人生は小説よりも奇なり2
https://note.com/alil/n/n239105cddd27
の数ヶ月後です。
ひどい喧嘩をした。
10月には日本にくるとか、結局仕事が忙しくなってこれなくなって連絡さえもあやしくなってる頃、私はFacebookでたまたま知り合いになったフランス人のフォトグラファーにLINEでつきまとわれていてイライラして全然返信をよこさない彼にそのことをまた愚痴った。
とたんに激怒した電話がかかってきた。
そんなしらないやつなんてさっさとブロックしろだの、なんでまた飲んでるのだの、
なんなの?と私はいつも彼と話すときに使う脳みその一部をシャットダウンしてしまった。黙秘状態。
彼的には私が酔ってるからコミュニケーションができない!せっかく話してるのに!
…えぇと、あなたが電話してくるのずっと待ってた私のこと無視ですか?もはやいつも通り飲んで寝ようとしてた私のことバカにしとるんすか。
となにも言わなかった。
もうここまできたら、終わりだと思った。
実はそれよりも前に彼は約束してた。
必ず毎日at least textすると。結果的に彼の言葉は嘘になった。
約束を守らない人間が嫌いな私は可愛げもなくそのことを責めた。そもそもいつ日本にくるわけ?それもまた嘘なんじゃない?信じられるもんですか。
ここまでは言ってないけど、きっと彼はそのぐらいに受け止めたんだろう。一向に返事は返ってこないから、言いたいことだけ言ってほっといた。私だって暇じゃない。そもそも、自分の生き慣れた生活をくずすなんてお互い無理がある。あっちだってきっとそうだ。asmahan showが終わるまではほっておこうと、ほんとにほっといた。
結局3週間ほどほっといて、asmahan showはなんとか終わって、大好きなasmahanとか先生とかとの写真を送った。そもそも7年前に偶然先生と出会ってなかったら、その後5年前にアスマハンに出会ってなかったら、絵を描くようにならなかったら、2年前に先生についてオーランドにいってなかったら、彼とは出会ってもなかった。今年の6月の乱射事件がなかったら、資格の講習にいってなかったら、ラマダンと重なってなかったら。
フォン。
iPadが3週間ぶりに鳴った。「明日必ず電話する」とtext。
信じるものか。asmahan showと翌日のws のさらに翌日の月曜、もともと休みをとってた。ずっと寝ては飲んで寝て寝て。
なつかしいskypeの着信音が鳴った。
この音変えられないのか。好きじゃない。
しかもなつかしく、iPhoneとiPadが両方鳴っててどっちとるか迷う。
hello?
なんてことはない。普通の会話。なんでこんなに普通にできるんだろうってぐらい。
この2日後ぐらいに気づくのです。意外と彼、下手に出て謝ってたってこと。
give me one more chance
どっかの歌詞で聞いたことある。
てっきり、怒った私と呑んだくれる私に愛想をつかしたんだと思ってたからなんか拍子抜けだった。
結局また、asmahanと先生のお陰でなんだかおさまった。
asmahan daysが落ち着いて、新しくasmahanお手製衣装を手に入れた。
一目惚れした唇のデザインが奇抜な衣装で、でも何を踊りましょう?と先生に買うことを決断する前に聞いたら。
涼しい顔して「古典の、全然動かない、歌モノの、恋の歌」。
そんなイメージが湧くんだと妙に納得して、迷わず買ってしまった。
ana bastnak
新しい衣装でこの曲の振り付けを考えようと思った。まさに「古典の、全然動かない、歌モノの、恋の歌」。
英語にすると「I’m waiting for you」らしい。
そんな話を彼とした。
思いもよらぬ返信。
「ana bastnak or mestaniyak ?」
え、だからbastnakだってばと。何が違うの?と聞いたら「違う曲だよ」と。
は?
ちょっと調べたら、アラビア語で「I’m waiting for you」って言葉はなんかいっぱいあって。
両方知ってるし好きな曲だった。はっとした。日本語が難しい言葉だと自負していて。アラビア語の複雑さとか文化をすっかり無視してた。
彼と話していて「いかに英語もドイツ語もフランス語もeasyか」と結論にいたったことがあったのを思い出した。「I’m waiting for you」なんて、なんてなんて軽い言葉。
asmahanのwsでアラブ文化での女の感覚をきいたけど、アルゼンチーナな彼女のアラブ文化への戸惑いと日本人な私たちの奥ゆかしさ?をまざまざと感じた。
知らないことばっかりだ。
とにかく、2つの曲を改めて聞き比べたけれど。やっぱりana bastnakにしようと思った。彼は何を思ったのだろうか。この2曲の違いに何を思ったのだろうか。というかまだ私がそう答えたことを知らないから、正確にはどう思うんだろうか。こういう不思議な時差も実は面白い。
asmahanが教えてくれたアラブの感覚は、苦しい時ほど女は涙を隠してtigerになるんだと。普通に聞いてたら死にそうに苦しい歌詞のようなana bastnakでさえも、そう振舞わなければならないのか、できるのか、それでも私という一人の人間として死にそうにしていいのか。この年末年始の課題かと。
そして本当に、私がこの曲と向き合うことを、彼はどう思うのでしょうか。
見ものです。
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