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1日のルーティーン(コロナ禍の中、老父の世話をしていた日本の実家での2021年1−4月)

2019年パリで朝のルーティーンについて書いたのですが(あの頃はまだ犬が生きていたのだね)、これは兄の急遽で日本の実家に戻っていた2021年の1月から4月まで行っていたルーティーン。次回日本に戻ったときの参考、反省のために記したいと思います。写真は実家近くの公園。

これは兄の臨終の前後のバタバタが収まり、朝のルーティーンが定まってきた頃のものです。

八時までに起床。排泄の後、脱衣の状態で体重を計り、折れ線グラフにしるしをつける。

着衣。1−4月の在宅普段着は:ユニクロヒートテック極厚シャツ、スキー用の薄い保温セーター、極厚ニットのベスト(ノーブラでも胸の線が出ない)、極厚裏ボアズボン、極厚靴下、MIZUNOの室内用保温靴。それでも寒い場合は前開きの羽織りものを加える。

髪を梳き、洗顔、ローションと紫外線防止クリームを塗る。

階下に降りてビタミンDを一錠コップ一杯の水で服む。

フランスで習慣になっていた絞ったレモンと蜂蜜をお湯に入れて飲む習慣は日本では中止していました。レモンも蜂蜜も高すぎたことと、体が要求していなかったので、ビタミンCが他の食事で足りていたのだと思う。

洗濯機を回す。

お湯を沸かしている間に居間の雨戸とブラインドを開け、カーテンを開ける。朝日を浴びることでメラトニンの分泌が抑制され、体内時計が活性状態に導かれる。

外から新聞をとってくる役は、父の為に残しておく。

現在16時間断食を実践しているので夜の八時から正午までは食事なし。

朝食はコーヒーのみ。

仏壇の置いてある和室の雨戸とガラス戸と障子を開け、空気を入れ替える。

お茶を煎れて仏壇に持っていく役は、父の為に残しておく。

大匙いっぱいのオリーブオイルをとって排泄。(この効果は素晴らしい)

パソコンでメイルチェック、SNSに投稿。

ダイニングと居間と台所に掃除機をかける。

父が起きてきてお茶を入れ、食パンを焼き、白いふかふかのパンにマーガリンをつけて食べるのはメタボに良くない気がするが、父が毎朝これを続けても八十九歳まで肥満せず、病気もしないで元気でいるところを鑑みると、それほど健康に影響しないのだろう。

10:00-12:00 父が二度寝をする。

11:30までデスクワーク、空腹で集中できなくなってきたら素焼きナッツをつまむ。

12:00 昼食。一汁三菜、あるいは野菜たっぷりの焼きそばかうどん。父の食事を出している間に私の食事が冷めてしまい、私が食事を始めてすぐに父の食事が終わるのでお茶とデザートを用意しなければならなく、そこでさらに私の食事が冷めるので、この時点でもう一度温める。これが毎日のストレスの一つ。

13:00-15:00 父が昼寝。私は遺品整理などの活動。サイト更新その他。

15:00-18:00   父が起きてきたらお茶とおやつを出す。戸外の活動、買い物、

18:00-20:00   夕食。一汁三菜、夕食の前にはノンアルコールのビール(日本のノンアルビールは安くて美味しいな)と肴を出す。TVでニュース。父の見たい番組(スポーツや時代劇)につきあう。

20:00 台所の片付け物、父は入浴、就寝。

片付け物や単純作業をしている時はワイヤレスのイヤホンでYoutubeなどを聴く。日本にいる間はフランス語能力が低下するので、努めてフランス語の放送を聞く。

夜はZoomで舞踏の授業をする。前回の動画チェック、使用する楽曲の準備、部屋、機材の設置。

終了後は出席表入力、出席者への連絡。

いくつかのデスクワーク、入浴、就寝。

その後

老父を実家に独りおいて、4月の末に夫と息子のいるパリに戻ってきました。週に一回ヘルパーさんに掃除に来てもらい、高齢者用配食業者さんから毎日食事(写真)を届けてもらってmailで安否確認を受け取っています。でも書類手続きなどが残っているのでフランスの仕事が片付いたらまた日本に戻る予定です。

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反省

目の前にあることをバタバタと片付けているだけの毎日だったので、やり残したことが随分ある。会えなかった人も多い。「せっかく日本に帰ったのに日本で活動(公演、ワークショップなど)しなかったの?」と言われたが、実家の騒動が先で、それどころではなかった。また、仕事というものは注文されればやるし、注文がなければやらない(やれない)のだ。コロナ禍でいろんなことが無理だった。などなどの理由。

書き散らしですみませんが、日本での画期的減量成功法なども、そのうちにアップします。

有科珠々





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