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アンダース・エンブレム『ヒューマン・ポジション』 猫と恋人と暮らすこと
ノルウェーのアンダース・エンブレム監督長編2作目。あまりにも素晴らしい内容だった。もう一度観たいとおもう、今年ベストかもしれない一本だった。喪失感を抱えたジャーナリストのアスタが強制送還された移民の物語を追求する日常を追うことで自身の見失った「立ち位置」を再発見しようとする。「スローシネマ」といういっけん繊細で“おしゃれな”映画のように思える本作は、日常をやさしく照らしてくれるように思う。
青くて、物悲しいノルウェーの長い夏。うっとりするような静けさのなか、パステルカラーに包まれた港町の丘をゆっくりと登って振り返るアスタ。新聞社に復帰した彼女は、地元のホッケーチーム、アールヌーボー建築を保存するための小さなデモやクルーズ船の景気など地元の人々を取材しニュースにする。彼女の支えとなるパートナーのライヴは、デザインチェアを修復し、キーボードを演奏し、作曲をする。子猫が歩きまわる家で、料理を作ったり、古い映画を観たり、ボードゲームを楽しんだりとふたりの時間は穏やかにすぎていく。ある日、アスタは10年間ノルウェーに住み、働いてきた難民のアスランが強制送還されたという記事を目にし、その事件を調べていくことに……。
冒頭、舞台となったオーレスンが映し出される。ああ、めちゃくちゃきれいなところだなと思うのもつかのま、階段をあがってきた主人公アスタは息を切らしていて、とても物憂げな表情ゆえに、きれいだけでは止まらない複雑な思いを抱かせる。『かもめ食堂』での「フィンランドの人はゆったりしているとばかり思っていたけれど、悲しさや孤独を抱える人もいますよね」と文脈さえなければ至極真っ当なことを言っていたセリフが思い出された。その国のことを知らない日本人のあたしは、勝手に国のイメージをもち、当たり前のように日常が、抵抗が、歴史があることを忘れてしまう。あたしは、彼らのことは何も知らないのだと思う。
アスタはどうやら喪失を抱えているようだ。それも、なにをしていても悲しみが常に意識され、横たわるような悲しみ。いつでもブルーな表情の彼女。最初に映し出されたアスタの家で、恋人ライブの姿が映し出されることなく、扉の向こうから歌声だけでまず登場することは彼女の抱える悲しみが誰とも分かちがたいことの心理的な表れなのかとおもった。と同時にこの映画につねに横たわっているノルウェーの移民についての議論や制度というテーマにおいて、彼女がまず画面に出てこないことは観客への挑戦でもあるのかもしれない(そうじゃないのかもしれない)。
その後、移民である(ということがのちの会話でわかる)ライヴの顔を見ることはできるのだけれど、彼女は登場はしていてもフレームの外にいることが多いように思えて、床に座ってるのかにょっと出てくるライヴの手のひらに、アスタがチーズを渡してあげたり、家の目の前にある廃墟と化した建物を見つめるアスタの首の動きから、ライヴが近くにいることがわかるというように、当たり前に椅子に座ったり立ち尽くしたりするようにライヴは(椅子をめちゃくちゃ愛しているのに/そして家のなかにはあんなにたくさんの椅子があるのに!)座らないし、フレームのなかにも入ってこない。唯一、ライヴが一人がけの椅子に座っているのは、自分の作業場だけだったりする。映画のなかではひとりがけの椅子ばかりが出てきたのだけど、それはつまりひとりで腰掛け、安心や安らぎを得ることのできる空間というのが「ひとりがけの椅子」に象徴されているように思え、ただ腰掛けてゆっくりするための椅子というものにライヴはいつまでも座らない(仕事用の椅子と鍵盤の前の椅子はそういった安心の空間とはまた違う用途があるという意味において別の意味にも取れた)。
中盤からアスタが10年間もノルウェーで労働してきた移民のアスランが突然強制送還された件を深掘りしはじめる。工場に取材に行ったときにゴミといっしょにされた椅子を見たアスタが、「買い取っていいか」と聞くと、「あれはアスランが昼食時に使っていた椅子でいまは使われてないからもらっていいよ」と言われ、ライヴといっしょに引き取るシーンがある。これもまた、10年間椅子に座ることを「許されていた」のに、突如としてその権利を奪われたことの象徴的なシーンだと思った。それはつまるところ、ライヴとアスタのふたりが、悲しみや虚しさを抱えながらも穏やかに過ごす日々が当たり前ではなく、もしかしたら突如奪われる可能性があることにつながっていく。定点で撮られた街の風景のがらんどうなショットは、そうやっていなくなってしまった人たちの亡霊が映り込んでいるんじゃないかとおもった。ライヴとアスタがいっしょに椅子を引き取りに行くシーンでの会話でも「椅子に座ることは人間だけの行為だ」といった趣旨が話されていたことを考えても、椅子に座ることの象徴性はとても重要なのだな。そして「この国のいい点はどこか。政策の面とか。」とアスタに問われたライヴは「私たちは不満を言える立場じゃない。批判しちゃダメ!みたいな感じ」と答えていた。
椅子に座ることの権利を当たり前に享受するアスタと椅子に座ることの権利を当たり前には享受できないライヴ。ノルウェーに横たわる社会的差異を椅子に座るという行為によって象徴しているようだった。
社会的な特権性を自覚しながらアスタにはなにができるのだろう。終盤でアスタが床に座るシーンがあり、ジャーナリストとしての自分の立ち位置に「迷い」があると語っていたアスタが床に、そしてライヴが椅子に座る。最後にライヴが披露する歌には、互いの立ち位置を尊重しあい、「わからなさ」自体を共有しようとするライヴの聡明さがまとめられたシンプルなのに素晴らしい歌だった!「わたしはわたし、あなたはあなた」そうやって、手を取り合って生きていこう。そうだね。
ノルウェーで同性婚の法が整備されたのは2009年らしく、同性愛差別禁止から同性婚が認められるまでは、約30年もの時を費やしたという。アスタの悲しみの原因が、お腹の傷にあり、それはもしかしたら帝王切開かもしれない。家のなかを自由に闊歩する猫は、子猫っぽいからもしかしたら深い悲しみのあとに飼い始めたのかもしれない。この疑問については映画内で説明されないのだけれど、彼女たちの現在は、そういった運動の日々の延長線上にあるのだということなのかもしれない。日常のなかの陥穽を見つめ、自分の立っている位置から他者を考える。または他者の立っている位置に自分を置いてみる。日常と政治がきちんと繋がっていること、そして優しくあるためには何が必要なのかということも考えさせられる内容だった。ゆっくりと再生していく物語。そして猫がほんとうにかわいい。
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A Human Position|2021年|ノルウェー|78分|1.85:1
監督・脚本:アンダース・エンブレム
撮影:マイケル・マーク・ランハム
出演:アマリエ・イプセン・ジェンセン、マリア・アマグロ