とはなにか』という著書でDNAの存在を予言していた、という話があるのだけど、それと同様の先見性を湯川秀樹から感じる。

私はこの時代の日本の科学者の随筆がたまらなく好きで、なぜかというと、みな和歌や漢詩をやるからで、詩と科学という相反するものがうまく調和してまさに私が読みたいような文章が出力されている、そういう詩的快楽がある。

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪

ニュートンに犯罪捜査官としての一面があることをはじめて知った。造幣局の大臣の仕事の一環で、贋金作り犯罪集団をゴリゴリに追い込み、最終的に死刑までもっていく。

あまりに意外な一面だが、卑金属を貴金属に変える技術を日常的に研究していたニュートンなので、造幣局の責任者になるのも当然といえば当然。金属においてニュートン以上の専門家はいない。そういえばアインシュタインもかつては特許庁の事務をやっていた。

「ニュートンは理性の時代における最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師だった」ジョン・メイナード・ケインズ

そもそもよく考えてみれば、重力という目に見えないものを定量化しようとする時点で魔術師じみている。タイトルからはニュートンが贋金作りを追うスリリングな物語を想像していたのだが、実際はニュートンの生涯を描いた伝記的な内容であった。会議において上座下座みたいなのにやたらこだわったり、嫌いな科学者の肖像画をこっそり廃棄したり、他人を恫喝しまくったり、実業家兼科学者みたいなのはエジソンもそうだが凶暴な人間が多い気がする。

ニュートンはかの『プリンキピア』執筆中に鬱病で苦しんでいたらしい。昨今、鬱病リアリズムなる症状が知られるようになったが「鬱病=リアリズム」という等価がはたらくなら、世界の実相にひたすら迫るような物理学者が鬱病のリスクにさらされてしまうのは当然だと思う。

ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する

人間が古くより語ってきた物語ストーリーの功罪をさまざまに検討していく本。

原題は『THE STORY PARADOX』という、地味でおさえたタイトル。ここでいうパラドックスとは”矛盾”というよりは”問題”のニュアンスがある気がしていて、タイトルは『物語の諸問題』みたいなのが実態に沿っている気がする。

棒で玉を叩くだけのホモ・サピエンスが尊敬される謎

食料をつくる農家、病気を治療する医者。そうした「直接的利益」に貢献してくれる人よりも、棒で玉を叩くだけの人間の方が尊敬されている、このことを奇妙に思う人間は多いはず。

今日、玉叩き名人や玉蹴り名人、自分の声を多数に聴かせる名人(歌手)などが「最もフォロワーを獲得している」ことに疑いはなく、これこそ現代文明の“歪さ”をあらわしている……と思いきや、このような「ストーリーテラー崇拝」は古来より世界各地で見られる普遍的な現象だという。

たとえばフィリピンの狩猟採集民アイタ族では、ストーリーテラーの社会的地位が医者などより高いことが確認されていて、そうした傾向は古代ギリシャ時代から存在している、そのような論説を豊富な資料をもって示していく。

NR Farbman/The LIFE Picture Collection

つまり、逆を言えば、たんなる玉叩きや玉蹴りに「人生を賭けたドラマ」を見出せるのも、ホモ・サピエンスの高い知能がなせるワザで、この想像力が人類の発展に貢献してきたことに疑いの余地はない。しかし、人間が悩まされている諸問題の裏には、ストーリーテラーにつかまされた幻想があり、古代ギリシャのプラトンは詩人を恐れるあまり社会からの追放を望んだ。そうした“共同幻想”の歴史を整理したようなものが本書。

帯文にスティーブン・ピンカーの推薦があるとおり、本書はいわゆるビッグ・ヒストリーもの(サピエンス全史系の)に分類され、広告されるべき本なのだが、なぜかビジネス書に分類されていて、東洋経済新聞社の手にかかると、こうも俗っぽくなるのかと感心する。

ダサい邦題問題

編集部内で繰り広げられたであろう物語を創作してみる。

『The Story Paradox』だと地味だから
『ストーリーは世界を滅ぼす』でいこう!

↑おぃ待てぃ(江戸っ子)

この出版社の方針は誤っており、本来リーチすべき層は、サピエンス全史やらのポピュラーサイエンスに関心がある集団で、うさんくさいオンラインサロンメンバーではない。

帯文には「なぜ私たちはあの人の論破にだまされるのか。事実と物語は混ぜるな危険!陰謀論とフェイクが溢れる世界で生き抜く武器としての思考法」と書いてある。正気か?ここはオンラインサロンではない。当然、本文でひろゆきへの言及はなく、編集者は自らの俗っぽさを自覚した方がよい。本書は、クラシック名著的な風格すらあるのに、アホなセールスマンが台無しにしてしまった、かなしき装丁のストーリーも隠されている。

正しくはこうあってほしい。版権が切れたら、白水社か河出書房が装丁あらたに出版しろ(半ギレ)

売れなそう

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ALISON
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