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2001年 1月 その1

1月5日

今朝は学校に行った。帰りで家の側の草むらを走っていると、足が穴にはまってしまった。酷く挫いた。そこまで痛くなかったが完全に挫いていた。地面に足を付くのはもう無理で、家まで片足で跳ねる始末。

病院にはしばらくいた。氷で冷やされ、包帯でぐるぐる巻かれた。痛みはとれなかった。歩けないけど、特に気にしていない。こんなに辛い思いをしているのはタイ旅行がうまくいくからのはずだと少し期待している。

1月7日

今朝、旅の支度をした。私は掃除をした。空港にはとても速やかに着いた。前回と比べて前から準備をしていたので全体的に落ち着いていてつまらないくらいだった。

飛行機に乗ったときにはがっかりすることになった。満員で、私たちの席は真ん中の方だった。ずるいよ!窓際はつまらないおじさんたちばかりで、窓に枕を押し付けてぐっすり寝ている有様。私はこんなつまらない大人には絶対なりたくない。

1月8日

夜、バンコクについた。荷物を待っている間、わたしは周りを眺めた。とても暑かった。人はあんまりフレンドリーじゃない。オーストラリアと比べて色彩が鮮やかじゃなかった。同じくらいの時に別のヨーロッパからの飛行機が着陸していて、降りてきた人たちが横を通った。女性はみんな肥満だった。標識は全部タイ語で何も理解できなかった。こんな感じで、私は少し居心地が悪かった。

木下先生の知り合いのおじさんたちが車で迎えに来てくれた。35分くらい、街中を通ってホテルに案内してくれた。その間、私は欲張りに窓越しの光景を見入った。夜の11時半だったのだが、街灯などで日中のように明るかった。道路は広く、車も多かった。道路に人も老若男女大勢いて、野良犬もそこら中にいた。賑やかだった。大都市の賑やかさって好き。

オーストラリアと比べて思ったのが、バンコクは何かをするのに適した都市であるのに対して、オーストラリアはゆっくりするのにいい国ではないかと。それぞれにいいところはあるよね。あと、夜がこんなに賑わってるのは日中が暑すぎるからじゃないかな。

1日10日

お母さんは今お父さんと喧嘩している。お母さんはすべてにつけて愚痴を並べている。今ちょうど私の番になったみたい。あーあ嫌だ。怒りすぎだよ。お父さんも私に怒るけど。世の中で私以上に怒られる子供っているのかな?慣れっこですぐに忘れるけど。やっぱりむかつく。

朝、お母さんを刺鍼院に連れて行った。3日連続で針を打って電気を流す治療を受けている。お母さんは最初はお医者さんに満足していたけど今は薬を処方しすぎだと怒っている。お金がすごくかかるって。お母さん、お金に関してケチなんだから。といっても、節約しているふりして衝動買いは人並み以上するに違いない。よくどうなっているのか分からない。

お母さん、説教が大好きだ。『ああしたらいい』、『こうすればよかった』、『ちゃんと考えてから行動すればこうならなかったのに』といったように。自分で、常にこういう事ばかり言うのに飽きないのかな?私には理解できない。本当に教育が悪かったな。それに、知ったかぶりで誰の話をも聞こうとしない。

ディナークルーズに行った。とても綺麗だった。料理はまずかったけど。帰りのツアーが出したタクシーでお父さんは直接ホテルまで届けてもらえるように頼んだ所、運転手は暗い所に泊まり、別料金を払わないと行かないと言い張った。お父さんは彼としばらく口論になった。私はなぜかとても怖かった。結局、予め決められていた地点(走行距離は同じ距離だけど少し別の道)に届けてもらえた。お母さんはもちろん、会社に文句付ける気で満々だった。ホテルまで歩く道はバーに囲まれていた。エロおやじがうじゃうじゃいた。

街の様子を車の窓から見るのは好きだけどね。安いテーブルセットの野外レストランがみっちり立ち並んでいて、いつも賑わっている。このシンプルなくらしが憧れる。きっと、見る分だけ楽しいのかもしれない。自分がこの様な暮らしに馴染めるはずはない。やってみたい気持ちもあるけど。お母さんが言ったことで私も納得だけど、コントラストの強い国だって。人間の間にカースト制のように、明らかな格差ができていて、低層と上層との違いが大きい。こんなのを今までに直接見たことはなかった。色んな国に行ってみたいな。頑張って勉強して、なんでも好きなことができるくらいお金持ちになりたいと考えた。

1月11日

今日、電車でショッピングセンターに行った。店は巨大過ぎて圧倒された。じっくり堪能した。私はシルバーの小さい花のピアスとヘアピンとカセットテープを買ってもらえた。納得だった。でも、後でお父さんにTシャツの試着を拒んだと言う理由で怒られた。というか、試着はしたけど嫌過ぎたので誰にも見せなかったのだが、それが問題だったらしい。

道端に物乞いをする人が大勢いた。子供連れの女性や、手足がない人たちなど、様々。とても可哀想だった。お父さんは3人に小銭をあげていた。私もそういう人を助けたいというか、貧困を減らす活動をしたい。物乞いを通りかかる度に気まずさを感じた。

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